クリシュナそしてアイザックより、愛を込めて
アイザック・ドラクレスティがクリシュナ・エゼキエルと名乗り始めた理由と、アイザックとエゼキエル家の家族の絆のお話です。
ラジェーシュの父であるクリシュナとアイザックの出会いはもう、50年以上も前のこと。当時、クリシュナは10歳。クリシュナの父は公務員で、父と母と、クリシュナと兄と姉。少し裕福で、普通の家庭。
ある日クリシュナが友達と遊んだ帰り、いつもより少し遅くなって、日が暮れてしまった。慌てて帰宅すると家の中はメチャクチャで、クリシュナの家族は皆殺しにされていた。
突然の事に状況がつかめずに、クリシュナは血の海の中で呆然として、徐々に湧き上がってきた涙に、母の遺体を抱きしめて慟哭した。
その時、屋敷の窓からアイザックが入って来た。
入って来たアイザックは一瞬で状況を悟って、クリシュナの元に歩み寄ってきた。クリシュナはアイザックに涙に濡れた顔を向けて言った。
「あなたが、殺したの」
「違うよ。でも、ねぇ、家族はみんな?」
「みんな、みんな……うわぁぁぁ!」
泣き叫ぶクリシュナをアイザックは優しく宥めて、警察を呼んで葬儀まで手配してくれた。
母と父がどういう経緯で結婚したかはわからなかったが、クリシュナには身寄りは一人もいないようだった。
この家にはもう住めない、住みたくないと言って、その家は売り払った。残されたのはその金と、両親が残した多少の財産。それ以外は何もない。アイザックはクリシュナに言った。
「僕と一緒に暮らそうか」
「いいの? 知らない人なのに」
「いいよ。ここまで関わったんだから、もう知らない人じゃないでしょ」
「うん」
クリシュナの名義で家を借りて、二人で暮らし始めた。最初は両親の残した財産で生活して、アイザックは通訳の職にありついて、クリシュナも転校し、復学した。
そうして暮らし始めて、18歳になったクリシュナも働き始めてしばらく経ったある日、クリシュナは一人の女性を連れて来た。
「この子と結婚したい」
連れて来たのはスラム育ちの孤児の女の子だった。アイザックは二人を祝福して、3人での生活が始まった。
程なく二人の間には子供が生まれた。それがラジェーシュだった。幸せだった、4人での生活。それがある日、3人になった。母が交通事故で死んでしまった。
ラジェーシュはまだ1歳にも満たなかった。ベビーシッターなども雇えなかった。クリシュナがラジェーシュの面倒を見ることにして、アイザックは働き続けた。
ラジェーシュが5歳になった時、ラジェーシュは病気になった。クリシュナは心配して、必死に看病した。その病気は子供なら一度はかかる病気で、死ぬような物ではなかった。
だが、大人が罹患すれば死に至ることもある病。クリシュナは子供の時分にその病気に罹患しておらず、感染した。
病の床でクリシュナはアイザックに言った。
「おじさん、お願い。ラジェーシュをお願い。俺の持ってる物は全部おじさんに託すから、ラジェーシュだけは、助けて。ラジェーシュには淋しい思いをさせないで。ラジェーシュには、家族を失った悲しみを背負わせないで。ラジェーシュには幸せになってほしいんだ。俺が死ぬ事を、ラジェーシュには……俺が死んだら、おじさんが……」
23歳と言う若さでクリシュナは死んで、それを隠すために葬儀もせずに、クリシュナの体は遺言通りアイザックが取り込んだ。病気で死んだ人間の体は吸血鬼にとっては毒にも等しかったが、それでも友との約束を果たすために喰らった。
親友を失った悲しみに、涙を零しながら。
その日からアイザックは、「クリシュナ・エゼキエル」の名をかたった。勉強してクリシュナの戸籍も得たことで、一月後には大学の研究室の職に就けた。
安定した職に就いたことで、ラジェーシュの面倒を見てくれる人を雇えるようになって、生活自体には問題はなかった。
「おじさん、お父さんは?」
「病気がよくなくてね、遠くの病院にいるよ」
「そうなんだ。早く良くなって、お父さんに会いたいな」
「そうだね」
ウソを、吐き続けた。ウソに満ちた生活は優しく、暖かだった。ラジェーシュは幸福だった。優しい養父、裕福な生活、安定して平和な日常。ただ、父とアイザックのことが気がかりだった。子供心に、普通の人とは違う異質さには違和感を感じていた。
ラジェーシュが12歳になって進学する頃に、アイザックを糾弾した。
「本当は、お父さんは死んでるんだね。あの時、やっぱり病気で死んでしまったんだね」
何日も何か月もしつこく尋ねて、アイザックはこれ以上隠し続けることは無意味だと悟ったのか、やっと白状した。
「ゴメンね。ラジェーシュが大人になるまでは、言わないでおこうと思ったんだ」
「僕が傷つくから?」
「クリシュナの、遺言なんだよ」
「僕は平気だよ。おじさんがいるから」
「ありがとう」
優しく抱きしめるアイザックの腕に抱かれながら、ラジェーシュは言った。
「おじさんが人間じゃなくても、僕には大好きなおじさんだよ。僕の2人目のお父さんだよ。だから、ずっと一緒にいてね」
その言葉に、アイザックは涙を零した。
アイザックはより一層懸命になった。着実に大学での地位を重ねて、たったの10年で准教授にまで上り詰めた。
二人で暮らすようになって20年。ラジェーシュもアイザックの務めるムンバイ大学の経済学部に進学し、その大学を卒業して大人になった。
女の子を連れて来た。会社で出会った子だと言う。
「この子と結婚したい」
アイザックは喜んだ。二人は新居を構えて、程なく子供が生まれた。ラジェーシュは言った。
「父さん、僕はもう大丈夫。僕も父親になった。僕ももう大人だ。だから心配しないで。僕は死んだりしない。父さんは父さんの好きに生きて、父さんの幸せを見つけて」
一人前の大人になったラジェーシュに、アイザックはクリシュナとの全てを語った。
ある日、ラジェーシュが28歳のとき届いたアイザックの手紙にはこう書いてあった。
拝啓 ラジェーシュ
最近出張続きで家に帰れなくてごめんね。今度学会で論文を提出することになったよ。学長はこの論文が認められたら教授に推薦するって言ってくれたんだけど、辞退した。もうそろそろ辞めないと、戸籍上は46歳なのにこの見た目はおかしいからね。キリのいい所で辞めて、しばらく旅行でもしようと思う。
この前知り合ったミラノ大学の教授が出身のフィレンツェを自慢してたから、イタリアにでもいこうかな。フィレンツェはルネサンスの街だし見応えがありそう。
それから、一回僕の故郷に帰ってみようかな、と思う。僕の故郷は今のルーマニアなんだ。緑が多くて湖や川が綺麗で、自然の豊かな所。あぁ、でも僕は国を出て400年以上経ってるから、今はもう変わってしまったかな。僕の住んでた城はまだ残ってるみたいだけど。
実は僕ね、当時のルーマニアの王太子だったんだよ。短期間だったけど国王もしてた。16歳くらいの頃かな。短期間だったのは国王の父と弟二人が敵国に捕らわれてしまったから。
父は敵国と条約を結んでしばらくしたら戻ってきたから、王位を返還した。弟達はずっと囚われの身。その間に僕と父は暗殺されてしまってね。
僕が吸血鬼になったのは死んでから。死ぬ前に城にノスフェラトゥっていう吸血鬼が侵入して来てて、何日も連続して僕や父や侍従たちも吸血された。吸血されたからと言って全員が吸血鬼になるわけじゃないんだ。条件がある。
まず、処女・童貞であること。もしそうじゃなかった場合は、吸血されてから死ぬ事。その死に方もただ死ぬだけじゃならない。自殺とか、惨殺、処刑。そう言った死に方。それから体質。体質が合わないと、ただ死ぬだけ。その証拠に父はずっと土の中だよ。侍従や女官たちの中には吸血鬼化したのがいたかもしれないけど、会わなかったからみんなただ死んだのかもしれない。
それから数年経って、ようやく上の弟は釈放された。下の弟はそのまま敵国に寝返ってしまった。下の方は捕えられたときまだ小さかったから、洗脳されてしまったんだね。
でも、上の弟は僕と父の仇を討とうと頑張ってくれてね。いささかやりすぎではあったけど、一生懸命国を守ってくれてた。
その頃僕は自分の墓に寝泊まりしてたんだけど、そこは修道院の広場でね、僕と父はそこに生き埋めにされて、昼間は僕らの墓の上を人が踏みつけていくんだ。
けど嬉しいことにね、多分弟の命令だと思うんだけど、ある日起きたら違う場所にいて。そこはキチンとした墓所で、僕も父も埋葬し直されてた。あの時は本当に嬉しかったなぁ。
弟の愛情が嬉しくて、僕は戦争が起きる度に扮装して自国軍の兵士に紛れて戦ってた。
弟は結局直接の仇は討てなかった。と言うより討たなかったみたいだね。仇に取り入って親交を深めたことで、従兄弟の国モルダヴィアと、仇の息子が国王に就いた強豪国ハンガリーと同盟を組んだ。
その連合軍はそりゃもう強いのなんのって! 弟は勇将って有名だったから、弟が前線に出てきただけで敵は撤退を始めるくらいだったよ。
でも、その弟も処刑されて死んでしまった。昔の王族なんて、平和な国でもない限りはみんなそんな死に方をするんだ。
今はもう亡国となってしまった、僕の祖国。今は既に亡き、僕の家族。化け物になってから、僕はずっとずっと孤独だった。
人間のふりをしても、いつかは杭を持って松明を焚いて追い立てられる。最初の頃は十字架が恐ろしかった。教会や寺院が恐ろしかった。自分が化け物であることが、とても恐ろしかった。
僕のこの髪の色ね、プラチナブロンドは実はただの白髪隠し。僕は本当は黒髪なんだけど、ストレスで所々色素が抜けてしまって。生きてる頃はそれが嫌で草木染してたんだけど。
吸血鬼になって変身できるようになって、プラチナブロンドなら目立たないなって思って、こうしちゃった。おかげで全然わかんないでしょ。
僕はね、本当は国王なんてなりたくなかったんだ。その為の勉強だってたくさんしたけど、プレッシャーに耐えられなかった。だけど長男だから、ならなきゃいけなかった。
死ぬ瞬間に少しだけ安堵したのを覚えてる。あぁ、やっと苦悩から解放されるんだ、って。
でも、目覚めてしまった。化け物になってしまった。恐ろしい生物へと変貌してしまった。
より、苦悩したよ。こんな化け物になる位なら、国王になってたほうがまだマシだって。
きっとこれは報いなんだね。責任から逃れようとした、報いだ。
クリシュナは死に際に僕に言った。ラジェーシュに淋しい思いをさせないで、家族を失う悲しみを背負わせないで、と。
ラジェーシュは僕がいるから平気だと言ってくれた。大人になって、立派になって、結婚して家族も出来た。もう大丈夫だ、と言ってくれた。
僕はクリシュナの遺言を、責任を果たせたって思ってもいいかな。
化け物の利点、僕は死なない。君に家族を失う悲しみを背負わせることはないと思う。少なくとも僕は、ね。
家族を失う事は、恐ろしい。孤独は、恐ろしい。僕はそれをよく知っている。クリシュナもそれを嫌と言う程思い知らされた。ラジェーシュにはその恐怖を体感することなく、家族と幸せに暮らしてほしい。
僕は、幸せだった。クリシュナと出会って二人で暮らし始めてから、とてもとても楽しくて、「おかえり」って笑う顔に何度泣きそうになったか。僕はクリシュナと出会ってから、孤独と言う地獄から救われた。
ラジェーシュが生まれてまた二人になって、ラジェーシュと過ごした時間は僕の人生の中では短い時間だけど、これまでの僕の人生、583年間の中で一番大切な時間だ。
ラジェーシュと過ごした時間の中で、僕はずっと嘘を吐き続けた。君とクリシュナの遺言の為に。君に嘘を吐く事は辛かったけど、君に孤独を教えたくなかった。「そのうち元気になって帰ってくるよ」なんて笑顔で君にウソをついて、あぁ、あの時の僕は心が引き裂かれるようで、君に酷い事をしているとわかっていても、「そっか、早く会いたいな」って笑う君の笑顔を曇らせるわけにはいかなかった。
クリシュナと約束したから。その責任は何があっても果たしたかった。
神の名前を貰ったクリシュナ、彼はきっと神様が気紛れに僕に引き合わせたんだろう。自分の為に、自分が大事に思う人の為に自分がすべきことを見つけて、それを全うする責任を僕に学ばせようと。
責任を果たすためには、時には涙を呑まなきゃいけないこともあるけど、それでも果たさなければならないこともある。それから逃げてはいけないんだと、僕は知った。
クリシュナとラジェーシュに出会えたことは、僕にとってはこれ以上ない幸福だ。君たち親子と出会って過ごした時間を、僕は一生忘れないよ。君とクリシュナと過ごした時間は僕の人生で一番輝いていた、僕の宝物だ。
僕はきっとこれから何十年何百年と生きていくんだろうけど、また君たちみたいな出会いがあったらいいな、と思う。もしかしたら旅行先であるかもしれないな。
旅行に行くのはまだ先になるけど、ヨーロッパをうろついて祖国に帰って父と弟の墓参りをしたらまたインドに戻ってくるから。インドは僕の第2の故郷だからね。まぁ、何年後になるかはわからないけど。
出国する時は、また連絡する。
敬具
クリシュナ、そして、アイザックより、愛を込めて