狼獣人の王太子と人間の王女の小さなキスの物語♡
「獣人の王太子と人間の王女様の塩対応から始まる結婚物語」続編です。
エリーゼの本当の名前は、エリザベスだ。
今は亡きお母様がつけてくれたという名は、外国から嫁いできた祖母の名から貰ったのだという。どちらにしても、誰かの名前だ。
エリザベスよりも、エリーゼよりも、エリィと呼ばれた年月の方が私には馴染みが良い。
***
エリーゼが目を開けると、美しい設えのベッドで寝ていた。傍らには、子供の頃に可愛がっていたテディベアにそっくりのぬいぐるみがある。エリーゼは、そのぬいぐるみを抱きしめながら、再び目を閉じた。どうも、夢見が悪かったのか、変に疲れている。誰かに一晩中見られていたような気もする。
起きたくない。
エリーゼは、ぐるぐると左右に体を揺らしながら、眠気を飛ばす。
起きたくないが、日が燦々と明るく朝食に遅れる訳にはいかない。侍女が来る前に起きなければ。毅然とした態度を示さなければ、私は我が国の代表なのだから……。でも、眠い。
「おはよう、エリーゼ♡まだ眠いのかな?」
顔に影が出来る。慌てて目を開けると覆い被さってこちらを覗き込んでいる王太子。
「あ……、」
「おはよう♡私の未来の花嫁♡疲れているのかな?君が眠いなら、このまま寝てようか?僕も一緒に♡」
エリーゼは、文字通り飛び起きると、ベッドの上に仁王立ちになった。柔らかいベッドのせいで、足をとられてのけぞる。
「きゃぁ」
「危ない!」
王太子が、長い手で彼女を掴むとそのまま横抱きに抱えあげる。まるで曲芸のような動きに目が回る。
(いや、何?どういう事?)
「ふふ、慌て者だね、私の花嫁は♡それだけ元気なら、問題無いね。早く着替えて、一緒に朝食をとろうよ。」
そう言いながら、王太子がエリーゼの頭の匂いを嗅いでいる。スーハーと深―い鼻呼吸をしている。エリーゼが、助けを求めようと扉の方に視線をやると、護衛騎士二人が呆然とこちらを見ていた。昨日見た騎士とは別だ、体付きをみると女性のようだ。侍女二人が洗面器を持って立ち尽くしている。こちらも衝撃で固まっている。
何故?
この変態王太子は、貴方達の王太子ですよね?
何で驚いているの?
エリーゼの頭皮の匂いに満足したのか(何が満足?)、ゆっくりと彼女を床に降ろした。
そして、エリーゼの足元にかがむと、室内靴を手に取り履かせようとした。
「おやめください!」
思わず静止すると、随分と低い位置から、濡れた瞳でこちらを熱心に見つめている。よく見ると、頭皮の匂いで興奮したのか三角お耳が飛び出ていた(だから、興奮って何?!)。尻尾が左右に激しく揺れている。青い瞳が、上目使いで強請るように見上げている。三角お耳がプルプルしている。凄く、触りたい。
「駄目かい?」
「貴方は、この国で最も高貴な方です。そのような行為はしてはなりません。」
「ふふ、私の花嫁なら、君も高貴だよ。さあ、私の愛おしい人、可愛い足を挙げて、その小さい指が汚れてしまうよ。それとも、私に一生抱きかかえられて生活したいのかな?私はそれでもいいんだけど。」
いや、会話が意味不明だ。
王太子の青い空色の瞳がきゅるる――んと潤んでいる。だけど、瞳の奥底が熾火のようにぎらついていた。
「あ……、お、お願いします。」
彼は、断って欲しいと願っている。
エリーゼは抵抗を諦め小さい足を少しだけあげた。この国で一番高貴な身分の男は、恭しく彼女の足を手にとり、ゆっくりと布張りの靴を履かせる。ビーズ細工で飾られた可愛らしい靴は彼女の足にぴったりだった。彼はとても満足そうに笑った。
「…ふふ、可愛い♡」
「あ、ありがとうございます。」
靴を履いた足を見つめる瞳の煌めきに慄きながら、エリーゼが未だに固まっている侍女に声をかける。
「着替えをしたいの。手伝ってちょうだい。」
「はい!婚約者様」
まだ年若い侍女二人が慌ててこちらに近づくと、王太子は名残惜しそうに部屋から出て行った。
(良かった。着替えを覗く趣味までは無いのね。)
王太子がそんな事をする訳が無いのに、彼の様子をみると安心できず、扉の方を振り返る。きちんと閉じた扉に安心すると、エリーゼは改めて侍女の手を借りて着替えをした。
***
エリーゼが、フェンリル獣人国の国民の前で、王太子と婚約したと発表して一ヶ月がたった。たった一ヶ月だったが、恐ろしく濃密な一ヶ月だった。エリーゼは自分の忍耐力がゴリゴリと削れていくのを感じていた。
(こんな事で負けるなんて、祖国でだって我儘な異母妹から散々嫌味を言われて過ごして来たじゃない。この位、どうってことないわ!)
だが、今まで受けて来た事とは真逆の攻撃に、エリーゼは耐性が無かった。
城の内庭にある東屋で、隠れるように一人になったエリーゼは、クッションの上に体を横たえる。
(ああ、疲れた。)
肉体的では無く、精神が酷く疲れている。
横たわる彼女の視界に色とりどりの美しい花が映る。庭のあちこちに色んな花が咲いている。恐ろしい事にエリーゼが来るまでは、王城に花は咲いていなかったそうだ。質実剛健、花を育てて目を楽しませるよりも、野菜を育てて腹を満たした方が良いという考えで、城の中にも花を飾る事はなかった。だというのに、エリーゼを楽しませるためにと、今ではこの内庭には様々な花が咲いている。城のあちらこちらにも美しい花が生けられている。
長く気候の厳しい田舎で暮らしていたエリーゼは、束の間、目を楽しませてくれる花が好きだ。特に野に咲く花の可憐でいて強かな花々を見えると、それだけで笑顔になる。丁度、視界に昔良く遊んだ花が咲き誇っている。そうか、もう春なのだ。
エリーゼは、体を起こすと、ふらふらと花畑に足を踏み入れそのままペタリと座った。王太子から逃げるうちに、彼女は簡素なドレスを身に付けるようになっていた。スカートを軽く重ねを少なくし、動きにくいコルセットも外し、ヒールの無い靴は、紐で脱げないようにしっかりと固定、美しい編み込みの髪は一つに纏め、無くさないように宝石も外し、汗で流れる化粧も薄くした。
獣人から逃げるために、身軽な装いになった彼女は、一方で、その姿が、彼女の体付きを誤魔化す事無く容易く想像させ、酷く食べやすくなっている事には気付いていなかった。一度でも、彼女の後ろ姿をみつめる王太子の目を見ていたら、彼女は部屋に閉じこもり二度と部屋から出なかっただろう。
エリーゼは、懐かしい花を手にとる。小さい薄紅色の花が群生している。それをぷつぷつと毟っていく。昔、何度も作った花冠。不思議と指先は覚えている。最初は上手く形にならなかったそれも二つ三つと作ると、中々の出来になった。
「出来た!」
「上手だね。」
耳元で囁かれて、エリーゼは飛び上がった。何時の間にか、彼女の背後に王子が座って、手元を覗き込んでいた。
「お、王太子……。」
「もう、名前を呼んでよ。」
「し、シェルティ様、何時から見ていたんですか?」
「君が2個目の花冠を睨みつけている時からかな、上手だね。誰にあげるの?」
「え、いや、特に……。」
あげる相手などいない。ただの手慰みだ。だけど、王太子がとても物欲しそうに素人の花冠を見つめている。エリーゼは思わず声に出していた。
「欲しい?」
「ああ、欲しい!君から、その花冠が欲しい!」
可笑しな話だ。彼は王太子。エリーゼとの婚姻後、正式に王位を次ぐ予定の男だ。それがこんな花冠が欲しいなんて。
「ふふ、では、どうぞ。」
エリーゼが、両手で花冠を掲げ、シェルティの頭上にそっと置いた。美しい金色の髪に三角お耳がちょこんと立っている。丁度、その耳を囲むようにして桃色の花が咲いている。
「あら、可愛い。シェルティ様、よくお似合いです。」
「……」
王太子は、エリーゼが笑った事に驚いたのか固まった後、顔を真っ赤に染め上げた。色白の彼が林檎のように赤く染まる。
「まあ……(なんて可愛いの)」
「わ、私も貴方に花冠を掲げても良いかな?」
そういうと、彼はゆっくりと花冠をエリーゼの頭に乗せた。
「よく似合っているよ。私の花嫁♡……我らの神に誓います。私は貴方と別つ事無く永遠を誓います。この命にかけて、私と永遠を誓ってくれますか?エリーゼ?」
王太子がエリーゼの両手を掴んでキスをした。正式な結婚の儀式だ。勿論、神の前でも無いし、白い服も来ていない、神官もいない、ただの戯言なのに。
「…エリィと、エリィと呼んで下さい。」
「エリィ、初めて会った時から、私は貴方を愛している。政略結婚だと思わないで欲しい。どうか、私と結婚してくれ、愛している。エリィ♡」
王太子がゆっくりと顔を近づけてくる。美しい青い瞳が燃えている。視線を逸らす事もできずに見つめているとそのまま唇が触れあう。最初は軽い触れ合いが続き、いつのまにか深いものに変わった。
エリーゼは、その執拗さに困惑しながらもうっとりと受け入れた。その執拗さが酷く懐かしかった。子供の頃に一時期手元にいた可愛いパピー。時折、あの仔もこんなにしつこく口を舐めてきてものだ。
懐かしい思い出、そう、あの仔の名前は何だったかしら。
「……スノウ……。」
そう、スノウだ。
しつこい所が、あの子犬にそっくりだ。




