水仙ピンチ
青年が小柄な少女の手を引いて森の中を進んでいた。
その森は大きな木々が鬱蒼と茂り、昼間だというのに明かりが十分に入らず、薄暗く湿っていた。
足場は悪く、青年は少女を気遣いながらゆっくりと足を進めていた。
「大丈夫? ゆっくりでいいからね」
「ありがとう、あなたの優しいところ大好きよ」
少女は花が咲くように笑った。
青年は少女の笑顔につられて、顔を綻ばせた。
青年にとって、少女は最高の癒しを与えてくれる存在だった。
少女の頭を撫でる時、少女が怒って頬を膨らませた時、少女を抱きしめながら眠りにつく時、少女と過ごす全ての時間を青年は愛していた。
「人間の方の国に入ればここまで隠れる必要はないと思うから」
「楽しみだわ、そうしたらあなたと一緒に過ごす暮らせるのね」
「僕では楽をさせてあげられないけどね……」
「いいのよ、そんなの。私だって魔法は使えるし、魔法で補えない部分は手に豆を作って頑張るわ」
少女はそう言いながら青年に両手を広げて見せた。
青年は少女の手に自分の手を重ね、指と指を絡めた。その手を自分の口元に寄せ、少女の細い指にそっと口付けをした。
少女の頬は、桜の花びらのような色にほんのりと染まった。
「葵、可愛いよ」
「もう、夕霧ったら揶揄わないでよ」
二人は笑い合い、未来へ続く旅路へと戻った。
※
「例の勇者は順調に育っています。俺が教えている剣術はもう勇者に教えることはないでしょう」
「そうか、菊からも報告を聞いて問題ないようなら、そろそろ決行の時か」
長椅子に座った水仙は、傍らに座る水晶を持った紅い髪女の方へ顔を向けた。
「薊、どう思う?」
「異論はありません」
「そうか」
水仙は報告に来た息子の牡丹へ下がっていいと指示を出した。
牡丹は頭を下げ、部屋から出ていく。
息子の気配が消えたのを確認すると、水仙は傍らの女を力強く抱き寄せた。
薊は抵抗する様子なく、慣れた様子で水仙の腕の中へと収まった。
彼女は水仙の占い師として常に横で鬼の国の行く末や方針を占い、助言をしていた。ただそれは表向きのことで、その実、水仙の愛妾としての役割が彼女の仕事では一番大きいだろう。
占い師としての仕事は必ずしも主君の隣にいる必要はない。ここは魔法飛び交う国。書面を魔法で飛ばし合えばいいのだから。
あくまでも薊の占い師としての肩書きは二人にとって共に居る口実にすぎなかった。
薊を抱き締め、水仙は喜びを噛み締めるようにギュッと目を瞑った。
「まだ、喜ぶのは早いかな」
「そうですね、勇者が正解と決まったわけではないですから」
「それは占えないのか?」
「異世界人は未知数なので、私ごときの占いではとてもとても」
「薊でダメなら、それがわかる者はこの世界にはいないだろう」
水仙は異世界から来た勇者を囲い、育てていた。
それは彼にある役割をこなしてもらうためだった。
この国には木火土金水に纏わる魔法がある。その中でも金の魔法は扱える者が少なく、さらに真にその力を行使できるのは、鬼の国では摂政の水仙以外に聞いたことがなかった。
金の魔法は表向きは、金の出し入れができる只の銀行としての役割を持っただけの魔法だ。
しかし、それは金の魔法の真の姿ではない。金の魔法はその名のごとく金を作ることができるのだ。ただ魔法と言えど金を作り上げるのは容易ではない。必ず何かを媒体としてその中に生成しなければならないのだ。その媒体というのが問題である。
金の魔法は強力な圧力がかかりそれに耐えられる頑丈さが必要なのだ。この世界にある物はすべて金の魔法を掛けられると、その強力な圧に耐えられず自らはじけ飛んでしまうのだった。
そこで水仙は異世界人に目を付けた。異世界から来た者は頑丈で、すべてに於いて高い能力を持っている。その中で最強と呼ばれる勇者を、水仙は運良く飼うことができた。
水仙は、勇者をその金を作るための媒体にしようとしているのだ。
ステータスが桁違いに高い勇者であれば、金の魔法に耐え抜き金を無限に生成できる媒体にできるのではないかと水仙は考えたのだ。
水仙はそのために二年掛けて勇者を鍛え上げ、金の魔法に耐えられるようになるまで成長させていたのだ。
金の魔法で金を作ることは水仙にとって夢であり希望であった。
自分が得意とした魔法の真価を発揮したいのもあるが、一番は鬼の国の安定のためだ。
鬼は人間を食う生物だ。人間の肉が一番栄養になるし、美味しいと思うように進化している。
昔は鬼は自由に人間を襲って食事をしていた。人間もただ食われているだけではなく、鬼に抵抗し二つの種族は日々争っていたのだ。
しかし、その争いは異世界から来た伝説の勇者の手によって終結した。人間と鬼は人肉協定を結び、鬼は人肉用の人間を所有しそれ以外の人間は襲ってはならないことになり、人間も人肉用の人間を食うことを許容することでお互い歩み寄ったのだ。
それから領土を巡った小さな戦はあれど、全面戦争となることはなくなっていた。
大きな戦がないと生活は豊かになる。そうなれば種族の数は増えていく。人肉用の人間では足りなくなってきたのだ。摂政である水仙はそれを解決すべき問題として周囲から要求されていた。
水仙の周りは常に椅子取りゲームが行われており、摂政の座にとって代わろうとするハイエナで溢れていた。
少しでも失敗すれば、それが槍玉に上げられ水仙を引きずり下ろそうとする者ばかりだった。水仙が金の魔法が使えるため、その力を恐れ表立って強く反発する者はいないが、会議では嫌みを言われ、発言すれば揚げ足を取られ、水仙の胃痛が増すばかりであった。
この問題を解決できれば、水仙の立場は揺るがぬ絶対的な物となり、摂政・時雨水仙に反抗する者は居なくなるだろう。そうなれば水仙には平穏と安定が訪れる。
水仙の祖父と父は、威厳を持って鬼の国を統治していた。しかし、水仙は昔から人付き合いが苦手で舐められやすい性格だった。だから、周囲の反発が先代の比ではない程大きかったのだ。
仕事にやる気があるわけではないが、先代皇帝の姉を嫁に貰っておいて失脚なぞしたら、適当な罪をでっち上げられ処刑か良くて投獄されるのは間違いないだろう。
今全ての鬼の頂点に立つぐらいが丁度いいと言えるほどの血筋と、若かりし頃に戦に出ることで磨かれ開花した、鬼の国でも指折りの戦闘能力を水仙は有していた。
それは、頂点に立つ以外の者が持つにはあまりに大き過ぎるものだった。
「もし金を自由に生成できたら、それを材料に食肉用の人間を増やせる。そうすれば私の代は安定だ」
「水仙様の次の代には続かない方法ですけどね」
「それは牡丹が考えればいい。沢山生成しておいて倉庫に入れておくぐらいはしてやるさ。市場に金を流しすぎれば価値が落ちる。それをネタに金を保有する金持ち共を脅すのも一つの手だ」
水仙は薊の腰を引き寄せた。うっとりとした目付きで薊を見つめ唇を合わせようとした時、薊が手を出しそれを静止した。
「水仙様、誰か来ます」
薊と水仙は上司と部下として違和感がない程度に距離を取ってから来客を待った。
部屋へ近付いてくる大きな足音が、立ち止まったあと「殿下、緊急事態です」と、扉の外から聞こえてきた。
「入れ」
普段走ることなどない初老の文官が、肩で息を切らし礼に則って扉を開けた。
「どうした? 真っ青じゃないか」
「殿下、雪羅様と勇者が消えました!」
「は?」
「雪羅様と勇者が駆け落ちしたのです。どこにも見当たりません」
「まことか?」
「こんな悪質な嘘があるものですか」
部下からの報告に水仙はすくと立ち上がると、脇目も振らずに走り出した。
自分の目で確かめるために勇者と雪羅を閉じ込めていた地下へと向かったのだ。




