困惑と疑惑
学園裏の林から懸命に駆けてきて、急いで校舎に戻ってきた。昼食後の練習はまた失敗に終わった。おまけに今日は知らない誰かに攻撃をしてしまった。
……どうしよ~!
席に着いたエストは、頭を抱えて机に伏せた。そしてあの少年の顔を思い出す。
――なんて言えばいいんだろう。男の子だったけど……大丈夫かな。
そんなことを考えていると、隣に座る女子生徒が落ち着いた声で話しかけてきた。
「どうしたの。また、失敗?」
「ウェルカ!?」
エストは跳ね起きた。
サクラ色のショートヘア、無気力な瞳、常に離さない古い本。ウェルカはペラッとページを一枚めくって、次のページを読み始める。
「どどどどうしてそれを!?」
失敗したことを知っていてビックリしたのか、上手く舌が回らなかった。だがウェルカは変わらず返してきた。
「今、落ち込んでた。いつもそう」
「……ということは、既にばれてた?」
「私には」
「うぅぅ~……。情けないよね、小天使なのに」
呻きながら、エストはまた机に伏せた。
「苦手な属性くらいある。はず」
「…………」
小天使というのは実体を持つ高位の古精霊だ。人型であるが故に、多量の精霊に関しての知識と高い魔力を持っている。更に、文書によれば、苦手とする属性が無いと言われている。しかしエストは水属性が苦手なのだ。
視線だけを動かしウェルカの方を見た。そのとき、彼女は古びた本をぱたんと閉じた。
「そろそろ始まる」
「え、あ、うん」
ゆっくりと起き上がり、数段下に見える教卓に目をやった。するとちょうど教室の扉が開き、紫のマントを身に着けた男性教師が入ってきて、教卓に荷物を置いて言った。
「よしじゃあ、始めます」
◆ ◇ ◆ ◇
誰だかわからない人に無理やり連れてこられ、とても偉そうな人の、立派な扉の部屋の中。学園長と呼ばれた、白い髭を生やした老人の前に立たされて数分。
「……ではもう一度問おう。お主はどこから来たのじゃ?」
ぷはー、っと学園長は吸った煙をはいた。
もう何度目かわからないくらい答え続けた答えを、カナタはまた口に出す。
「だから日本だってば!」
「二ホン……。ふむぅ……」
唸りながら髭をいじる。
「学園長、ちょっとよろしいでしょうか」
と言ったのは、カナタをここに連れてきた赤髪の教師だった。
「よろしいぞ。Ms.マリアル」
目をつむり、力を抜きながら言った。するとマリアルはカナタに近づいて、顔を睨みつけた。
「お前、どうやってここに入ったと言うんだ? 特別な許可がない限り民間の立ち入りは不可能なはずだが?」
「いや、だから知らねーけど、その……赤毛の犬っぽいやつに引っ張られてきたら、ここにいたんだよ!」
焦り気味に答えると、マリアルがまた訊こうとした。そのとき、その後ろから「やめておけい」という学園長の声が聞こえた。
「ですが……」
「その坊主は二ホンから来たということじゃ。それ以上問い詰めることはない」
「……はい」
返事をすると、マリアルは大人しく引き下がった。
「もう帰ってもよいぞ」
「いやぁ、あの、帰りたいんだけど……帰れないっつーか、帰り方がわからない……」
それを言うと、白髪の学園長の目が見開かれた。
そして口が開かれ――。
「はぁぁ……」
やっと解放されたカナタは、外に出て学園の壁に寄りかかって深い溜め息をついた。
――どうなってんだよ。
カナタは学園長の言葉を思い出した。
――早く帰りてーのに。
先ほど、特に理由を説明されることなく「ここにいなさい」とだけ言われて部屋を追い出された。
一面が緑に染まっている学園の庭を叩いた後、空を見上げた。そのとき、カナタは気が付き壁から離れて芝の上に大の字になった。
目が捉えたのは、雲一つない青空。広くて、澄んでいて、遠くて。かつてこんな空は見たことがない。今までは高いビルが突き刺さる小さくて四角い空しか見たことがない。今この瞬間、空はやはり広いということを改めて実感した。
眩しい太陽に手をかざし、ぐっと握りしめた。
「おい、そこの平民」
突然、まだ声変わりしきっていない声が、カナタを平民と呼んだ。
「……誰だ?」
戸惑いを浮かべながら身体を起こし周囲を見渡すと、左に、偉そうに立つ少年を見つけた。
くねくねと捻りが加わった金髪。いかにも、お坊ちゃんといったような顔立ちで、口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。
着ているのは白の素材に赤っぽいラインが入った制服のようなもの。生徒だろうか。
「誰だお前?」
「僕はクラック・ヴェーコン。今物凄く暇なんだ、僕を楽しませろ」
そう言うと、クラックはぼそぼそと何かを唱え始めた。
「ベーコン……?」
そう発音された言葉を確かめ、思わず笑いそうになった。だが笑い声は出さなかった。そのとき、唐突に目の前で何かが弾けた。
「かまえもとらないからには、ちょっとは楽しませてくれるんだろうね」
クラックは笑いながら言った。
「って~……」
弾けた何かの威力でカナタは後方にのけ反り、そのまま倒れたが、何事も無かったように頭を掻きながら立ち上がった。
「いきなりなにすんだ……!?」
抗議しようとした刹那、同じようなものが数個、今度は全身を覆うように弾け、煙を生んだ。
「ふん、どうだ僕の光属性攻撃は」
煙の中のカナタにむかって自慢気に呟いた。しかしその顔に浮かぶ余裕は煙が晴れると同時に消えた。
「ふ~、なんだ今のは」
「なっ……! くっ……」
クラックは唇を噛みしめ、更に詠唱を繰り返し、カナタに光属性攻撃を叩きこんだ。だがいくら撃とうとダメージはない。
「どうした、お前の攻撃はその程度なのか?」
からかうような口調で言うと、クラックは癇に障ったのか、さっきとは別の言葉を早口で唱えた。そして数秒――
「くらえ、我が精霊術|《喚霊青鎧騎》《シュヴァリエ》!」
言うとクラックの手前に幾つかの魔方陣が現れ、数体の剣を携えた鎧が現れた。
驚いたカナタは一歩後ずさる。
「なんだよこいつら」
「僕の精霊に喚ばれた騎士たちだ!」
余裕の表れか、髪をいじりながら偉そうに声を発した。
説明を聞いたカナタは――また笑い出した。
「カイロ……くくっ……」
「笑ったなお前。何がおかしいんだ」
「だってさ。お前らの名前がかわいそうだなって」
とうとうクラックが怒った。
「君は許さん! 僕にやられるがいい! ……とは言え抵抗できないやつをなぶったら完全に僕が悪いことになってしまう。それをとれ」
言葉の後、カナタの目の前に一本の十字型の剣が現れた。
◆ ◇ ◆ ◇
カナタが去った後の学園長室。
ジーヴィルは深々とイスに腰掛けて、いわゆる煙草をふかしている。
「ジーヴィル学園長」
名を呼び、マリアルは机に手をついた。
「なんじゃ」
「さっきの少年なんですが」
「ふむふむふむ……黒……か!?」
ジーヴィルの語尾が乱れた。突如、マリアルがそのばにあった本で思いきり叩いたからだ。
「なんじゃい、もっと年寄りをいたわらんか!」
「契約精霊をくだらないことに使うあなたが悪いです。それとももう一発、痛割りますか?」
足元の小型精霊を踏み潰し、微笑みながら本で手のひらを叩く。
「あわわわ、やめじゃやめ」
「じゃあ答えてください? それとほかの精霊ももちろん……」
「ばれとったか」
言ってジーヴィルが手を打つと、室内の数か所でぽんと音がした。
「で、あの坊主についてじゃったな?」
瞬時に真剣な表情に変わった。
「はい」
「あいつも黒じゃ。故にわしらが観察する必要がある」
「どうしてですか?」
先ほど叩いた本を本棚に戻し、マリアルは訊ねた。
「お主はあの不穏なものを感じたか?」
「はい……」
「そういうことじゃ」
「ましてや、生徒にする、なんてことも危険すぎて出来ませんからね」
人の名前は笑っちゃダメですよ(笑)