鏡磨き
「ほら、可愛い赤ちゃんですよー」
私は病院で看護師さんから渡された赤ちゃんをそっと抱いた。
私、いつ子供なんか産んだのだろう?
そもそも父親は誰だ? 一瞬学校の先輩の顔が浮かんだが、絶対あり得ないと首を横に振る。
「じゃあ、お母さん母乳をあげてください」
「あ、はい」
私は赤ちゃんに母乳を上げた。
赤ちゃんが私の胸に吸い付き、チュウチュウと吸い出したかと思ったら、今度はペロペロと舐め回してきた。
「な、いやぁ……やめ…………」
赤ちゃんは高速で舌を動し、舐めたり突いたり私の敏感な部分を絶え間なく刺激してきた。
様子がおかしいと思い見下ろすと、そこにいたのは、赤ちゃんではなく成人男性——渡だった。
「キャアァアアア!」
私の意識は一気に覚醒した。
そうだ、私は洞窟内の部屋で、休憩がてら一眠りしていたのだ。
しかし、端と端に離れていたはずの渡が何故か私に密着し、私の胸を舐めたり吸ったりしている。
こんな状況でも器用に眠っているのか、渡は目を瞑り寝息を立てていた。
「起きろ! 渡っ!! ちょっと、ひゃっやぁ……」
渡は私を押さえ付け、さらに激しく舌を動かしてきた。
先端に触れるか触れないかの距離で行き来する渡の舌。片方の胸は渡の指先でコリコリのされている。
「ヤッ、ダメ、これ以上は……はうぁッ!」
渡が空いている方の手を下半身に伸ばしてきた。
「ひっ、い、いい加減起きろーー!!」
※
「また、拙者が迷惑をかけてしまったようで申し訳ない」
渡は目の前で正座している。渡の両頬には、私が起こすために引張叩いたことによる手形が、くっきりと赤くついていた。
もう、このやり取り何度目だろうか。
「何度も聞くけど、わざとじゃないのよね?」
「もちろんでござる。拙者の寝相の悪さは昔から折り紙つきで、夜寝ている間に隣に住んでいた女子の布団に何故か入っていたこともあるくらいで……」
「何故かで済むかー!!」
「その時は、簀巻きにして吊るされたでござる」
「むしろ、それだけで済んで良かったな!」
「本当、不思議な体質でござる」
「他人事みたいに言うなー!」
渡とそんなやり取りをしていても埒があかないため、渡の正座を解き先へ進むことにした。
ともかく近寄らないことを厳重に注意して。
休憩も済み、気持ちを切り替え、私達は扉の前に立っていた。
入ってきた方と逆側の扉を抜けると、そこは小さな部屋だった。
天井は洞窟の岩が剥き出しだが、壁や床は大理石で出来ていて、その部屋の真ん中に、人の大きさくらいはある曇った鏡が一つ存在していた。
「鏡だけ?」
「行き止まりでござるな、おかしい、道は合っているはず……」
これ見よがしに設置してある鏡が気になる、近付いて確認するも鏡の状態が悪く、水垢のような汚れが付着していて鏡としての機能を果たせていない。
その汚れを軽く雑巾で擦ってみるも、ビクともしなかった。
どうしよう、この鏡くらいしか手掛かりないのに、綺麗にすれば何か起こるかな。
でも、相当頑固な汚れだし、どうすれば……。
「そうだ!!」
「ん? どうかされたか?」
「渡、ここら辺で待っていて! 私ちょっと隣の大部屋へ行ってくる」
「柚子葉殿、何か気が付いたでござるか?」
「うん、多分。試してみる価値はありそう」
私は大部屋へ戻り、ポリッシャーの残骸へ駆け寄った。
倒れているポリッシャーについているパット台を確認すると、そこには私の目当てのものがあった。
「ダイヤモンドパッド……」
ポリッシャーが大理石を移動していたため、まさかと思ったが実際ついていて安心した。
ついていたダイヤモンドパッドは凸凹のある面をしていた。
ダイヤモンドパッドは大理石等を研磨して、汚れを削り落とすとこが出来る掃除道具だ。これを使えば鏡も綺麗に磨くことができるだろう。
早速、私は鏡のある部屋へ戻った。
「渡、これを手の平サイズに切り取ってもらえる?」
「問題ないが、これはなんでござるか?」
「掃除道具。鏡を綺麗にしてみようと思って」
「はぁ……」
ポリッシャーについていたものそのままだと、三〜四十センチはあるため、持って磨くには使いづらいので、勿体ないが渡に小さくカットして貰った。
あとは、水とレモン汁を混ぜたものを付けて磨いていく。
柑橘系の爽やかな香りが部屋中に漂った。私はその香りを楽しむように目一杯息を吸い込む。
「何故、檸檬汁を入れたのでござるか?」
「あくまで推測なんだけど、この洞窟は全体的に白っぽい色の岩が多いから、おそらく石灰岩層に出来た洞窟だと思うの」
「石灰岩層でござるか?」
「そう。それとさっきの大部屋の床や壁は大理石だったよね。大理石は石灰岩で出来ているのよ。だから、こんなとこに大理石のだらけの部屋があるのも、ここが石灰岩層ならあるのも納得できるわけ。で、そこから汚れの原因はカルシウムじゃないかと思ったのね」
「えーっと、カル??」
「カルシウム。まあ、そういう成分だと思って置いて、ともかく石灰岩層はそのカルシウムを多く含んでいるの。そこで、この檸檬汁」
「はぁ……」
「カルシウム汚れにはクエン酸がよく効くのだけど、クエン酸自体は生成出来ないから、檸檬汁で代用出来ないかと思って」
「ほー、よくわからんが、掃除の技と知恵なのでござるな」
「うん、まぁ、そんな感じ」
私がいた世界の常識がこの世界で通じるかはわからないが、やってみる価値はあると思う。
私は霧吹きで、水とレモン汁を混ぜたものを鏡に吹きかけて、ダイヤモンドパッドでそっと下から上へ擦っていった。
下の方が汚れが強いので、下から上へ磨いた方が綺麗に汚れを落とすことが出来るのだ。
雑巾で汚れを拭きながら少しずつ汚れを削っていくと、美しい状態を取り戻していき、数十分後には汚れが完璧に落ち、ありとあらゆるものを映し出す、鏡本来の姿へ蘇った。
「さすが、掃除婦。見違える程綺麗になったでござるな!」
「そんな、大した事ないって」
「謙遜せず、柚子葉殿は素直に凄いと……うわぁあぁぁ!?」
渡が鏡に触れたその瞬間、いきなり鏡に吸込まれてしまった。
「渡!! ってえぇええぇぇ!!」
咄嗟に手を伸ばした私も、渡に続き鏡の中へ吸込まれてしまったのだった。




