新しい雪羅
水仙が勇者と雪羅が居た部屋に行くと、報告通り二人とも見当たらなかった。
そのことは白銀雪殿中の知ることとなっており、誰もが自分の仕事の手を止め二人の行方を捜した。
水仙は緊急に捜索部隊を作り、それに探しに向かわせた。二人を最後に確認したのは昨晩だ。時間によってはもう遠くに行っている可能性がある。
急ぎひと部隊用意したが、その他に大掛かりなものを用意する必要があるだろう。そうなれば人手が足りなくなり事務作業が滞る。水仙はしばらく徹夜を覚悟した。
「勇者だけならまだしも雪羅まで……」
勇者などただの道具でしかないが、雪羅は違う。
名前だけとはいえこの国の頂点に立つ者だ。それが男と逃げたとなれば水仙の責任追及は免れないだろう。
逃げたのであればまだいいが、水仙が飼うと決めた勇者が連れ去ったとなれば水仙の立場はより悪いものになるに違いない。
深い溜め息のあと、水仙は重い足取りで緊急対策会議が開かれる会場へと向かった。
白銀雪殿の一階にあるひと際大きな会議室。身長よりも一回り大きい扉を水仙が開けると、すでに面子は揃っていた。
国を動かす重要なポストにつく者皆が、水仙に顔を向けた。彼等の瞳は首を奪る好機とばかりに刺し殺すような鋭かった。
水仙は視線に気が付かぬ素ぶりをしながら、長机の一番奥の中心の席へと無言で着席した。
水仙の両隣の席には息子の牡丹と金雀枝がそれぞれ座っている。少しの沈黙のあと、金雀枝の隣に座っている中年の男が長い髭を撫でながら口を開いた。
「さて、殿下。此度の失態、どのように責任を取るおつもりですか?」
彼の名は、時雨木槿。左丞相の地位に就いており、水仙、牡丹に次ぐ権限を持っていた。水仙の叔父にあたるが、親戚同士の情などない。
「責任は取るつもりですが、今は緊急事態です。まず国としての対応を決めるべきでしょう」
水仙が威圧を込めて言うと、木槿に続いて突こうと口を開きかけたものも皆口を閉じた。いずれ失脚させるつもりとは言えここの支配者は未だにこの男なのだ。
強く言われれば誰も口答えなどできない。
「牡丹」
水仙は横に座る息子へと目を向けた。
「お前が雪羅代行だ。雪羅が見つかるまでお前がその地位に就け」
「そんなっ」
牡丹は大きな音を立てながら立ち上がった。
「雪羅に子供はいない。継承権二位のお前がやるしかないだろう」
「そうですが、雪羅になったら俺は外に出られなくなる。仕事上無理でしょう」
「確かに、人手不足の中お前が抜ける穴は痛い。だが雪羅の席を空けるよりはマシだ」
父親に凄まれ、牡丹は何も言い返せずに黙り込んでしまった。
お飾りとはいえ鬼の国では雪羅の存在は絶対だ。民は雪羅を信仰しているし、雪羅の了承なくして成せないことも沢山ある。
誰かがやらればならないのだ。
牡丹もそれは重々承知している。だからこそ何も言い返せずに、強く拳を握ることしかできなかったのだ。
「どうした牡丹、雪羅になると不都合があるのか?」
雪羅になれば、会いたい時に会いたい人に共に過ごすことが叶わなくなる。牡丹にとってそれが気掛かりだった。
すべて理解している牡丹は「いえ、何も……」とだけ言った。
「そうか、ならば、雪羅は牡丹に決て……」
水仙が言い掛けたときに、会議室の扉がゆっくりと開いた。
注目の中現れたのは白く長い髪に、紫の月のような瞳、誰よりも高貴さを感じる立ち居振る舞いをした女の鬼だった。
会議の最中に呼ばれてもいない者が進入するなど無礼極まりないが、誰もそれを咎める者はいない。
皆がその女の地位に気が付いていたからだ。
「あなた、困ります。私を差し置いて牡丹を雪羅にするだなんて」
その女は口を三日月のようにさせ笑った。
「紫苑……」
時雨紫苑。先代雪羅の姉にして水仙の妻、現状継承権一位の女。
「まず、私に伺いを立てるべきでは?」
「それは……お前は政に興味がないだろう。どうせ断るだろうから事後報告でな」
水仙は先ほどまでの威厳は消え、まるで母親に悪事がバレた子供のように小さくなっていた。水仙の弱点は紫苑と断言できる程、彼は彼女に弱かった。
「勝手に私の意見を決めないで貰えます?」
「ならば、お前がなるのか?」
「そのつもりです」
会議室がざわついた。皆、紫苑が表に出てくることに驚きを隠せないのだろう。彼女が表に出て来るのは常に必要最低限、出て来ても口数少なく権力に興味があるようには見えなかった。
誰もが硬直する中、夫の水仙だけは立ち上がり、紫苑の方へと大股で近付いた。そして、彼女にだけ聞こえるように小さな声で囁いた。
「紫苑、何を考えている」
「自分の勤めを果たしに来ただけです」
「紫竜殿に住まうお前以外に勇者と雪羅を逃がせる者はいない」
「私が二人を逃したと疑っているのですか? 勇者の力は未知数。奇跡を起こして逃げたのではないですか?」
「そんなものはあり得ないっ!」
「あらっ、言い掛かりです。それとも雪羅に反抗する気ですか?」
紫苑が水仙を強く睨みつける。この場で一番立場が高いのは彼女だ。
水仙は無礼が過ぎたことを自覚し、頭を下げ一歩引いた。
邪魔がなくなった紫苑は前へと進み、先程まで水仙が座っていた位置へと立った。
そして、高らかに宣言する。
「私が雪羅様が見つかるまでの代理として雪羅をやります。異論がある方はいますか?」
彼女は正式に継承権一位と決まっている。誰も異を
唱えられるものはいない。
「では、決まりですね」
紫苑は、水仙に目を向けた。水仙は紫苑の意図がわからず、探るように彼女を観察していた。
「さて、摂政である貴方にはこの件の責任を取って貰わないといけないわね」
水仙は反論しない。ただ彼女の言葉を待つだけだ。
紫苑の真意がわからないと、余計な一言が命取りになる可能性がある。
先程まで固まっていた会議の面々は水仙が追い詰められていると知り、この後の展開に目を輝かせ、笑いを堪える者もいた。
「まず、あなたには摂政を下りていただきます。空いた席は牡丹に兼任させましょう」
「そ、そうか」
水仙は突然の申し出にただ頷くことしかできなかった。
「あなたがたった一人で、逃げた雪羅様と勇者を連れ戻してきなさい。見事成し遂げたら貴方の事を許しましょう」
「一人?」
「ええ、こちらからは誰一人あなたには付けませんが、あなた自身が勝手に仲間を集うのは許しましょう。ただし、財産で人手を集めるのは不可能と思ってください。あなたの財産は全て私が差し押さえましたので」
「ええ……」
水仙は己に課せられた使命の困難さに、全身の力が抜けていった。
報酬もなしに、己の仕事を投げて水仙を手伝ってくれる者が薊ぐらいしか思いつかない。
この話が落ち着いたら一旦薊のところへ行こうと、水仙は考えていた。しかし、その考えは紫苑に読まれていた。
「それと、薊は私が預かっておくから。今は白銀雪殿の奥深くに今頃居るから、あなたは手出しできないわよ」
「それはどういうことですか!?」
水仙とは別の方角――、金雀枝が机をバンと叩き立ち上がりながら声を荒げたのだ。
「紫姫様、薊は私の妻です。勝手に閉じ込めるなど止めていただきたい」
金雀枝には四人の妻がいるがそのすべてを最高の宝物のように大事にしていた。宝物を知らぬところで奪われたとなれば怒りがはじけるのも無理はない。
「これは国としての決定よ、内府にはそれを覆す権利はないわ。まあ、閉じ込めるといっても悪いようにはしないから安心なさい」
金雀枝は今は何も出来ないことを自覚し、悔しそうに席に着いた。それに、紫苑が悪いようにしないと言うのであれば身の安全は保障されていることがわかり、冷静になったとも言えるだろう。
一方、水仙は唯一の頼み綱である薊が使えないと知り、いよいよ己の孤立を実感し絶望していた。
脳内の記憶全てを辿っても薊以外に身分がない水仙に協力する者が思いつかなかったのだ。
「では、あなた。頑張ってね」
紫苑は作り物の完璧な笑顔で、水仙の背中を押した。
部屋から追い出された水仙に紫苑の付きの女官が三人群がって来た。
その女官は水仙に麻の着物と藁の草履と木の棒を差し出した。
「えーと、これはくれるのかな?」
「着替えてください」
「え?」
「雪羅様の命令です。これに着替えて今着てる服は返してください」
「それはちょっと酷くない?」
「もし逆らうようなら、無事目的を果たし帰還しても元殿下の席はないとのことです」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと水仙は従うしかない。水仙は大人しく着替えて着ていた着物を女官に渡した。
用が済んだら女官達はそそくさと立ち去っていった。その女官の集団が見えなくなったと思ったら、その内の一人が水仙の元へと急ぎ足で戻ってきた。
「これ、良ければお使いください」
その女官は着物の懐から木で出来た鍋の蓋を取り出し水仙に渡した。
「え? あ、ありがとう。でも、これどうしたら……」
「盾の代わりにでもお使いください」
「盾!?」
「それでは」
彼女は周囲を気にしながら、小走りに去って行ってしまった。
水仙は、鍋の蓋を怪訝そうに見つめ利用方法を考え抜いた末、ないよりかはマシという答えに行き着いた。
水仙は途方に暮れたが、白銀雪殿に長居をしては紫苑の機嫌を損ねるだけだろう。取り敢えず敷地外に出ようと行動を開始しようとしたところ、今度は別の誰かに呼び止められた。
振り返るとそこにいた男は、政敵である時雨木槿だった。
「私を笑いに来たのか?」
「そう好戦的な目で見るな」
水仙は煙たそうな態度を一切隠さなかった。木槿は叔父ではあるが水仙とは同じ年で、子供の頃はよく遊ばされたものだ。
幼い頃からよく水仙に突っかかってきては、邪魔をしたり嫌味を言ってくる煙たい男であった。
「水仙殿。お前がどうしてもと言うのであれば私の兵を貸してやろうか?」
木槿の提案は有難いものであるが、この男が裏がなく水仙に手を貸すわけがなかった。
どうせ隙を見て兵士を使って自分を暗殺するつもりだろうと水仙は瞬時に判断した。
「左丞相、この混乱の最中に大事な兵をお借りするわけに参りません。それに中途半端な実力の兵では私の足手まといになりましょう」
「くっ、貴様は相変わらず……」
「それでは」
水仙は笑顔で頭を下げ、木槿の元から立ち去った。
向かうは人間が住まう曙の国――。鬼の国では身柄を確保される可能性が高いため、勇者と雪羅はそこに行くしかないだろう。
水仙は重い一歩を踏み出した。




