4、誓い
国王はポーレットの部屋が荒らされたことをとても気に病み、ナディアにも危険が迫っているのではないかと恐れた。
「ガブリエル。どうかナディアを守ってくれ」
国王からの強い要望もあり、ガブリエルは昼の護衛を他の者に任せて、夕方から彼女の護衛にあたるようになった。
「夜の方が危険、か。僕は昼間も同じくらい危険だと思うけどな」
ステファンが同意を求めるように洗濯物を運んでいたセシルに話しかけた。
大きな窓から陽光が燦々と降り注ぐ廊下を歩いていると、確かについ気持ちが緩んでしまう。そこを狙うのも、一つの手だろう。
「そうですね。ですが姿をうまく隠すのならば、やはり日が落ちた方が都合がいいです」
「ふふ。そうした台詞を聞くと、セシルは騎士っていうより、暗殺者とかの方が向いている気がするよ」
「今は一介の侍女にすぎませんわ、殿下」
「ああ、そうだった。だが侍女というより、女中のように見えるけれど?」
確かに山のようなシーツや衣類を抱えて運んでいる姿はそう見えるかもしれない。本来侍女は高貴な女性の身の回りの世話をするのが仕事であり、他の使用人たちよりも華やかな印象がある。
「あの一件以来、ポーレット様がずいぶんと神経質になってしまって。見慣れない者がいると、警戒するようになってしまったんです」
「だから代わりにきみをこき使っているってこと? ナディアがよく見逃しているね。ああ、でも、王女様は一々下の人間が何をしているか気にしないか」
「そういう言い方はおやめください。ポーレット様の恐怖が姫様にも移ってしまったようで、余裕がないのです。それに使用人の仕事は主人の目に触れないよう行われますから、もともと知らないのが普通です」
ナディアだって知ればセシルはそんなことしなくていいと言うだろう。
「それに洗濯物を運ぶくらい、どうってことありませんよ。最近思いきり剣を振るえていませんから、腕がなまっていないか心配なんです」
鍛錬には遠く及ばないが、それでも重いものを運ぶのは軽い運動にちょうどいい。
と、語ったところでセシルは気づく。
(あ。こういうことはあまり言わない方がよかったかも)
侍女に徹して休日は読書や街に出かけるのが好きだという設定の方がよかったかもしれない。いや、性格から設定を練るならば、年頃の女の子は重労働を嫌うだろう。誰か素敵な殿方が現れて持ってくれないか期待する方が自然だ。
(わたしもよく洗濯室まで持って行ってあげたし)
その時も、彼女たちはうっとりした表情や頬を上気させて喜んでくれた。よほど、肉体労働が嫌だったに違いない。
「セシルは本当にできた子だね。恋人であるガブリエルが夜、ナディアの寝室にいるっていうのに不安にならないのかい」
「殿下」
誰かに聞かれていたら誤解を招くことを恐れて、セシルは咎めるような声で注意した。
だがステファンは事実だろうと言った。
「年頃の男女が近い距離で過ごしているんだ。恋人同士なら、胸をモヤモヤさせるものだ」
「そうは言っても……ガブリエルは護衛として寝室の外で待機しているだけです」
ナディアが滞在している部屋は、扉を開けるとまずソファやテーブルが置かれた居室がある。普段セシルやガブリエルたちが対面している場所だ。そしてこの室内にある白い扉を開けると、寝室に繋がる間取りになっている。
ガブリエルが夜の間待機するのは、談話する部屋の外であり、廊下である。
ナディアが眠っているすぐそばで控えているわけではない。
「姫が寝ている部屋の隣には、わたしやポーレット様もいますから」
「それでも僕だったら落ち着かないね。いくら、職務のためとはいえ」
だとしても、すでに決定事項である。
セシルにはどうしようもない。
返答に困って別の話題を提供しようと思っていると、不意にステファンが立ち止まり、ぐいっと顔を寄せたのでセシルは反射的に身を引く。
「そんなあからさまに引かないでくれよ」
「申し訳ありません。つい。それより、どうされました?」
「うーん。セシル。きちんと休めているかなって。ガブリエルは昼間の護衛を免除されてもらっているけれど、セシルは昼間もほぼ動いているだろう?」
自分の体調を気遣ってくれるステファンに、セシルは微笑んだ。
「ありがとうございます。でも体力には自信がありますから」
「そう? 疲労が積み重ねると、集中力が落ちたりしない?」
「休憩時間に目を瞑って休んでいるだけでも体力は回復します。……騎士になるために訓練していた時や子どもの時の方がすごく大変だったので、これくらい平気です」
「……そっか。でも、気をつけてね。油断している時に、相手は一気に付け込んでくるものだから」
ステファンの忠告を胸に刻み、セシルは夜の勤務を迎えた。
「セシル。眠そうですね」
「あ、ごめんなさい、ポーレット様」
夜の共に刺繍をしていたのだが、つい手が止まってしまっていた。もともと細かい作業は身体を動かす作業より得意ではないという理由もある。
「セシル。眠いのなら、部屋に戻ってもいいわよ?」
そろそろ寝ようとしていたナディアがそう言ってくれるが、セシルは大丈夫ですと笑った。
「気分が落ち着いて考え事をするのにちょうどよかったので、ぼうっとしてしまっただけです」
「そう? 毎晩付き添ってもらって無理をしているのではないかと、ポーレットとも心配していたのよ」
おや。ポーレットまで。
意外に思って彼女の方を見れば、珍しく優しい表情を返された。
「ええ。姫様のおっしゃる通り。あなたは毎日姫様に仕えていてくれますからね。見直しましたよ、セシル。今夜くらい、自室に戻って身体を休めたらどうかしら」
「セシル。ポーレットもこう言ってくれているから」
「……お二人とも、ありがとうございます。ですがわたしは本当に大丈夫ですから。まだ全く眠くありませんから!」
「あくびを噛み殺していたせいか、目が赤くなっているわよ」
「それに、目の下にうっすらクマもできているわ」
ポーレットとナディアにそれぞれ指摘されて、セシルはぎくりとする。
慌てて目元を隠して、気のせいですよと誤魔化す。
「顔はお見苦しいかもしれませんが、肉体的には余裕です!」
折れないセシルに、それ以上説得するのは無駄だとナディアたちも諦めてくれた。
「仕方ないわね。では眠気覚ましにお茶を淹れてきてあげます」
「えっ。本当ですか。ありがとうございます、ポーレット様!」
満面の笑みを向けてお礼を述べれば、ふんとポーレットはそっぽを向く。
「姫様のついでです。それに、途中でいびきをかかれたら困りますからね」
そう言ってお茶を取りに行ったポーレットに、ナディアがすまなそうに謝る。
「ごめんなさいね、セシル。ポーレットも悪い人ではないのだけれど……」
「ポーレット様が厳しいのは姫様のためだとわたしも理解しております」
「ええ……わたくしの、ために……彼女は、わたくしが幼い頃から仕えてきてくれた人だから……母にも、よく仕えていてくれたわ」
「陛下がおっしゃっていました。ポーレット様はシャルレーヌ様が嫁ぐ際、自ら同行を願い出たと」
「母は、ポーレットをどこか姉のように慕っていたわ。母が悲しんでいると、ポーレットは懸命に慰めの言葉をかけて、何とかしてあげようとしていた。全部、母のために……」
そう語るナディアの横顔がどこか陰っているように見えて、セシルが声をかけようとした時。ポーレットがカップを二つ手にして戻ってきた。
「さぁ、お待たせしました。姫様のはまだ熱いですから、しばらく冷ましてからお飲みください」
ポーレットはカップをセシルとナディアの前にそれぞれ置いてくれた。セシルの方からは、ナディアのカップの中身は見えない。
「いつもありがとう、ポーレット」
「いえいえ、これくらい」
「姫様のは、よく眠れるお茶ですよね?」
「そうよ。これを飲むと、よく眠れるの」
こちらへ来てからは、毎日飲んでいると教えてくれた。
「わたしも今度、いただこうかな」
「あなたはご自分のを早く飲みなさい。スッキリするから」
ポーレットに促されて、セシルはそうですねと頷く。
「ああ、とてもいい香りですね。では、いただきます。――でもその前に、姫様のお茶も一口飲ませてください」
セシルはそう言うや否や、素早く立ち上がってナディアに差し出されていたカップを奪い取ると、口をつけて一気に飲み下す。
すべて飲んでしまうと、顔がかっと熱くなった。
「なっ。あなた何を考えているの!?」
「セシル?」
「……ふ、はは。これは、すごい」
身体の芯が発火したように全身熱くなって、汗が吹き出てくる。
こんなのを飲んで安眠できるとはとても思えなかった。
「まるで毒みたい」
毒という言葉にナディアが肩を揺らし、ポーレットが焦った声で怒鳴った。
「何をしているの! 早く吐き出しなさい!」
「吐き出すようなものを、姫様に飲ませようとしたのですか」
「っ」
「この熱く気怠い感じ……大方、閨で使う類の薬だな」
「閨? どうしてそんなものを……ポーレット?」
ナディアに困惑した表情で見つめられて、ポーレットはごくりと唾を飲み込む。
「本当はわたしに差し出したカップの方に睡眠薬を混ぜた。そして眠ったところで、遅れて飲んだ姫の身体に異変が出て――」
「姫様! 何か誤解をしているようですわ! この女が嘘をついているのです! そう、ガブリエル卿が姫様に奪われそうになっているから、憎悪でこのような狂言を言い出したのです! 私を信じてください!」
にじり寄るポーレットに、ナディアは怯えた顔をする。ポーレットの注意をこちらに引き戻すよう、セシルは嘲笑うように言ってやった。
「狂言を抜かしているのはあなたの方でしょう。そんな焦った顔で姫様に言い縋るのは見苦しいから、どうかおやめになってください」
「うるさいだまれ!」
「あなたがここでどう喚こうが、カップの中身を調べれば言い逃れはできません。姫とわたしにそれぞれ混ぜた薬の成分をね」
セシルがそう言い終わらぬうちに、ポーレットはセシルのまだ飲んでいないカップに手を伸ばす。調べると言えば、証拠を消滅しようと反射的に手を伸ばすと思っていた。
「いっ」
セシルがポーレットの手首を容赦なく掴んで引き上げると、ポーレットの口から呻き声が漏れた。ここで大人しくなるかと思ったが、怒りが刺激されたのか、ポーレットはめげずに暴れ始めた。あまりも激しい抵抗なので、セシルは思わず掴んでいた手を離してしまう。
ポーレットは仕返しとばかりに後ろで高く結っていたセシルの髪を掴んで引き抜くように引っ張ると、悪魔のように笑いながらテーブルの上に置いてある真鍮製の燭台を掴んで振り上げた。
「死ね! 消えろ!」
呪いの言葉と共に、セシルに火をつけるか、硬い部分で後頭部を殴打するつもりだろう。セシルは髪を掴まれていて、逃げることができない。
「やめてポーレット!!」
ナディアが悲鳴を上げたのが合図だったように、セシルはスカート下、太股に隠し持っていた短剣を素早く引き抜き、慣れた手つきで動きを邪魔する鎖を断ち切った。
「なっ」
振り返ると同時に呆気にとられるポーレットに微笑んだ。勢いのまま襲いかかる彼女からひょいと身をかわし、床に転倒させる。ポーレットはじたばたと暴れて、それでも素早く身体を仰向けにして次の行動に出ようとしたが――
「ちょうどこの髪、長くて鬱陶しいと思っていたんだ。切ってくれて、手間が省けた。どうもありがとう」
腹を踏まれていたポーレットは、髪を切られたセシルに微笑まれて、ごくりと唾を飲み込むことしかできなかった。
喉元と目のすぐ先に、剣先がある。少しでも動けば何の躊躇なく刺す殺気を笑顔のセシルから感じたから。
「火も燭台を振り上げている時に消えてくれてよかった」
彼女が素人らしく鈍い動きを見せてくれたので、セシルはもう一本小型用のナイフを取り出して目に刺すぞと脅すことができた。
「な、おま……」
「セ、セシル。あなたは一体」
「セシル!」
扉がバンと開けられて、ガブリエルと他の騎士たちが入ってくる。セシルは獲物から視線を逸らさぬまま、平然とした声で指示する。
「ガブリエル。ナディア様を保護し、カップを回収して調べろ。薬を盛られた」
「ち、違う! 私が殺されそうになったの! この女から、ひっ」
セシルは剣先をほんの少し、女の皮膚に食い込ませた。怯えるさまを、瞬きもせず見つめる。
「セシル卿! これは一体」
「セシル、やめて!」
「ナディア様。この者に慈悲をかける必要はございません。この女は、ただ私利私欲のために動いた愚かでどうしようもない罪人ですから」
ナディアからポーレットの顔が見えなくて心底よかったと思う。彼女に憎悪に染まって歪んだ醜い顔を見せるのは心が痛む。
「でも、ポーレットは、わ、わたくしのために」
「お父上からの手紙を渡さず勝手に暖炉で燃やすような人間が、あなた様のことを考えていたとは思えません」
ナディアが息を呑み、ポーレットがぎくりと固まる。
「お父様からの手紙を暖炉に? ポーレット、どういうこと?」
「ち、違います。姫様。私はただ姫様のためを思って捨てたのです。手紙には、姫様を役立たずだと、一生帰ってくるなと書かれていましたから。読めば、姫様が傷つくと思って、だから……っ」
「……だとしても、わたくしにまず渡すべきでした」
「姫のおっしゃる通りだ。お前は主人に断りもなく勝手にヴェイユ王からの手紙に目を通し、姫の気持ちを傲慢にも理解したつもりで捨てた。これは立派な犯罪だ」
ガブリエルがそう言えば、ポーレットはギロリと睨みつけた。
「うるさい! 全部お前と姫様のためにしたことだっ! それなのに私の厚意を踏みにじって! ひっ」
動くなとセシルが再度剣で脅せば、ポーレットは黙り込む。
こんな場面をいつまでもナディアに見せるわけにはいかない。
しかし、どうしてもこれだけは言っておかねば気が済まなかった。
ナディアのためにも。ガブリエルのためにも。
「貴様の言う献身とは、すべて自分自身のためだろう? ナディア様ではなく、シャルレーヌ様。ガブリエルではなく、ラガルド侯爵。過去のやり直しのためにナディア様の御身を危険に晒し、彼女の未来を狂わそうとした。仕えるべき主に対して、決して許されない罪を犯したのだ。貴様のような人間を救済する道は、もはや死しかあるまい」
そう言ってセシルは短剣を振り上げ、ポーレットの喉元を一気に突き刺そうとする。
「ひぃっ」
「セシル!」
ナディアの制止もセシルの耳には入らなかった。彼女の手を止めたのは、ガブリエルであった。
「そこまでだ、セシル」
セシルは腕を掴んだガブリエルをちらりと見て、次いで呆然としている騎士たちや怯えた表情のナディアの顔を確認した。ふっと肩の力を抜き、軽く笑みを浮かべる。
「ああ。わかっているよ、ガブリエル。彼女にはまだ訊かねばならないことがたくさんあるからね」
「気絶させるなら、もっと他の方法でやれ」
ガブリエルが呆れたように言って手を離した。セシルの下では、ポーレットが白目をむいて気絶していた。
「どうしても腹が立ったんだ。……姫様。怖がらせてしまい申し訳ございません。すぐに侍女をお呼びしますので、お部屋でお待ちください。あなたたちも失礼した」
張りつめた雰囲気を変えるため、セシルはてきぱき次の行動に移る。
騎士たちは最初戸惑っていたが、すぐに気絶したポーレットを部屋から退出させ、カップを回収する。侍女たちも部屋に来て、ナディアのそばにつく。……今夜は別の部屋で休んだ方がいいかもしれない。優秀な彼女たちならば、気を利かせて手配してくれるだろう。
「すみません。わたしは一度身なりを整えてきます」
セシルは後片付けに当たっていた侍女や騎士たちにそう告げると、そっと部屋から出た。
宿舎の自室まで戻るつもりだったが、思った以上に呼吸が辛くなり、誰もいない空き部屋に駆け込んだ。懐から小瓶を取り出し、この後の症状を覚悟するために一瞬間を置いて、勢いよく口にする。
「セシル!」
ガブリエルが部屋に飛び込んできた時、セシルは吐きそうな液体をごくりと飲み干した。
「お前っ、ばかっ」
慌てた様子でガブリエルがセシルの腕を引いて小瓶を取り上げるも、中身はすでに空だった。目をかっと見開いて怒ろうとするガブリエルに、セシルは口を拭いながら笑う。
「媚薬の効果を打ち消すほどの劇薬だ。知り合いに頼んで、調合してもらっていた」
「だからって飲むなっ、そんなものっ! 何かあったらどうする!」
「そう、だな、その時は根性で耐えて……うっ」
突如猛烈な腹痛に襲われて、セシルはその場にしゃがみ込む。
「セシル! どうしたっ! 大丈夫か!?」
大丈夫かと訊かれると、大丈夫ではないと思う。手足に痺れを感じるし、吐き気もしてきた。毒キノコをうっかり口にしてしまったような症状に襲われている。
「セシル! とにかく医者を――」
「だいじょうぶ、だよ……朝まで耐えれば、治まる……だから、医者は呼ばないで」
「何が朝まで耐えれば、だ! それまでお前が苦しみ続けるってことだろうが! このばかっ」
ガブリエルが顔をくしゃりと歪め、まるで縋りつくようにセシルの手を握ってくる。
「こんな薬で対処せず、俺を頼れよ」
セシルが困った顔をすれば、ガブリエルはさらに怒った口調で責める。
「俺はお前の恋人なんだぞ。お前が苦しい時、どうにかするのが俺の役目だろ」
「うん、ありがとう。……でもさ、この場合の助けるって、その、ね……?」
「お前を抱くってことだろう。何か問題あるのかよ」
(問題だらけだよ……)
セシルは苦笑してガブリエルの肩に頭を乗せる。
「こんなかたちで、ガブリエルの初めてをもらいたくないよ」
「……俺は別にいい。それに、お前の苦痛を和らげるのが目的だ。こんな薬を飲んでお前が苦しむくらいなら、俺は別の方法を選ぶ」
セシルが苦しんでいる姿をただ見ていることしかできないのが辛いと告げるようにガブリエルは絡めた手をきつく握りしめてきた。
「痛いよ、ガブリエル」
「お前のことだから、一番気にしているのは、姫に対してだろう。医者を呼ぶなと言ったのも、騒ぎになって姫の耳に入るのを恐れているからだ」
ガブリエルには何でもお見通しで、まいったなとセシルは痛みに耐えながら笑う。
「ポーレットを動揺させるために、媚薬の類だと、姫の前で言ってしまった……失敗した……わたしも、まだまだ未熟だ……ガブリエル、姫に、このことは言うなよ……」
せっかくガブリエルが探りを入れて、国王とポーレットが何か仕掛けてくることに気づいて罠にはまった振りをしようと覚悟して捕まえたのに、守るべき人に傷を負わせてしまった。悔しい。
「どうしてお前はそこまで彼女に気遣うんだ。一歩間違えば、取り返しのつかないことになっていたかもしれないんだぞ」
ナディアが媚薬を飲み、それを癒すためにポーレットはガブリエルを差し出す企みだった。普通に考えて、いくらナディアがそんな状態に陥ったとしても、ガブリエルが応じるとは思えない。
でも、ポーレットのことだからその後、ガブリエルにも薬を飲ませたかもしれない。
強制的に二人が身体を繋げることになっていたら、いや、そこまでいかなくても、ガブリエルが責任を負わねばならない状況を作れば――本当に最悪な結末となっただろう。
「許せない、から……姫の心も、お前の気持ちも無視して……だから、絶対に阻止してやろうと思った」
「……こういうことはあまり訊きたくないが、お前の気を紛らわせるためにも訊く。姫に嫉妬したりしないのか」
「乙女みたいな質問だな」
うるさいと言わんばかりに繋いだ手に力を込められた。痛いと笑って文句を言い、素直に胸の内を明かす。
「もちろん、するよ。もし、何かの間違いでお前と姫がそんなふうになったら……わたしの心は耐えられない」
「俺はお前以外に絶対触れない。俺の意思とは無関係に身体が操られるなら、己の身体に剣を突き刺して死んだ方がマシだ」
被せるようにして即座に答えたガブリエルの対処法に、やはり純潔を死守する乙女のようだとセシルは内心思う。
「うん……ガブリエルなら、そうするってわかっている。きみを信じている、から……いや、それだけじゃないな。ごめん……わたし、本当は怖いのかもしれない」
ああ、肉体が苦痛に苛まれているせいか、心まで弱音を吐こうとしている。
セシルは自分の弱さを他人に見せるのが嫌だった。そんなの見せられても相手は困るだけだろうし、嫌な気持ちになるだろうから。それに、己の未熟さは自分ですべて対処するべきだと思っているから。でも――
「何が、怖いんだよ。教えろよ、セシル」
寄り添うガブリエルが不器用に乞うから、セシルは彼にならいいのかもしれないと思った。大切で、特別な人には、自分の弱さを曝け出してもいいのだと……。
「ガブリエルが、遠くに行くのが怖い……お母様のように、渇望して、結局手に入らなかったら……あの時の思いをまた味わうくらいなら、距離を置いて、きみが誰かと幸せになる姿を、見守りたいんだ……」
『早くどこかに行って。お前の顔なんて見たくないの』
(お母様……)
母のそばにいたかった。疎まれても、憎まれても、一番近くで母の温もりを感じたかった。
(ああ、だめだ……)
身体の痛みと昔の記憶が重なって、涙腺が緩む。
ガブリエルの前でみっともなく泣いてしまう。
「馬鹿野郎」
唇を噛んで顔を背けようとしたセシルを、ガブリエルが抱き寄せた。
「ガブリ、エル」
「俺は、絶対お前のそばにいる。お前が嫌だと言っても、俺より他にいい男を見つけても、断固阻止して、お前にしがみついて離れない」
「それは、ちょっと……やばいと思う」
セシルが正直に述べると、ガブリエルも自覚があるのか笑った。
「ああ、そうだ。お前を好きになった男はやばいやつだ。――だから、セシルは独りにならない。ずっと、俺のそばにいるんだ」
(ガブリエル……)
今の告白は、もしかするとガブリエルにとって自分は父親と同じではないかという思いを抱かせたかもしれない。彼は家族を大切にしなかった父を心底憎んでおり、同じ顔立ちを憎み、決して父のような人間にはなるまいと物心ついた時には誓っていたから。
だから、王女と結婚するよう国王に勧められた時から、自分も父と同じ立場に置かされて、悩まなくてもいいことで悩んで、セシルを選ぶことで、忌み嫌った父と同じ轍を踏むのではないかと……彼が密かに苦しんでいたことを、彼の近くにいたセシルは感じ取っていた。
セシルはガブリエルが自分を選ばなかったとしても、彼を責めるつもりは微塵もない。ナディアに対しても恨みはない。
いかなる未来が訪れても、すべてを受け入れ、ガブリエルの幸せを願っていた。
だけど――
(きみは、勇気を出してわたしを選んでくれたんだな)
家族であり、親友であり、かけがえのない大切な人が自分を望んでくれた。
セシルにとって、言葉にできないほどの喜びだった。
「ありがとう、ガブリエル。わたしも、あなたが好きだ」
愛している、と掠れた声で言えば、同じだと伝えるようにさらにきつく抱きすくめられた。
その後もセシルは薬の副作用で苦しみ続け、ガブリエルがそばに寄り添ってくれた。
まるで熱で苦しむ子を看病する母親のように一晩中、ずっと……。
実の母にもしてもらえなかったことをしてもらい、セシルはまたうっかり泣いてしまって、その涙もガブリエルの指に優しく拭われた。
(わたしも、勇気を出すよ、ガブリエル)
朝になるにつれて苦痛が和らいでいくと、セシルはガブリエルの腕の中で誓った。




