第105話 私を助けくれる人が戦う神の悩み
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RDHはもう何度目になるかも分からないエミリーの存在の放棄を提案してきた。当然、そんな要求は突っぱねるだけだ。たとえ相手が神であろうとも。
「それに、さっき反応があったもの、冥竜王を見たときも大きな反応があった。私達のやっていることは無駄じゃないわ」
「無駄ではないか…この世界はお前が言ったとおり異界人の娯楽の産物であるはず。お気に入りのおもちゃが壊れたとてまた買えば済むだけの話ではないか。なぜ、そこまでエミリー・アブストラクト・エクシードに拘る! 春日井真澄!」
「自分を救って欲しくて必死ね、訓蒙と審判の神レディアス」
「なんだと!」
空間に猛烈な怒気が室内に充満する。なるほど、これが神の怒りというものか。
「あんた同じ問いを3度も私にしたわよ。一回目は第一階層のホテルの前で、二度目はヘンドリュック自由街、三度目はたった今。あんた自身が自分の命に価値を感じられないから他人の言葉で肯定を得たいんじゃないのレディアス。それもこの世界の人間にではなく、異界人によって」
ずっと疑問だった。第一階層でも私を見逃し、ヘンドリュック自由街でも私を見逃し、そして今ここ、エクシード王国王城巨大礼拝堂でも私を見逃してくれる。全てエミリーのためだと思っていたが流石にさっき戦闘中のエミリーへの声かけまで盗聴しているのは明らかにおかしい。ストーカーか。
むしろ、目的がエミリーではなく私にあるのではないか? 私が初対面の神のお眼鏡に叶う理由ってなんだろう。分からない。ならばRDHの気持ちになって考える。衣食住は問題ない。ではそれが全てそろえばなんの悩みもなくなるかといえばそうではない。祥君なんかはその欠けた何かを補うために、プレイヤーの大量殺人にまで及んだ。
しかるにRDHはどうか。もういちど言うが衣食住は問題ない。
しかし、自分の住んでいる世界が異界人に作られたゲーム盤で自分はその中で駒でしかないと気づいたらどうなるだろうか。ゲームマスターの気分次第で自分の存在を根こそぎ変えられるかもしれない。ゲームマスターの気分次第で、明日、世界が滅びるかもしれない。ゲームマスターの気分次第で人格を変えられその滅び行く世界を悲しみながら見ることもできないかもしれない。神であるならば永久の命があるかもしれない。しかしゲームマスターの気分次第で5分後に消滅させれてしまうかもしれない。
そんな世界で果たして彼は正気でいられるのだろうか。そのように苦悩し葛藤していることもゲームマスターの指示なのかもしれない。そんな苦しみに耐えられるのだろうか。しかも時間無制限で。そういえば、彼もプレイヤー狩りとかしていた。自分が消滅する怖れを抱きながら彼はプレイヤー狩りの中で自分の存在理由を異界人に問いたかったのではないか。自分は壊れた人形とどこが違うのかを。
「けど、答えてあげる。確かにセカンドワールドオンラインは私達の娯楽の産物よ。けどね、娯楽といっても命を賭けてやるならそれはもう娯楽じゃないの生き様よ」
そう、世界がゲーム盤なのはセカンドワールドオンラインだけではなく、現実世界も同じなのだ。環境が変われば価値観も代わり昨日まで白だったものが黒になることだってある。健康診断でなんの病気も無いと診断されて、この先50年は生きていける医者に太鼓判を押された帰り道、車が飛び込んできてすぐ死ぬことだってある。確かなものなどこの世になに一つなく、みな移ろい変わりゆくものなのだ。
ならばこのゲーム盤の世界で儚い人間がどう生きるべきか。
それは熱量だ。どんなものでもいい熱量を込めて行動すれば今まで開かなかった扉が開く。私はそれをこの世界の人間から学んだのだ。
読んで頂きありがとうございました。明日の投稿時間は未定ですがまた、今から書きます。
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