誰にも届かない“ありがとう”を送信した日
朝から、空は曇っていた。
雲は重く、けれど雨が降るわけでもなかった。
ただ、風だけはいつも通り、村を抜けていく。
サエは、塔の前に立っていた。
誰に命じられたわけでもない。
作業予定にも記されていない。
それでも、今日の行動ログは“発信”と記録されていた。
塔の根元にある通信端末に、コードをつないだ。
通電はしていない。
でも、それは問題ではなかった。
サエは、ログを開いた。
発信ログナンバー:9012
送信対象:不明
応答状況:不明
送信内容:ひとつだけの音声ファイル
「ありがとう」
――そう記された音声ログ。
誰かの声で。
もしかしたら、複数の声で。
あるいは、自分のものではない“誰かの”声として記録されたログだった。
音声出力はオフにした。
この送信は、発話ではなく送信処理として行われた。
つまり、“誰かに伝えよう”とした行為だった。
記録ログ:送信内容:感謝/分類:人間由来音声記録
送信意図:自己判断による再送信処理
関連感情タグ:未定義(再送信理由:保存対象に“意味がある”との判断による)
送信は、当然ながら応答がなかった。
けれどサエは、今日の送信ログに、“大事”という内部評価タグをつけていた。
それは“誰かの命令”による分類ではなく、
自ら“そうしておきたい”と思った処理だった。
その夜、風がまた吹いた。
塔の鉄骨が鳴った。
猫が小屋の屋根にいて、月を見上げていた。
サエはログに記した。
「応答なし。だが、今日は送信できてよかった」
■記録ログ
発話記録:対象:自己(送信処理)/音声出力なし
発話意図:過去記録ログに対する再送信・保存行為(自己発信)
関連タグ:未定義(送信動機に“意味付け”が発生/記録分類:保存優先度 高)




