第1話 今までにないご都合主義な転移
バタン、ガチャッ。
青年は一度ドアを閉め、鍵をかけた。
「幻視ってやつか?ハーブやったこともないしおクスリに手を出したこともないはずだし残るは精神疾患を発症したかってところだが・・・」
そして、もう一度ドアを開ける。
何も風景は変わらなかった。そして日差しも風も暖かい。
「知覚まで変わるってのはありえなくもないが・・・」
青年は部屋の温度計を外に掛けてみた。12月の朝の室温としては低めであった12.5℃からぐんぐん上昇していく。
「少なくとも寒いものが暑く感じるって訳では無さそうだな」
青年は呟く。
「そういえば、ベランダ側はどうなってるんだ?」
部屋に戻ってレースカーテンを開ける。結果はドアと同じであった。
「この部屋だけか?それにしては・・・っとあれ?」
青年はDVDプレーヤーの電源が切れていないことに気付いた。
「まさか?」
と思うやいなや、ドアを開け、通路に出る。どうやら建物ごと移ったようであった。
このアパート、大家が数年前の震災で停電となった折に、
「ソーラーパネルと太陽熱温水器を屋根の上に設置すれば停電時も電気も使えるしガスが止まってもお湯が供給できるわ!そして、エコっていうアピールが出来るわ!これで入居者の少ないこのアパートも・・・」
とのたまって設置されたものが異世界でも文明的な生活を営むにあたり十分活用されうることに対しては、大家に感謝するほかない。その後、設置したのは良いが近くにタワーマンションが立ち、日中のほとんどが日陰となり、その結果自分を含めて3人いた入居者が自分一人になったのは何かの皮肉であろう。
階段を降り、慎重に地面に足をつけてみる。
地面には問題が無さそうであった。そこで青年は思い出す。
「そういえば、地下の駐車場は・・・・」
建物を一周し、駐車場の入口を目指す。
「良かった。あった。車はどうなってるんだ?」
駐車場へと入っていく。
「おっ、ちゃんとあるな。2台とも」
青年が大学進学を機に買ってもらった中古車と、近年のガソリン価格の高騰によって過大な支出となりつつあるガソリン代と整備費用を稼ぐために競馬に行って百万馬券を偶然当てた時に親に内緒で購入した電気自動車が特に被害もなく鎮座していた。
駐車場を後にし、建物まわりを一周しながら分かったことは、ここは壁で区切られた広場のようなものの内側であるということであった。
やや遠くに見える門の方が騒がしくなってきた。どうやら人が来たらしい。
しかし、何かおかしい。競馬場で馬が走っている時に聞こえてくる様な蹄の音が聞こえてくる。