寵姫
私は今貞操の危機に瀕しているのだろうか?
牡丹がこの部屋に泊まるってそういうことなの?
どうしよう、絶対嫌だ。箪笥の中には渡だっているのに……。
混乱した私は牡丹に向かってファイティングポーズをとった。
「おい、なんだその格好は。 お前には興味ないから安心しろ」
牡丹が飽きれたように言い放った。
興味ない? 夜這いに来たわけじゃない?
一体どういうことなのだろう。
「太師は何故ここへ泊まるのですか?」
「こっちの都合だ、今から説明する。いい加減立ってないで座ったらどうだ?」
「ああ、はい」
牡丹の都合って何だろう、私は警戒心を解いて牡丹の前に座った。
「で、この状況はどういうことなのでしょう?」
「まず、どこから説明しようか……」
牡丹は顎に手を置いて考え込むような仕草をした。
「俺を助けると思って欲しい」
「どういうことでしょうか?」
「得体の知れない出自のお前を雇うことに色々言われているんだよ、ここは仮にも国の政治の中心だからな、出自がはっきりとしないと暗殺者や諜報員ではないかと周囲にうるさく言われるのだ」
「申訳ないです……」
「面倒だから俺の寵姫ってことにした、よって夜はたまにここへ泊まらせてもらう」
「えぇーー!」
「仕方ないだろう、嫌なら出ていけ」
「大丈夫です、協力します」
今出ていくわけには行かない。みんなと合流するにはここにいるのが一番すれ違いがなさそうだし。
それに渡の想い人もまだ見つかっていない。
実際に寵姫になるのではなく、ただの“ふり”なら別に問題はない。
あるとすれば、牡丹がいる間は渡が自由に動けなくなるのが痛い。渡に心の中で小さく謝った。
「本当に私には何もしないのですよね?」
「絶対にない。俺は百合にしか興味がない」
百合? 女の子同士の恋愛? それなら私も大好きだけれど。
いや……この場合はそっちの百合ではなくおそらく……。
「この前一緒にいた白い髪の女の人ですか?」
「そうだ」
「綺麗な人でしたね、とてもお似合いだと思います」
「そうか……」
仏頂面の多い牡丹の表情が少し柔らかくなった。百合への愛は本物なのだろう。
「ああ、それと」
「はい?」
牡丹は思い出したように、顎に手を当てた。
「いずれバレるから言うが、百合は父の三番目の妻なのだ」
「えっ!?」
父親の奥さん……?
どうりで牡丹は必至に隠そうとしていたわけだ。親の妻に横恋慕とかまるで源氏物語のようである。
親の奥さんか……この国の倫理感がわからないからどう言葉を返したらいいのかわからない。
現代日本の価値観ではアウトなんだろうけれど、日本は一夫一婦制だから一夫多妻なこの国をそこに当てはめることはできないし……。
悩んで出た言葉は「大変ですね」というとてもつまらないものだった。
「そうだな……もし、父上が亡くなることがあれば俺が妻として迎えようと思ってはいるがいつになることやら」
「一途なのですね」
「そうだな、酷い話だがな……」
その時に見せた切なそうな表情が、牡丹の悲しい恋心を物語っていた。
「話は終わりだ。そろそろ寝るか」
「はい」
その後、牡丹と少し離れたところに布団をもう一枚敷いて、そこで今日は眠った。
次の日の朝、牡丹は私の部屋から堂々と出て行った。
周囲に寵姫アピールするためだから仕方がないが、周りにそういう存在だと思われるのはやっぱり少し恥ずかしい。
昨晩の事情を箪笥で聞いていた渡は、そんな私の様子をからかうような目で見ていた。
「柚子葉殿、恥ずかしがっていて可愛いでござるなあ」
「か、かわ……!」
渡に初めて可愛いって言われた。
美人とか言ってくれたことはあったけど、何だろう胸がぽわぽわとして変な感じだ。
だというのに私はなんだが恥ずかしくて、強がって「別に可愛いくないから」と言ってしまった。
せっかく可愛いって言われたのに、本当に私って可愛くない女。
「柚子葉殿、今日は掃除婦の仕事ぶりを楽しみにしているでござるよ」
「うん。渡もちゃんと隠れていてね」
「勿論でござるよ」
渡をポケットにしまい、職場へ向かおうとした時、少し強めに扉を叩く音がした。
急ぎの用だろうか、嫌な予感がしながらゆっくりと戸を開けた。
そこにいたのは花梨だった。
その息は荒く、キツイ目で私を睨んでいる。彼女のこんなに感情溢れた表情を初めてみたかもしれない。
彼女は私に掴み掛り、私の頬を思い切り平手打ちした。
頬に熱い痛みが走る、しかし、彼女の手が痛々しく赤に染まっている方が私は気になった。
きっと誰かを思い切りぶったことなどないのだろう、そんな彼女を私がここまで怒らせる理由は一つしかない。
「あなたのような下賤の女が太師を誑かすなんてとんでもない、今すぐ身を引きなさい」
だと思いました。
ただの“ふり”だと説明して今すぐにでも誤解を解きたいが、牡丹と約束したから言い訳することもできない。ただ嵐が過ぎるのを待つしかない。
「何とか言ったらどうなのですか?太師には白竜殿姫がいます。貴方など所詮ただの気紛れの遊びなのです。早急に忘れてしまいなさい」
ん……?今なにか聞き捨てならないこと言ったなこの人。
「白竜殿姫?」
「まあ、白姫様のことも知らないのですか?」
「白姫?」
「白竜殿姫……通称、白姫様は殿下の三番目の奥様であられる方です、儚き白百合のように美しく、お優しく、気高い方ですわ、貴方などあの方と比較したら塵以下です」
これ完全に白姫って牡丹の想い人の百合のことだよね? 牡丹付きの女官だから知っているのかな。
牡丹から知らされていたとして、主人のプライベートな情報をべらべら私に喋っていいのかこの人は。
それから花梨は私に一通りの説教をして、最後まで怒りながら立ち去っていった。
これからもこんな風に言われるのかと思うと気が思いやられる。
私は、深くため息をついた。




