第683話 クーリッジは疲れた身体に自ら鞭をうつ⑥
『【気】とは生命エネルギー、自らの戦う気力を維持する限り無尽蔵に発現できる』というのも開祖の武闘家の言葉だったか。
クロサガ王国で広く信仰され、練気場でも最初に教えられる有名な教えだが、実際、無尽蔵に【気】を発現できる【気使い】などいないだろう。
あえて言えば、その形に最も近いのが真澄さんだ。
【魔王】戦の時、その一端を垣間見た。
どれだけ劣勢であっても精神状態を保ち、半永久的に【気】の質を維持できていた。
【気】の在り方に淀みがなかった。
たとえ、心に動揺があってもそれは表層的なもので、根っこの部分で揺らいでいないせいだろう。
あの清廉な【気】の在り方は僕の目標の一つだ。
初等教育で開祖の武闘家の言葉が教えられるのは【気】の可能性について指導したいせいだろう。
僕も含め普通の人間は【気の精製】を行うとき、精神の影響をダイレクトに受ける。
心に不安や心配な気持ちがあると【気】の精製が上手くいかないのだ。
逆に自信や確信がある時は指を動かすのと同じぐらい意識もせずに精製できる。
意識しないぐらい集中できてる状態が最もいい状態だと言ってもいい。
冷静になって考えると心の状態によって出来が左右されるめんどくさい能力なのだ。
だとすれば、今の状態はまさに最悪だ。
【気】の残量について意識し、疲労困憊で雑念も多い。
こんな状態で今からやろうとすることが成功するのだろうか。
確信などない。選択肢がそれしかないから選んだだけだ。
僕が選んだ策とは死ぬ覚悟で【赤量裂波砲】を撃つというものだ。
我ながら馬鹿げた策だ。
『気は精神の影響を大きく受ける』、『自らの戦う気力を維持する限り無尽蔵に発現できる』その言葉に賭けるのだ。
正直、精神論過ぎて好きではない。毛嫌いしてきた類の技術だ。
しかし【白癒眠】、あれはほぼ成功した。
あれも伝説の技術の一つで、文献では『白き気を纏う者、心技体の全てを絞り尽くし戦った後、内なる心が自ずと快癒へと導くだろう』と非常にいい加減なことが書いてあったのだ。
どの文献を見ても似たりよったりの記述しかなかった。
【白癒眠】を使った人間はコントロールして使ったというより、勝手に回復してたって感じだった。
原因は分からないが現象と発動条件はハッキリしていたので先人が書き残していたのだろう。
【気】の技術にはそういった精神由来の技が多くある。
それも高難度の技に多いのだ。
死ぬ覚悟で撃つ。
その覚悟が威力を底上げしたという文献を読んだ記憶がある。
当時は一笑に付して、鮮明に覚えていないが理屈は揃っている。
自らの覚悟に賭けるのだ。
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