牢獄~ある勇者の呟き
ここはどこなのだろう?
石畳の床の上に無造作に敷かれた藁の上で、僕は寝ていたようだ。
固いところで寝ていたため体の節々が痛み、素肌に藁がチクチクと刺さって不快感が酷い。
藁から逃れようと体を動かすと、カチャリと金属の音がした。
どうやら、右足に足枷がされているようだ。
足枷は壁に繋がれていて、長さ的に半径1メートル程度は、動けるようになっている。
部屋は石造りで広さは六畳くらいだろうか、窓はなく、鉄製の扉が一つあるのみ、それも外からしか開かないようになっている。
部屋にあるのもは藁のみで、水飲み場もトイレもない。
僕は、何故こんなところにいるのだろうか、僕はこのままここに閉じ込められて出られないのだろうか。
ここで餓死する自分を想像し、急に背筋が凍りつき、精神が恐怖に支配される。
「誰か!!出してください!!お願いします!!」
鉄の扉を思い切り叩くが、重厚な扉は僕の貧相な手では何の反応もしない。
手がズキズキと痛んで、その刺激でやや我に返った。
ここは、牢獄だ。
助けを呼ぶことこの無意味さを悟り、すぐに、扉を叩くのをやめた。
そもそも、助けるつもりなら、僕をこんなところに閉じ込めたりしないだろう。
僕はここへ連れて来られる前に、何をしていたのだったか……。
確か、高校生で普通に学校へ通っていたはずだ。現に今着ているのは、学校の制服である。
制服ということは連れ去られたのは、学校の登下校中の可能性が高い。校内ではそうそう人攫いには会わないだろうし。
僕は、ゆっくりと記憶を辿る。
朝は無事登校し、授業を受け、友人達と昼休みは昼食を食べながら雑談に花を咲かせていた。
その後は、どうしていたっけ。記憶にモヤがかかり思い出せない。
思い出そうとする度に記憶が曖昧になっていく。
そうすると、段々学校に通っていた思い出が夢のように思えてきた。
牢獄に閉じ込められて気が狂った自分が見ていた夢……。
着ている制服だって、自分の身に着けている服を学校の制服として登場させただけかもしれない。
考えれば考える程、夢と現がごちゃ混ぜになり、頭が痛くなる。
もしあの幸せな生活が夢なのだとしたら、辛い現実より、明るい夢の世界の方がいい。
僕は、再度眠りにつくため、藁の上に横になった。
ガチャン
頭上からキリキリと金属が動くような音がし、そちらの方へ視線を向けた。
天井の一部が開いており、そこから何かが落ちてきてべちゃりと音をさせ床に落ちたようだ。
“何か”を落とすと、すぐに天井の蓋はすぐに閉まってしまった。
嫌な予感がし、落ちてきた“何か”を見る気にはなれなかった。
しかし、この狭い空間で見ないわけにはいかない。
動悸がし、冷や汗が止めどなく流れてくる。
嫌だ、嫌だと、理性以外の全ての器官が、それを視認することを拒絶している。
嫌がる身体を無理矢理動かし、視線を天井の穴から落ちてきた“それ”に向けた。
そこには、人間の頭のようなものがあった。
首から下はない。
髪の毛は黒くて長いから女の人なのだろうか、髪の長い男もいるので断定はできない。
顔で判別できたらいいのだが、顔はグチャグチャに破壊され、陥没していて、男女の判別も出来ない程だ。
顔面の殆どが破壊されているため、人の頭部なのかどうかも確定しては言えない。
ただ、髪の毛の生え方と全体的な形から、頭部であろうと判断出来る状態だ。
初めて見る物体に、胃酸が喉から込み上げてきた。
「ゴフォッ!!ゲッ!ガハッ!!!」
部屋の壁に手をつき、胃の中身を全てぶち撒ける。吐き切っても、気持ち悪さは消えない。
水が欲しいが、ここには何もない。胃酸のせいで喉が焼けるように痛くてたまらない。
“あれ”を視界に入れないようにして藁に戻り、寝転がって目を閉じる。
寝心地の悪い藁が、妙に安心できる場所に感じた。
寝よう、寝てしまおう。
そうすれば、夢の世界に行ける。
※
「ダメだ……」
どれくらい時間が経ったのだろうか。
結局僕は、喉の痛みのせいで夢の中へ行くことが出来ずに、ただ目を閉じて震えているだけの時間だった。
鉄の扉の方から、また何か音がした。
今度は何かと震えると、誰か人のような声で「食事だ」と、言っていた。
“誰か”の言葉は慣れ親しんだ日本語とは違ったが、僕にも問題なく理解が出来た。
食事……。
すぐに取りに行きたかったが、振り向けば視界に“あれ”が入ってしまう。
慎重に壁沿いに張り付くように移動し、鉄の扉の前まで移動する。鉄の扉の下の方に配給用の小窓がありそこから入れられたようだ。
食事はコップに入った水とお粥のようなものだった。
それを僕は、ゆっくりと少しづつ食べた。
食欲はなく、水だけで良かったが、コップ一杯の水では喉の痛みを和らげることはできないと考えたため、無理矢理にでもお粥を流し込んだ。
最後に水をゆっくりと味わって飲んだ。焼けるようだった喉が癒されていき、ほっとする。
食事を食べ切り壁沿いにまた移動し、藁の上に戻り、寝転がる。
水分を摂取したお陰で、喉の痛みも和らいだ。今度こそ眠れそうだ。
僕の意識がゆっくりと落ちていこうとした時、また天井が開き何かがグチャリと、落ちる音がした。
僕は、頭を抱えて気が狂いそうな程、叫び声を上げた。
※
ここに来てから、どれくらい経ったのだろうか……
時計がないため時間の間隔がまったくわからない。
多分数日は経っていると思う。
ここの生活にも随分慣れてきた。
しかし、相変わらず、やることはなにもないので寝転がっていると、天井が開き、そこからまた何かが落ちた音がした。
「またか……」
天井から落ちてきたものを僕は確認した。内蔵の塊だろうか。赤黒い臓物がいくつか散乱している。長い腸のようなものだけわかるが、それ以外の臓器は僕ではどの部分かはわからない。
どの部分かなんてどうでもいい。僕はいつも通り“それ”を部屋の隅に放り投げた。
部屋の隅には人間の部位が山積みになっていた。
ある一定の時間が経つと、上からぐちゃぐちゃになった人間の部位のどこかが落ちてくるのだ。
最初のうちは恐怖に打ち震え視線を逸らしながら過ごしていたが、どんどん部屋の中心に溜まっていくため無視できなくなり、ついに“それら”と向き合うことに決めた。
それまでに、視線の隅に入り込むことがあったせいか、直視しても吐く程の不快感に苛まれることはなくなっていた。
しかし、“それ”を実際に手で触れると、その柔らかさに気分が最悪にまで落ちたが、幸い再度吐き気を催さずに済んだ。
この時点で、もう、僕の心は壊れていたのかもしれない。
それから、こうして天井から落ちてくる度に、部屋の隅に積む作業をするようになった。
内蔵を片付けた僕は、定位置の藁の上へ戻った。
「ははは……」
乾いた笑いが出てくる。
僕は、ついに、この状況を理解した。
そうか、ここは地獄なのか。
地獄か……そうだ。そうだ。
僕は学校の屋上から飛び降りた。
そして、確か、人も殺した。
「ククク……ハハハ…」
これは現世で罪を犯した僕への罰だったのか。
「アハッ……………ん?」
今までビクともしなかった、鉄の扉がゆっくりと開いたのだ。
僕は笑うのは止め、扉に対して警戒心を強めた。身体が震えている。まだ、僕には恐怖心が残っていたようだ。
「さて、そろそろかな」
扉が開くと、そこには、十代ぐらいの少女と中年の男が立っていた。
少女は白く長い髪、赤い瞳、小さな唇から覗く八重歯、この世のものとは思えないような美しい顔立ち。身につけている白い着物には、金の刺繍が美しく施されていた。
男の方は少しぼさっとした茶色の髪に切れ長の鋭い目をしている。
二人共質の良さそうな着物を身に付け、高貴な身分であろうと想像できた。そして、よく見ると頭に角がある。この状況だしコスプレではないだろうし、本物の鬼と考えるのが自然だろう。
鬼がいるということは、やはりここは地獄だったのか。
「酷い臭い……」
少女は眉を顰め、不機嫌な表情をするが、それすらも愛らしい。
「あの……貴方たちは?」
中年の男は、僕の問いに、ニヤリと悪役のような笑みをこさえた。
「時雨水仙だ。この扶桑の国で摂政をしている」
摂政? 歴史の授業でしか聞かない現代にはない役職だ。同じ役割だとしたらかなり身分の高い男ということになる。そんな重要なポストの鬼が僕に直々に会いに来たというのか。
困惑する僕を他所に、水仙と名乗った男は少女へ自己紹介を促し、少女はそれに小鳥のように小さく頷いた。
少女の赤い瞳に僕が映り込む。
「私は、雪羅。鬼の王よ。初めまして勇者さん」
鬼の王を名乗る少女は、無機物のような感情のない瞳で僕を見た。