06
五限目、グラウンドは五月晴れの強い日差しに包まれていた。
三年のカズヤのクラスはサッカー、隣のコートでは一年の五十メートル走の計測が行われている。
カズヤはボールを追いかけながら、チラチラと隣のコートへ視線を送っていた。
一昨日、海辺で震えていた謎の少女。実力テストでは全科目満点を叩き出した自称・妹のレナ。
(勉強は、まあ、事前に問題を盗み見るとか、超高性能な隠しカメラでカンニングするとか……百歩譲ってハッタリが効くかもしれない。けど、運動は物理現象だ。誤魔化しようがないだろ)
カズヤは自分に言い聞かせるように思考を巡らせる。
レナのあの細い腕、透き通るような白い肌。およそアスリートとは程遠い見た目だ。
いくら周囲の記憶がバグっていようと、物理法則までは書き換えられないはずだ。
「おいカズヤ、パス!」
「っと、悪い!」
親友のサトシからのパスをトラップミスし、カズヤは慌ててボールを追う。
その拍子に、隣のコートでレナがスタートラインに立つのが見えた。
カズヤは足を止め、じっとレナを見つめた。
レナはクラウチングスタートではなく直立に近い姿勢でただ前方を無機質な瞳で見つめている。
他の生徒たちが緊張した面持ちで構える中、彼女だけがまるで起動を待つ精密機械のように静律を守っていた。
ピストルの音が鳴った、その瞬間、カズヤは自分の目を疑った。
土を蹴る爆発的な音も、激しい足音もしない。
ただ、レナの姿が、一瞬でトップスピードへと加速した。
(えっ……?)
走っている、という表現は正しくない。
まるでビデオの早送りのように、あるいは氷の上を摩擦ゼロで滑るように、レナの体は無音のまま、信じられない速度で前方へと移動していく。
彼女の周囲の空気が、鋭く切り裂かれる「ヒュン」という音だけが、カズヤの元まで微かに届いた気がした。
他の生徒たちがまだ十メートルも進んでいない間に、レナは遥か先、ゴールラインを駆け抜けていた。
「2秒フラット!」
タイムを計測していた教師がストップウォッチを見つめ、当然のような声で呟いた。
「相変わらずだな、高木。少しは他の女子の平均に合わせろと言っただろ」
(なっ、なにいいいいいっ!!! に、2秒……!? 日本記録どころか、人類の限界超えてるだろ!)
カズヤは心の中で絶叫した。
土さえ蹴らず、汗もかかず、息一つ切らさずに、物理法則を無視してゴールした少女。
だが、周囲の反応は、当たり前のように『納得』で満ちていた。
「さすが高木さん、あのアスリート特有の無駄のない動き、いつ見ても見惚れちゃうな」
近くにいたレナの同級生達の会話がカズヤの耳に届く。
(いやいや!! アスリートでもあんな動きしないだろ!!)
カズヤは「こいつ人間なのか?」と思いつつも、不思議とそれ以上の詮索をする事は無かった。
走り終えたレナはゆっくりとカズヤの方を向いた。
その無機質な瞳の奥でカズヤの動揺が音もなくデータとして処理されている。
「……物理係数の同期、完了。現地の座標への固定は正常です」
レナはカズヤに背を向け、次のクラスメイトの計測ために、再び静かに整列した。




