時雨 〜ある勇者の呟き
僕は今、大きな闘技場にいる。
観客席は空席で、見張りのような鬼が数人出入り口付近に立っているだけだ。
目の前には巨大な蛙の妖——大王蛙が一体、僕を見下し舌舐めずりをしていた。
初めての妖を前にして、僕の息は乱れ、刀を握る手からは汗が滲み出て止まらなかった。
先に動いたのは大王蛙だ。
舌を伸ばし僕の体を絡め取ろうとするが、ギリギリで躱し全速力で妖の背後に回る。
蛙の舌がまた走る僕を襲う。今度は舌攻撃を避けずに刀を構え、それを一刀両断した。
舌での攻撃は見切った——
大王蛙は己の武器がなくなり、一瞬放心状態になっている。
その一瞬の隙をつき、僕は大王蛙の体を効率的に切り刻み、最後に心臓を一突きにし、トドメを刺した。
初めての妖との戦闘は緊張したが、いざ戦ってみると呆気なく終わってしまった。
一日一体倒すのが僕のノルマだ。
今日の仕事はこれで終わり、午後は魔法の特訓をすることになっている。
今日は魔法で明日は刀。日替わりで教師がつき、魔術や剣術教えて貰えるようだ。
輝夜姫は余程強力な敵なのか、僕の待遇は至れり尽くせりである。
魔法の特訓まで一刻程休憩出来るため、部屋に戻り身支度を整え、食事を済ませた。
時間が近くなったら、再度魔法の特訓のため闘技場に戻った。
闘技場に行くと、ショートカットの美しい女性が立っていた。
頭には二本の角が生え、金色の髪と同じく金色のキリリとした大きな瞳、三日月型の大きな口、女性にしては高めの身長とスレンダーな体型が、まるでテレビの中から出てきた女優さんのようだった。
「貴方が勇者君? よろしく、私は時雨菊。時雨水仙の妻の一人よ」
どうやら彼女は人妻のようだった。
少し残念だが、こんな美人なら当たり前か。
「よろしくお願いします」
鬼の国は水仙がトップとして政治を動かし、雪羅は一切関わっていないと聞いている。雪羅が無垢なのはきっとそういう理由もあるのだろう。
そのトップの妻ということで、かなり身分が高い人なのではないだろうか。少し緊張してしまう。
「ねぇ、勇者君、貴方の名前はなんていうのかしら?」
「勇者で結構です、名は捨てました」
「あら、ワケありね~、わかった勇者君ね」
菊は物分りがよく、僕のことを必要以上に追求するつもりはないようだ。こういう人は付き合いやすい。
「じゃあ、まずは魔法の出し方からね、手を翳してみて、それでまず水を出したいと念じるの」
僕は言われた通り水を出現させてみた、僕の手から水が発生し、とぼとぼと下へ滴り落ちている。
「おー、いい感じ、いい感じ、さすが勇者君覚えが早いわぁ」
「ありがとうございます」
菊は喜んで手を叩いて、僕を褒めてくれた。
しかし、罪人である負い目があるため、彼女に褒められても素直に喜べない自分がいた。
「じゃあ次は火の魔法ね、また念じて〜」
それからしばらく、菊に魔法の基礎を教わり、木火土金水の一通りの基本魔法をこなして魔法の授業は終わった。
木の魔術は木を、土の魔術は土を発生させることができる。ただ、金の魔術は少し特殊で、金を作ることが出来るわけではなく、自分の所持金を自由に出し入れすることが出来る魔法だった。
この世界では、金の魔術が銀行のように使われているらしい。
菊に言わせれば僕は魔法の才能があるらしいが、比較対象がいないため実感も湧かないし、何がいいのかも理解出来なかった。
ただ、雪羅の願いを叶えるために必要なら、登りつめるところまで努力するまでだ。
「勇者君は本当真面目ね、いいのよ、こんな事適当にやっちゃって」
「雪羅のためですから」
僕は菊へと、穏やかな笑みを返した。雪羅の事を考えると心が癒され、気持ちが落ち着き笑みも自然と出てしまう。
「そう……、あんまり雪羅様に期待させるような事言わないでね。あの子は可哀想な子なの」
「僕が輝夜姫に立ち向かうのは難しいでしょうか?」
「能力の期待値は充分よ。この“期待”はそういう意味じゃない……」
僕はそこまで言われて気が付き、服の胸辺りをぎゅっと掴んだ。
「ありえませんよ」
僕はその一言を返すので精一杯だった。
「そう」
菊はそれでその話題を終わりにした。僕は彼女にクギを刺されたようだ。
僕にとって雪羅といる時間が唯一の楽しみだった。それを手離すなんて今の僕には出来ない。
そして次の日も、闘技場で妖と戦い勝ち残った。
倒した妖は、十目蛇と言う大きな大蛇の妖で、十の目があり、どの角度からの攻撃にも反応する厄介な妖だったが、魔法で木を発生させ、それを火の魔法で燃やすことにより煙を発生させ、敵の視界を奪い、その隙をついて刀で切り刻んでトドメを刺した。
午後は剣術の授業だ。
今度の教師は大人の男の人だった。
時雨水仙の長男で、名を時雨牡丹と言うらしい。
歳は二十代後半ぐらいで、黒い髪に赤い目、頭には左右と真ん中に計三本の角が生え、赤い金魚の柄の着物を着てきた。
少しとっつきにくそうな雰囲気を醸し出していて、人当たりの良い菊とはまったくタイプが違う様子だ。
牡丹は僕の方へぐいっと近付き、至近距離で僕の顔を覗き込んだ。息が掛かりそうになる程近くで見つめられ、恥ずかしさと緊張で心臓がいつもより早く鳴っている。
「こいつがねぇ……」
品定めが終わったのか、牡丹は僕から離れていった。
「えーっと、牡丹さんは、菊さんの息子さんなのですか?」
僕は場の空気を柔らかくするため、恐る恐る簡単な雑談を振った。
「菊は義母だ、俺の母は紫苑。家の管理を一手に引き受けているから、早々こんなとこには来られない」
「そうなんですか」
やばい、会話が続かない。
帰りたい、雪羅に会いたい。雪羅の頭撫で撫でしたい。
「ほら、雑談はいいから稽古をつけるぞ」
「ですよね、すいません」
「稽古は単純に俺と戦い、一本取ったらそこで授業は終了だ。準備しろ」
「は、はい」
牡丹と向かい合い、剣を構える。
「来い」
牡丹に言われ、右足に力を込め、一本を踏み出す。
「!!?」
一歩踏み出した時には、既に牡丹の剣が僕の喉元に向けられていた。
一瞬のことで何が起きたのか理解できない。
見えなかった。
牡丹がいつ動いたのかすらも目で追えなかった。
「一本だ」
「は……はい」
実戦なら一瞬で殺られていた。
僕はまだこんなにも、弱い存在だったと思い知らされる。
僕より強い者はまだまだ沢山いるのだ。
凄い才能があろうと、それを磨かなければただの宝の持ち腐れということか。
「もう一度、かかってこい」
「は、はい」
それから、僕は何度も牡丹に挑んだが結果が変わることはなかった。




