9、光
「ナディア。恋は人を愚かにするの。この人だと思ったら、もう他の人ではだめなの」
だからごめんね、許して、と母はそう言って、自分や父以外の男のことを想い続け、悪いことだと理解していながら何度もラガルド侯爵と逢い続けた。ナディアが物心ついた時からずっと……。
そんな母に父は愛想を尽かし、自分を見てくれる女を求めた。妻にそっくりなナディアのことはあまり視界に入れたくなかったのか、自ら会いに来ることも、公の場以外で話しかけることも、なかった。
隠し通せているつもりでも母の過ちは側近たちに知れ渡っており、ナディアは母をよく思わない人間から汚らわしいという目で見られ、本当に父の血を引いているのか疑われた。その後彼らは父に不敬であると処罰されていたが、ナディア自身もどこかで否定できずにいた。
(どうしてお母様はわたくしやお父様を見てくれないの)
そんなにもあの男が好きなのか。恋とは人を盲目にさせるのか。
母が亡くなったのは病であったが、ナディアにはラガルド侯爵の妄執が母を死へ追いやったように思えた。彼が憎かった。
母にも同じ思いを抱いたが、独りになって、あんな母親でも自分は温もりを覚えていたのだと知り、いっそう複雑な感情に苛まれた。
「ナディア。隣国へ行ってみたらどうだ」
そろそろ結婚を考えなくてはいけなくなった年に、それまで距離を置いていた父が母の故国に一度顔を出してはどうかと提案してきた。
母の兄であるルーセル王からの誘いであったが、一人娘を送り出すことに父は何の心配もないように見えた。
(きっとわたくしが邪魔だから、向こうへ行ってほしいのね)
父は娘が女王になるのを許さず、年の離れた自分の弟、ナディアの叔父にあたる男性に譲るつもりなのかもしれない。
為政者としても何ら期待されていないことに、ナディアは虚しさに襲われた。
(この国ではない誰かのもとへ嫁いだ方がいいのかもしれない)
でも、こんな自分を求めてくれる人はいるのだろうか。
そもそも自分は誰かを好きになれるのか。
母が女の顔をして男を想う姿を、ナディア一生見たくなかった。母のようになりたくない。あんな汚らわしいこと……。
「ガブリエル・ラガルドと申します」
(ああ。この方が……)
事前にルーセル王からガブリエルのことは聞かされていた。一緒についてきたポーレットもラガルド侯爵にそっくりだという息子に会う前から期待しており、護衛騎士になることを喜んでいた。
だがナディアは気が進まなかった。母の心を奪い続けた侯爵の息子だ。憎悪に近い感情を抱くのではないか。向こうも自分を恨んでいるかもしれない。あまり関わりたくないのが彼に会う前の正直な心境だった。
しかしガブリエルに会った瞬間、ナディアは胸の高鳴りを覚えた。
理屈はなく、彼に心惹かれてしまった。自分に流れる母の血がそうさせたのだろうか。最初は気づかない振りをした。彼を好きになることは、母と同じだと思ったから。彼も自分のような人間に好かれても困るだけだ。
「姫の護衛になれて、光栄でございます」
でも、会う度に想いは静かに積み重なっていき、誤魔化しきれなくなった。
母の心を奪い続けた男の息子だとしても、彼にもしかしたら恨まれているかもしれないという恐れがあっても、ナディアはガブリエルの存在に心惹かれてしまった。
ガブリエルにはすでに将来を誓い合った女性がいるというのに。
「気にすることはありませんわ。セシルよりも姫様の方がうんとお淑やかでお綺麗でございます」
「ポーレット。セシルは魅力的な女性だわ」
くりっとした大きな目や絶えず笑みを浮かべている顔は可愛らしく、それでいてどこか凛とした空気を常に纏っている少女は、ナディアが得られないものを持っている。
今まで誰かに気遅れなどしたことないのに、セシルを前にするとなぜか劣等感にも似た気持ちに苛まれるのをナディアは感じていた。
「そうでしょうか? ですが、ガブリエル卿も姫様といらっしゃる方が安らいでいるように見えて、憎からず想っているように見えます。かつてのシャルレーヌ様とラガルド卿のように見えて、本当にお似合いですわ」
ポーレットの指摘にナディアは苦笑する。
あれはただ、職務に忠実であろうとしているだけ。理想の騎士を演じているだけだ。
あえて父親のラガルド侯爵を意識して真似ることで、ガブリエルは周囲にこれ以上近づくなと威嚇しているように見えた。あるいは、かつて恋人たちであった息子と娘を一緒にさせようとする国王たちを嘲笑うように。
(あなたは侯爵を嫌っているのね)
微笑んでいるのに目は一切笑っていないのが何よりの証拠に思えた。
国王やポーレットは微塵も気づいていない。自分だけだろうか……。
(セシル。あなたは、知っている?)
ガブリエルはセシルの前では己を偽っていない。友人のように気安く接しており、雑に扱っているようで、実はとても彼女のことを気遣っているのがわかる。視線が気づけばセシルの姿を追いかけている。
ナディアの目には、セシルへの態度こそガブリエルが心を許しているように見えて、特別に思えた。
(いいな)
「セシルは、すごい子ですね」
そんな気持ちがふと零れて、セシルがいない時、ナディアはガブリエルの前で独り言のように口にした。
「ええ。私もセシルのことを尊敬しております」
後ろに控えていたガブリエルが反応したことで、ナディアはどうしても気になって振り返ってしまう。彼は遠くを見て、微かに笑みを浮かべていた。
セシルと過ごした、自分には決して踏み込むことの許されない過去を思い出すように優しい目をしていた。
「あの子が、羨ましい」
本当に意図せず、口から漏れていた。
ガブリエルの視線がこちらに向けられたことでどきりとする。
「姫様の目に、彼女はどう映っていますか」
「……とても強い子よ。明るくて、優しくて、余所から来たばかりのわたくしにも気遣ってくれる……敵わない、と思う子」
「俺も、そう思います。苦しいことがあっても、絶対に弱みを見せない。……時々、もどかしい気持ちになります。独りで抱え込むな。俺にも寄越せ、って……」
彼は余計なことを言ったとばかりにすぐに謝り、忘れてくれるよう頼んだ。
彼がセシルの過去を教えることはなかった。それは彼と彼女だけの思い出だからだろうか。部外者である自分には知る必要はないからか。
ガブリエルの返しに、ナディアは内心傷ついていた。
自分はガブリエルからどんな答えを期待していたのだろう。
セシルの過去を打ち明けられて、お前と比べるな、彼女も苦労しているんだと遠回しに非難されたら、やはり傷ついて落ち込むだろう。
(ラガルド卿を真似て作った表情よりも、セシルに見せた屈託ない表情の方が好きだと伝えたら、あなたはどんな顔をするかしら)
どんな答えでも、ナディアはガブリエルに突きつけられただろう。
彼が好きなのはセシルだけだと。二人の間に入る隙など、全くないことに。
(恋とは、こんなにも苦しいものなのね)
それでもナディアが母やラガルド侯爵のように道を踏み外さずにすんだのは、セシルのお陰だ。彼女がどこまでも真っ直ぐ強い性格だったから、ナディアも自分の弱さを受け入れて前を向く勇気が湧いた。
「――あなたがわたし以外の女性とガブリエルを結婚させるつもりならば、わたしがガブリエルを攫って逃げます! どんな障害に襲われようと、彼は誰にも渡さない!」
(本当に、まるで光のよう……)
ガブリエルが彼女に惹かれたのも納得できる。
そして今では、セシルが自分自身でさえ気づかない振りをする闇を、愛する人だけには見せてほしいと心から願うことができる。自分を救ってくれたセシルにはどうか幸せになってほしい……。
『姫様。あなたのお父様はまだご存命です。そしてあなたは彼を父親として求めている。だから、どうか勇気を出して、姫様の方から歩み寄られてはいかがでしょうか』
そして自分もまた、幸せになりたい。本当に欲しいものを手にするため、あがいてみたい。
「――ナディア。今、いいだろうか」
ナディアは侍女に部屋の中へ招くよう言い、父を出迎えた。
「お父様。どうされました?」
「うん。別にこれといった用はないんだが……何か、困っていることはないかと思ってな」
実にぎこちない言い訳である。そしてナディアも、そんな父に対して何を言えばいいかさっぱりわからない。他の人であったら、するりと言葉が出て、楽しくもてなす自信があるのに。
つくづく自分たちは普通の親子ではない。今まで歩み寄ることなく、常に壁があった。
(でも今は、何だか違う)
予定よりも早くこちらに戻ってきた時、父は珍しく強張った顔をして自分を出迎えてくれた。その態度がまるで心配しているように見えて、気まずさや今さらという苛立った気持ち、むず痒いような、言葉でうまく説明できない感情に襲われて、ナディアは結局他人行儀にしか振る舞えなかった。
父もさぞ呆れて気分を害しただろうと落ち込んだが、ポーレットの件を報告すると、なぜか怒ったような顔をして、早速ルーセル国に抗議すると述べた。
ナディアが王女として侍女を監督できず、今回のようなことを起こしてしまったことを謝れば、父は驚いた顔をしてお前のせいじゃないと言ってくれた。
「私の責任だ。シャルレーヌによく仕えていたポーレットならば、お前のことも大切にすると思っていた。いや、そもそもルーセル国へ行かせること自体、お前のためになると思って送り出した私が愚かだった」
「……お父様は、わたくしのことが嫌いだからあちらへ送り出したのではなかったのですか?」
ナディアが恐る恐る確認すれば、父は驚いた顔をする。
「私がお前を? そんなこと思っていない。私はただ、ここで暮らすお前はどこか居心地が悪そうだったから……だから、違う環境ならば、もっとのびのびと暮らせると思った。全く繋がりのない国では私も不安だから、シャルレーヌの母国ならば、お前の親類もいて、冷遇されることはないと思った。……嫌いだから、送り出したわけではない」
焦った表情で否定しながら、父の口調は次第に弱々しいものに変わっていく。
ナディアは父の言葉が最初なかなか理解できなくて、それでもおぼろげながら理解したのは、自分は父にそれほど嫌われていないのではないかということだった。
でも、その時はまだそれを素直に口にする勇気がなかった。今までずっとそうだと思いこんでいた事実を父の言葉で覆されて、激しく混乱していたせいでもあった。
なんとも気まずい再会を果たして別れた後、自室でどうしてもっと上手に返せなかったのだろうと落ち込んだナディアは、もう二度と父と向き合う機会はないと思っていた。
しかし父は、それからも折を見てはナディアのもとへ訪れるようになった。
「……」
だが劇的に関係が良好になるということは全くなく、そもそも悪いと言えるほどの付き合いもしてこなかったことに気づき、今も二人は微妙な距離でそれぞれ長椅子に座って、ただ沈黙を守り続けている。
(どうしよう。何を話せばいいの)
見知らぬ他人と上手に話す会話術の本はたくさんあるが、親に対しての適切な話し方を書いた本はない。当然だ。そんなのわざわざ習う必要などないのだから。
(こういう時、セシルだったらどうするのかしら)
自分を遠ざけようとした母親に対して彼女は……たぶん恐れずにガンガン話しかけに行っただろう。
「あの、お口に合いますか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
「甘いものは、お好きなのですね」
「そうだな。うん。嫌いではない」
「なら、よかったです……」
次の話題を探すが、呆れられたり鬱陶しく思われるのが怖くて言葉が詰まる。父を不快にさせない話が見つからない。これほどまでに自分の無能さを突きつけられたことはない。
「……そろそろ公務に戻る。邪魔してすまなかったな」
「あ、いえ。わたくしこそ……」
父は困ったように笑うと、それじゃあと背を向ける。
(やっぱりわたくしには無理だわ、セシル)
『わたしは母が亡くなって、もっと向き合えばよかったと後悔しました。たとえそれで決定的な亀裂が生じたとしても……自分の気持ちを素直に伝えていればよかったと。そうすれば、亡くなる寸前でも、わたしの思いで母が救われることがあったかもしれない。わたしが今抱えている苦しみも、もっと違うものになったのかもしれないと、考えない日はありません』
『他人から無償の愛を捧げられても、わたしが求めるのは不器用な母の愛だけなのです』
「――お父様」
気づけばナディアは父の腕を掴んでいた。驚いたように彼が振り返り、何も考えられぬまま口にしていた。
「わたくし、手紙を書いていたのです」
「……手紙?」
「はい。向こうでできた友人……と言っていいかわからないのですが……でも、このまま関係が途切れてしまうのは嫌で、胸の内を聞いてほしいと思って、そうすれば、わたくしも勇気をもらえる気がして」
「ナディア?」
要領を得ない話に父が困惑しているのがわかる。ナディア自身も何を言おうとしているかわからなくなってくる。でも、伝えたかった。
「お父様からの手紙をいただいた時、正直読むのが怖かったです……でも、嬉しかった」
「……」
「わたくしはずっと……寂しかった。お母様が亡くなってから……いいえ、お母様がご存命の時も、寂しかった。今も、寂しいです。お父様は……」
寂しくないのか、と言う前に涙が出てきて口を噤んだ。自分は何を言っているのだろう。
「ごめんなさい、お父様。わたくし、変なことを――」
「ああ。私も寂しかった」
父の大きな掌が躊躇うように頬に触れて、武骨な手で不器用に涙を拭われる。
目を見開いて見つめる娘に、父はくしゃりと笑う。
「もっと早く、お前と向き合うべきったのに、ずっと逃げていた……すまなかった、ナディア。本当はこうして顔を見せる資格もないのかもしれないが、どうか許してほしい……これからも、お前とこうして話すことを」
ナディアはさらに目を潤ませて父に身を寄せた。肩を震わせて泣き出す娘を、父は恐る恐るやはり不器用に抱きしめ返してくれた。
◇ ◇ ◇
「なにニヤニヤしてるんだ」
王都に別れを告げ、伯爵家の領地へ帰る途中の旅路。宿屋の一室で手紙を読み返していたセシルに身を清めてきたガブリエルが声をかけてくる。
「ああ、ガブリエル。ナディア様からの手紙を読んでいたんだ」
「王宮を出立する際、殿下が持たせてくれた手紙か。……お前宛てだったのか?」
「うん。わざわざ送ってくださった。お父上とのことが書かれてあったよ」
勇気を出して父に自分の気持ちを伝え、父も同じ気持ちであったことがわかった。どうしてもまだぎこちない雰囲気は消えないが、少しずつ本音で話せるようになった気がして嬉しい……そんなことが、些細な日常のエピソードと共に綴られていた。
「近々、お見合いをすることも考えていらっしゃるそうだ。将来ヴェイユ国を治める自分を支えてくれる殿方を望んでいる、と」
「ナディア様が女王になるということか? ……なるほど。ステファン殿下のあの意味深長な言葉は、そういう激励だったのか」
「だろうね。姫様なら、素晴らしい女王になると思うな。ふふ。まだ候補者を絞る前なのに、もうヴェイユ王が厳しく審査しているようだ」
隣国へ送り出す時はあんなにもあっさりしていたのに、今になって過保護な父親になる国王が腹立たしく、鬱陶しくもあり……でも、悪くない気分だとナディアは書いている。
(素敵な方と巡り合うことを願っております)
落ち着いたら手紙を書こうと思うセシルの横顔を、いつの間にか近くに座っていたガブリエルがじっと見ていた。気づいた彼女がどうした? と微笑めば、むすっとした表情で別にと返される。
「ずいぶん、仲良くなったことで」
「ガブリエルの目にもそう見える?」
セシルが目を輝かせて嬉しそうに言えば、ガブリエルは腕組みをしたまま偉そうに頷く。
「ああ、見えるとも。彼女はお前に並々ならぬ感情を最後には抱いた。なにせ頬に口づけを贈るくらいだからな」
「ガブリエルも欲しかったのか?」
高貴な女性が授ける口づけは騎士にとって何よりの誉れだからな、と納得するセシルに、ガブリエルはなぜガクッと肩を落とす。
「……セシル」
「うん?」
「今から行きたいところがある」
「えっ。今から?」
もう夜のいい時間である。盗賊退治ならいざ知らず、一体何の用で出かけるのか。
「明日じゃダメなの?」
「そうだな。本当はお前の領地に帰ってからと思っていたが、一緒にいるうちに、この旅の間にやはりしようと考え、お前の反応を見て、今すぐ行おうと決めた」
「???」
さっぱり話が見えないセシルの両手を取り、ガブリエルが顔を近づける。
「セシル。教会に行って、俺と結婚しよう」
「え、え……結婚って、教会って……今から?」
本気かと確認するセシルに、ガブリエルはにっと笑う。
「ああ。本気だ。ちょうど街の外れにあっただろう? そこに行こう。思い出にも残るし、いい考えだ」
「思い出って……まぁ、そうだね」
逆に自分たちらしくていいかもしれない。
ガブリエルの突拍子もない誘いに応えられるのは自分しかいないだろうとも思う。
「……うん。そうだな。行こう、ガブリエル!」
セシルが乗り気になると、ガブリエルはよしと笑顔になって立ち上がらせると早速支度を始めた。かと思うとこちらを振り返って、念を押すように告げる。
「式は後日また改めて行うから」
「別にしなくてもいいよ?」
セシルがそう答えるのがわかっていたように呆れた顔をされる。
「お前はいいかもしれないけど、周りが絶対許さない。殿下にも、招待しないなら押しかけるか、王都の大聖堂でセッティングして俺たちを召喚すると言っていたぞ」
「殿下が言うと洒落にならないな……」
式場だけでなく婚礼衣装までサイズぴったりに合わせて用意しそうだから怖い。
「殿下だけじゃない。お前のファンクラブの人間も絶対協力するに決まっている。別れ際、泣いて頼まれただろ」
「あー……」
『セシル様! 挙式は絶対執り行ってくださいね! ガブリエル様、セシル様が反対しても、絶対聞き入れないで下さい!!』
『ぜひとも画家を呼んでセシル様の花嫁姿を描いてあげてください! そしてぜひ私たちにその絵を譲ってください! 結婚祝いとは別に高額で買い取りますから! 家宝にしますから!』
『セシルたんのドレス姿、見たかったよぉ~』
『セシル~幸せになれよぉ~ガブリエル、セシルを泣かせたら末代まで呪ってやるからな~』
……何と言うか、いろいろすごかった。
「うん……まぁ、そうだね。お世話になった意味も込めて、きちんとするべきだよね」
「ん。そうしよう。……俺も、お前の花嫁姿見たいし」
最後にしれっと付け加えるガブリエルにセシルはくすりと笑う。
「わたしも、前髪を上げて白い婚礼衣装を着るガブリエルが楽しみだな」
「男はあんまり変わらない気がするが」
「そんなことない。リリアンやジルたちもびっくりするはずさ。……式は、侯爵家で挙げようか。ラウラ様にもきちんとご挨拶したいし。ああ、でもそうなるとサンソンとも相談しないとな……」
そこまで言うと、セシルは出立前のこと思い出して、困った顔でガブリエルに問う。
「ガブリエル。ラガルド卿のことは、本当にサンソンに任せて大丈夫だったかな?」
ナディアとの一件以来、ラガルド侯爵は魂が抜けてしまったかのようにぼんやりと部屋に引き籠ってしまっていた。今までは国王の話相手を任されたりしていたが、それもできなくなり、また国王としても関わりたくないという思いがあるからか、領地へ帰るよう促した。
そして迎えに来たのが、サンソンであった。以前とは違い、すでに立派な跡取りとして侯爵家を仕切っていた彼は、最初父親を切り捨てるのではないかと思った。
しかしサンソンは素直に承諾して、頭を下げた。
『父がご迷惑をおかけいたしました。すぐに連れて帰りますね。――さ、父上。家へ帰りましょう』
そうどこか穏やかな表情で父親にも接していたので、セシルだけでなく周りも戸惑いを隠せていなかった。ガブリエルだけは、落ち着いた様子で兄を手伝っていた。
「ああ、いいんだ」
「でも」
「これからあの人は、自分がしてきたことを兄さんにゆっくり突きつけられていくんだ。ようやく、兄さんを見てくれる。だから、兄さんも嬉しいだろうよ」
「……なるほど」
サンソンにとってそれは悦びでもあり、復讐でもある。ラガルド侯爵は死ぬまで手厚い介護を受け、呪詛をその身に受け続けるのだろう。
可哀想、とは思わなかった。ただ、いつかサンソンが父親への復讐を終えて解放されることを願う。
「大丈夫。兄さん自身も言っていたが、自分のドロドロした部分も今は受け入れて切り替えられるようになった、って笑って言っていた」
「そっか」
一皮むけたというか、強くなったのだろう。
「何かあったら、隣の領地なんだから様子を見に帰ればいい」
「うん。……でも、しばらくの間はわたしの家のことで、難しいかも」
ごめんと謝れば、気にするなと支度を終えたガブリエルがセシルのそばへ寄る。
「セシルが辛い時は、俺もとことん付き合うさ」
「……ふふ。言ったな? では、地獄の果てまで付き合わせるぞ」
「望むところだ。俺以外の男には無理だろうからな」
どこかドヤ顔で自分と同じ考えを言い放つガブリエルにセシルの方が照れてしまい、そろそろ行こうかと促す。
「今から行くなら、帰りに見る朝焼けがきっと綺麗だろうね」
「ん? ああ、そうだな」
いまいちピンときていないガブリエルにセシルは微笑む。
母が亡くなって、墓場で泣いていた夜に、ガブリエルが迎えに来てくれた。
一晩中付き合ってくれて、朝日が昇る方向へ彼と共に帰っていった日。
「……ガブリエルはわたしを光だと言ってくれたけれど、わたしにとってもそうだよ」
彼がいたからこそ自分は闇に堕ちることなく、光あふれた世界に戻れたのだと思う。
「何か言ったか、セシル」
「ううん。何でもない。そうだ。どちらが先に教会に到着するか、競争しようよ」
セシルがそう言って駆け出そうとすると、阻止するようにガブリエルに後ろから腰を引き寄せられる。
「一緒に行くから、意味があるんだろ」
今度はきちんと赤くなった顔で言われたので、つられるようにセシルも頬を染めるのだった。




