第4話「竜核解放」
息を潜めても、殺意は消えない。
空気が凍りついたように重い。洞窟の天井から垂れ下がる stalactite〈鍾乳石〉さえ、敵の圧に押されて震えているようだった。
「……なんで、こんなものが……!」
セラの声が、乾いた吐息のように漏れる。
目前に立ちはだかるのは、黒鉄の巨体。機械仕掛けの竜殺し──《対竜自動殲滅兵装 No.03》。通称、《竜喰い》。
その存在は神代の記録にしか残っていないはずだった。終戦間際、竜族に致命的な一打を与えるため、教会が“竜核”の技術を盗用して作った禁忌の兵器。
「動いている……本当に、動いてる……っ」
セラの身体が震えているのが分かった。怯えている。けれど、逃げようとはしない。
リュカ──スライムにして、竜核の所有者。
彼は無言でセラの前に滑り出ると、敵を見据える。
(何かがおかしい……)
竜喰いは“無人兵器”のはずだ。だが、その構え、立ち回り、魔力の揺らぎ……まるで生きているような“気配”を放っている。
明確な「敵意」と「選別」がある。殺すべき対象を見極めている視線──それが、リュカではなく“セラ”に向けられているのが、何よりも異様だった。
(俺じゃない。セラを──殺すために動いている?)
竜核を持つ自分ではなく、ただの少女であるセラを狙う理由。それは、彼女の存在が何らかの“教会の教義”に反している証拠だ。
「わたし……わたしが、呼び起こしたのかも……遺跡の魔石に、触れて……」
「違う」
リュカは短く否定した。だが、その内心では確信を深めていた。
セラの“存在”そのものが、何かの封印を解いた。
彼女が持つ「血」か「記憶」か、あるいは──何かもっと大きな因果が、絡んでいる。
竜喰いの魔力放出が増幅した。左腕を掲げ、光球を生成し始める。警告も猶予もない。これは“殺すため”の動作だ。
「セラ、伏せろ!」
リュカが叫ぶと同時に、地響きのような衝撃波が空間を裂いた。
音が遅れて響く。洞窟の天井が崩れ落ち、視界に灰と瓦礫が舞う。
リュカは分裂し、霧のように動体を飛ばしてセラを守る。
その反応は、彼自身の意志を越えていた。
(……これは、竜核の介入だ)
自我の奥にある、赤黒く脈動する魔力の核──《竜核》。
その存在が、リュカの意識の底から語りかけてくる。
──力を貸す。だが代償を払え。
(……またかよ。都合のいいときだけ、出てくるんだな)
リュカは喉の奥で苦笑した。
スライムという下等な存在であるはずの自分が、こうして思考し、感情を持ち、言葉を話すのは《竜核》の干渉によるもの。
それを使えば強くなれる。だが、確実に“何か”を失っていく。
(人格、記憶、理性……どれだ? 魂か?)
セラの姿が揺れて見えた。崩落する岩の影に立ち、震えながらも、彼の背中を見つめている。
逃げられるはずの状況で、なぜ彼女は留まる?
なぜ、信じようとする?
──分からない。でも。
「いいぜ、貸しひとつな。竜核……全部持ってけよ。ただし、セラを守りきるまで、俺は折れない」
次の瞬間、彼の身体が熱を持った。魔力が奔流となって溢れ、肉体を焼き上げる。
スライムである“器”は膨張し、分裂し、やがて霧のような個体群へと変化していく。
《竜核・擬態進化形態──幻影核、展開開始》
影のような存在が五つ、洞窟の中に分散する。それぞれがリュカの“思考片”を宿し、独立して行動する。
竜喰いのセンサーがかく乱され、動作が一瞬だけ遅れた。
(そこだ──)
本体であるリュカは、背後から一気に跳躍する。
《幻影刃》を構成し、魔力を極限まで圧縮した斬撃を一閃。
敵の制御核──胸部の装甲内部に埋め込まれたコア──を、狙い撃つ。
爆音。
閃光。
機械の悲鳴。
竜喰いは膝を折り、数秒後に完全沈黙した。
──終わった。
そう思った瞬間、リュカの体に異変が走る。
(……まずい、戻れない)
竜核が制御を握ったままだ。
身体が暴走し、魔力が過剰に膨張する。スライムの“器”が、もう自分のものではないように感じる。
──お前に、帰還の選択肢はない。
竜核の意志が、彼を呑み込もうとしていた。
“個”を捨て、“核”となれ──そう命じてくる。
「……嫌だね」
リュカは、意識の奥で叫ぶ。
(俺はまだ終われねぇんだよ……!)
崩れゆく思考のなか、声が届いた。
「リュカっ──!」
セラの声だった。走り寄る足音、震える叫び。
その手が、リュカの暴走する体を必死に掴む。触れようとする。
「お願い……戻って……! わたし、あなたに……伝えたいことが……!」
その瞬間、竜核の魔力がわずかに揺らいだ。
自我の芯に、小さな光が差し込む。
(……伝えたいこと……)
彼女の言葉が、魔力の奔流をわずかに引き戻す。
竜核が揺れる。その隙を、彼は逃さなかった。
(俺は“リュカ”だ。名をもらった存在だ。スライムでも、竜でも、核でもない──俺は、“人”なんだ!)
叫びとともに、意識が閃光を放つ。
……そして。
リュカの身体が、ゆっくりと元の形に収束していった。霧は霧に還り、暴走した魔力は静かに沈んでいく。
セラの腕の中で、スライムの輪郭が形を取り戻す。
「……っ、リュカ!」
「……ただいま。ちょっと……疲れた……」
その言葉を最後に、リュカの意識はふっと闇へ沈んだ。
けれど、心の底には確かなものが残っていた。
──守れた。
──自分でいられた。
──名を、呼ばれた。
それが何より、嬉しかった。