接触
「……は……であるから……」
午後の授業は複合術についてのものだ。
これは二種類以上の属性が使用可能でなければならない。このクラスは大半以上の者が二種類、あるいは三種類使えるので、授業を行っている。
一応、六ある属性のうち、闇を除く五種類を使えるので話を聞かなければならないのだが全く耳に入ってこない。さっきの少年が脳裏をちらついている。
エストは隣に座るウェルカに小声で話しかけた。
「ねぇ、謝るにはどうしたらいいかな?」
「質問が理解できない。とりあえず、会ってみればいい?」
さっき閉じたはずの分厚い書物を読んでいるウェルカから曖昧な返事が返ってきた。
彼女も火と風が使えるのだが、話を全く聞いていない。むしろ本で勉強している。
「誰だかわからない」
「じゃあ放っておけば?」
「それはなんか悪いし……」
そう言って頭に手を持っていったとき、一人の男子が声をあげた。窓際の生徒だった。外を見て驚いたのだろうか。
「おいヤベーって! クラックのヤツ《展開》してるって!」
《展開》というのは、簡単に言うと、精霊術を使ったり喚んだりすることなどだ。この学園ではそういった《展開》は極力使用しないようにと言われている。危害を及ぼすかもしれないからだ。
声が響いたとき、最初に移動したのは教師だった。焦り顔で飛び出していった後、続けて生徒も出ていった。もちろん、エストやウェルカも流れに乗って外に出た。
庭には他のクラスの生徒は来てないようだ。エストはまばらな人だかりの中に入り見た。
囲まれていたのは対立しているような二人だ。
一人は学園での問題児。入学してから一度も授業に関係してないという。だがその割には、術の扱いがうまく、強いという噂が流れているのだ。見る限り、威力は一流だ。
もう一人は異国風の服を着た、可愛らしい顔立ち。名も知らぬ昼間の少年だ。慣れない剣さばきで喚び出された騎士たちと懸命に戦っている。
剣戟の中、幾人かの生徒は「もっとやれー」「そいつを倒せー!」などと煽るものから「クラックを負かせー」「いけいけー!」と少年を応援するものまでいる。
やがて、場に教師たちも現れたが、割って止める気配がない。むしろ評価をしているような目で見ている。
それから数分が経ち、騎士が一体まで減ったとき。
「サラバだ‼」
クラックが言う。すると最後の騎士が少年に肉薄し、剣を縦に振り下ろす――がそれよりも早く、少年が剣を横に振り抜き固い胴体を両断した。
二つにわかれた騎士は光の粒子になって虚空に消え、また、少年の手にある剣もまた消滅した。同時にクラックが情けなく尻餅をついた。そして少年が近づいたとき、来ていた教師たちが駆け寄った。
「そこまでだ。誰だ君は?」
一人の男性教師が言った。
「えっと……カナタ…………?」
周りを囲む教師陣の顔を眺め、疑問符を浮かべた。
教師たちすぐさま生徒たちに教室に戻るように指示すると、抵抗する少年をどこかへ連れて行った。
エストは連行される少年の背中を見た後、校舎の中に入った。
◆ ◇ ◆ ◇
「あーあ、まったく!」
カナタは二度目の学園長室に連れていかれ、今度は二、三人の教師に囲まれて怒られた。特に怒ったのはマリアルだ。
他の奴らももちろんだが、貴族のあいつには絶対に手を出すな。あいつに何かあればいろいろと面倒なんだよ! などと、怒られた。正直、よくわからない。
カナタはドカッと壁に寄りかかった。
「貴族ってそんなもんかね……」
空を見上げる。さっきまで真上に位置していた太陽は少し傾いた。だが大して変わりはない。
降り注ぐ日差しと頬を撫でるようなそよ風が気持ちよく、ついうとうととして――
目を覚ましたのはおそらく数時間後。日はすっかり落ち、空は濃紺に染まっている。
夢を、見ていた。
それは幼い頃の、亡き母との思い出。
母はよく理解に苦しむ話をしていた。特によく言っていたこと。
『私は独りでいつも寂しかった。だけどね、彼だけは私を認めてくれたの。彼がいたから私はこの世界に足を踏み入れられたの。私は――』
……思い出せない。ここから先が。
「あの、大丈夫?」
……何か大切なことを言っていた気がするのだが。とても重要な。
「あの――!」
「はいっ!?」
突然耳元で叫ばれた声にビックリし、カナタは勢いよく壁に頭をぶつけてしまった。
「あ、やっと起きた?」
少女の声が耳に届いた。
「いてて……、誰だ……」
頭を擦りながら視線を上に持っていく。
暗い中、そこにいたのは見間違いでなければさっきの少女。白い服に小柄な身を包み、心配そうな表情でこちらを見つめている。
「お前……、水……」
一瞬しか見えなかった顔と、目の前の顔を照らし合わせて確認する。すると。
「あああやっぱり覚えてるよね。その……ごめんね」
名も知らぬ少女は深々と頭を下げてきた。
少々理解に苦しんだが、カナタは立ち上がった。
「俺はそんなの気にしてないって。つーか誰?」
訊くと、気持ちを落ち着かせるように息を吐いた少女はゆっくりと答えた。
「私はエスト・ローレンス」
「なんで俺に水を?」
「ちょっと、練習……って!」
「っと、悪い……」
流れでつい訊いてしまった。
こほんと一つ咳をすると、カナタはふと疑問に思ったことに話題を切り替えた。それはこのあたりが異常に暗いということ。
これまで過ごしていた東京じゃなくても、この暗さは日本ではありえない。完全に太陽が姿を隠せば、周りが全く見えなくなりそうだ。
「今日は月が出てないのか?」
当たり前のように訊いたが、エストは疑問符を浮かべた。
「ツキ? ……って何?」
「ほらあの……ない? こう、夜に出る太陽みたいな……」
指を使ったジェスチャーの後、カナタは空に目を移したが、そこにはやはり輝くような月はない。
「夜に太陽って、面白いね君。それ何の話?」
エストは笑いを交えながら言った。
これはいよいよやばい話だ。
今までは心の隅で地球のどこかだと信じていた。だが日本は知られてないし、月も知られていない。まるで全く別の世界のようだ。地球から遠く離れたどこかの星。
カナタはどこか慌てた様子で、だけど気持ちは落ち着かせてる感じで訊いた。
「ここはどこなんだ?」
しっかりした答えを期待した。しかしエストから返ってきたのは全く違うものだった。
「とりあえず私の部屋行こ? 気になることがあるし、それにいつまでも外にいると先生に怒られちゃうしね」
カナタの手を取りながら言ったエストは歩き出した。
俺を部屋に連れ込んでいいのか!? と言おうとしたが言えなかった。
知らない人の対応には気を付けましょう(笑)