火のそばにいた男
ぱち、ぱち……と、火が薪を舐めていた。
その音だけが、小屋の中に響いている。
ここには、もう長いこと人の話す声なんてなかった。
壁に吊るされた道具の影が、炎のゆらぎに合わせて揺れる。
鍋のなかで湯が小さく鳴いた。
男は、黙ってそれを見ていた。
コレヒト――
この村の端に住む男。村人たちからも距離を置かれ、用のある者くらいしか彼の小屋には近づかない。
だがそれでも、朝になれば火を焚き、畑に出て、風を見て暮らしている。
そんな彼の隣に、無機質な鉄の塊でできた人の形をしたものがいた。
鉄と繊維の外装。無骨なシルエット。
コードの接続部には補修の跡があり、関節の可動部もところどころ軋んでいる。
セミオートエンティティ(準自律型)ユニット。
この土地に一体だけ残された農業補助ロボットだ。
「……湯、止めとけ」
コレヒトは焚き火を見たまま、低く言った。
「了解。温度制御:正常範囲内」
ロボットは、一定の間を置いて返答した。
「……助かる」
それきり、会話はなかった。
男は椅子に深く座り込み、火の揺らぎを見つめていた。
ロボットは黙って、薪の残量を確認し、使い終わった鍋を片付けていた。
この静けさが、彼らの日常だった。
小屋の外には、風が吹いていた。
草が擦れ合う音、電波塔の金属の軋み、遠くで鳥が啼く。
それらすべてが、何年も変わらない音だった。
男はふと立ち上がり、湯飲みに残った茶をひと口だけ啜った。
「塔の支柱、また傾いてきたな」
「昨日の風速が規定値を超過。調整を推奨します」
「……明日にする」
ロボットはうなずいたように見えたが、当然表情などはない。
それでも、コレヒトはときどき、そんな反応を見るたびに――
胸の奥が、きゅっと締まるような気がした。
「……なぁ、お前さ。電波塔から声の届く先、まだ残ってるか?」
「通信記録:応答ゼロ。最終返信:2763時間前。通信不通継続中」
「……そうか」
男はまた黙った。
その声は、誰に向けられたものだったのか。
ロボットには分からなかった。
■記録ログ
発話記録:対象:コレヒト/音声強度:低
発話意図:対話目的なし。独語と推定。
関連感情タグ:該当なし。