虐殺
村へと着く頃には、私の息は激しく乱れていた。
全速力で走る鴇が速過ぎて、置いていかれないように必死だったからだ。
辿り着いた村は静かだった。人が生活しているとは思えない程に無音に包まれていたのだ。
だからだろうか、私達は小さな泣き声を聞き逃さなかった。
「鴇君あっち」
「子供だ、行こう」
お互いの顔を見合わせて頷いた。最後の一絞りの力を振って私達は声がした方へ走る。
人影が見える。子供を見下す大人はよく知った人物だった。
「渡……?」
そこには渡が居た。
渡の足下には三歳程度の子供が嗚咽を漏らしながら、胴体と首が分かれた老婆をゆすっていた。
その子供は私が日中村で手伝いをした家の子供だった。
異常ともいえる光景に一瞬動作が止まってしまうが、何とか意識を戻し私が渡に声を掛けようとすると、渡が指を軽く下から上へと動かした。
すると、目の前の子供の下から木が勢いよく生えて、子供の柔らかい肉を下から上へと切り裂き串刺しにしてしまった。
幼い子供はあっけなく死んでしまった。
私と鴇は目の前の凄惨な現場に声を失い、一瞬で命を奪われた子供から吹き出す血を浴びる渡にただ目を奪われていた。
渡がこちらへ気が付き、目が合うと魔法が解かれたかのように私達は呼吸を再開した。
「お前……」
鴇の顔が怒りに歪み、髪が逆立った。
「お前が全員殺したのか!!」
渡は鼻で笑いながら頷いた。
「許さねぇ」
「待って鴇君!!」
今にも渡に飛びかかろうとした鴇を後ろから抱き締めて止める。
私は鴇の背中越しに渡を見た。
あれは渡ではない。一緒に居たからわかる。
「渡じゃない」
目の前の人の中身が入れ代わる奇妙さに、全身が凍るような嫌悪感に包まれた。
「貴方は、輝夜様ですね」
「は?」
鴇は輝夜がどこにいるのかとキョロキョロと首を動かしていた。
渡の器を借りた輝夜は、不敵に笑った。
「柚子葉、よくぞ気がついたわね。まあ私も隠していたわけではないのだけれど」
状況を飲み込めていない鴇は、突然女言葉で話し始めた渡に口を開けっぱなしで茫然としていた。
「鴇君、輝夜様は特別な腕飾りを付けた他人の身体に乗り移る事ができるの」
以前の時間軸でその能力を使ってあなたを殺したのは輝夜だと伝えたかったけれど、本人を目の前にして言うわけにはいかない。
「柚子葉の言う通りよ、鴇とやら」
「は、はぁ」
鴇はまだ渡が女言葉で喋る違和感に慣れないらしい。完全に変態を見る目で渡の器を使った輝夜を見ていた。
「輝夜様、何故皆を虐殺したのですか」
私が輝夜を睨むと、輝夜は不機嫌そうに村を一瞥した。
「“彼”を崇める事は大きな罪だからよ。誰一人として許すわけにはいかないわ」
「逸太神の事ですか」
「そうよ」
「分別もつかないような子供が殺される程の罪だと言うのですか」
「勿論」
「そうですか……わかりました」
私はこれ以上彼女に楯突くのは止めた。今ここで渡の身体を握られている以上、彼女の機嫌を損ねるような事はしたくない。
「どんな事情だか知らねぇが、俺は許さねぇぞ!」
鴇は私を振りほどいて輝夜へと飛びかかろうとした。
私は逃げ去る鴇の背中に何でも吸い取るバキュームの能力を使い、彼を無理矢理引き寄せた。
突然私の方へと身体が動いたことにより、彼はバランスを崩し私の方へ倒れ込んだ。彼を抱き止めながら、私は輝夜に頭を下げた。
「連れが失礼いたしました」
「唐金、離せ!」
バキュームの力のお陰で鴇が私から離れる事はないが、彼の力は強く私ごと持って行かれそうになる。
私は彼にこっそりと耳打ちした。
「渡が死ねば、私も死ぬの。だからお願い、鴇君ここは引いて」
あまり抜きたくない剣だったが、この場の短い時間内に鴇を止めるにはこれを伝えしかなかった。
鴇は理解したのか、悔しそうに拳から血を流しながらも止まってくれた。
輝夜は渡の顔で、屈服した鴇を満足そうに鼻を高くしてみた。
「最低限の躾はできているようね」
「ありがとうございます」
「それじゃあ全員始末したし私は行くわ、渡によろしく伝えておいてね」
「かしこまりました」
憑き物が落ちたように、渡が意識を取り戻した。
渡は今どこにいるのか確認するようにぐるりと見回し、私達の存在に気が付いた。
「渡……」
「姫が来たのでござるな」
私は黙って頷いた。
渡は散らばる死体を見て、目を細めた。彼はそれだけでこの現状を把握し受け入れたようだ。
私から解放された鴇が、渡へと駆け寄り肩を掴んだ。
「これはどういうことなんだよ……」
「さあな、姫の考えだ。拙者には思いも寄らぬでござるよ」
「お前の上司だろ!」
「鴇君、渡に当たるのはやめて」
私は鴇の手を掴み、渡の肩から離させた。
「何で、何で、こんな死に方しなければならないんだ……」
鴇はその場に泣き崩れた。私も少しでも交流があった人々の死に涙を流したいが、鴇を止め輝夜に屈した私にその権利はないと思った。
「鴇君、ごめん。今はどうしようも出来ないの」
私がこの世界で自由に動くには輝夜の権威は必要だし、以前鴇と瑠璃は輝夜のこの能力で殺されている。鴇が敵だと認識されるのは危険だ。
それに輝夜はおそらく“殺せない”。
私は空を仰ぎ見てヘンタイ先輩に語りかけた。
ここに来るまでの日本での一ヶ月、輝夜とヘンタイ先輩の身に起こった事を私は聞いた。
ヘンタイ先輩は輝夜に対し深い愛情を抱いていた。
「何故、彼女の元に現れてあげないのですか……」
貴方が置いていった、選ばなかった姫が、こんな状態になっても放って置くのはとても残酷なのではなかろうか。
渡が項垂れる鴇に近付き、鴇の頭に触れた。すると鴇は力を失ったかのようにその場に倒れた。
「鴇君!?」
「興奮していたからこの男は寝かせた。明日にでもなれば起きるでござろう」
「魔法?」
「魔法の道具でござるな。姫から頂いたものだ」
渡は鴇に魔法の粉を振り掛けたようだ。それは睡眠薬のような物で頭にかけるだけで、簡単に相手を眠らせる事ができる。
輝夜特製の魔法道具の一つで、渡は旅に出る前にそういった物をいくつか持ってきたのだと私に教えてくれた。
「柚子葉もこの男と共に今日はもう休むといいでござる」
「渡は?」
「このままというわけにも行かぬでござろう」
渡は惨殺された死体の数々に目を向けた。
「私も手伝うよ」
「拙者一人で充分でござる」
「私、掃除婦だし、こういうのも経験になるから手伝う」
「いいから、柚子葉はもうこの事は忘れるでござる」
「渡の方が傷付いているでしょう。だって渡の身体で……」
「それが拙者の勤めでござる。こんな事今迄何度だってあった。それでも拙者は彼女の元に居る事を選んだのでござるよ。ここまでが仕事でござる」
渡に押し切られるように私は比較的被害の少なかった払暁の屋敷へと押し込まれた。
鴇を運び、客間に寝かせると渡は一人死体処理へ向かおうと私達に背を向けた。
そんな彼を私は呼び止めた。
「渡」
「なんでござるか?」
「輝夜様は何故ここの事をわかったのかな?」
「柚子葉との別行動の最中に拙者が式を使って姫に報告した」
「そっか……ごめんね」
彼はそれ以上何も語らず、そのまま黙って外へ戻って行った。
払暁が輝夜相手にドンパチを起こすのは時間の問題だった。
ここの事が知られればどの道全滅させられていただろう。
この村が黒だと判断した渡はその事を全て承知の上で彼女に報告し、輝夜に身体を貸したのだ。
渡の仕事を考えれば当然の事だ。理屈ではわかっていても気持ちが追い付かない。
私の心の中で“鳥塚渡”への壁が形成されていった。




