プロローグ後編
ズル、ズル……。
粘液の体が、地下の腐臭に満ちた土を這う。
腹は減っていない。けれど、心が飢えていた。
“誰か”だった記憶のかけらが、血肉を欲している。
《捕食対象発見──生体反応あり》
《個体:迷い子ラット・小型魔物/ランクF》
《戦闘推奨──捕食成功で進化ゲージ上昇:13%》
気づけば、体が動いていた。
反射でも、本能でもない。
「生き延びたい」という、渇きにも似た衝動だった。
そのときだった。
ラットがこちらに気づき、甲高い悲鳴を上げて飛びかかってきた。
(くる……!)
目はないはずなのに、動きが読めた。
ラットの動き、軌道、魔力の流れ――全部“視える”。
《スキル発動──魔力感知Lv1》
《スキル補助──情報解析Lv1》
(殺らなきゃ……殺される!)
恐怖と反射が混ざるように、粘液が衝撃で跳ね上がった。
跳ねた体がラットに直撃し、肉の隙間に自分を押し込む。
ズズ……ズリッ……。
骨を溶かす感覚。
叫びが、のたうち回るような振動が、自分の中を流れる。
(ごめん……)
再び謝った。
自分を守るためとはいえ、命を奪ったことに、どこか痛みがあった。
それでも、体はラットの肉を喰い尽くしていた。
《捕食成功──進化ゲージ:+13%》
《スキル取得──跳躍Lv1/超敏覚Lv1》
《総進化ゲージ:24%》
少しずつ、少しずつ、何かが変わっていく。
力が、自分の中に積み重なっていく。
それが嬉しいはずなのに、どこか、寂しい。
(進化って……何を犠牲にして、手に入れるんだろうな)
喰らえば喰らうほど、“人間だった頃の感覚”が薄れていく気がした。
涙はもう流せない。
でも――確かに、心はまだ泣けた。
《通知:特殊因子“竜核”との共鳴を検出》
《進化選択肢に“竜性進化ルート”が追加されました》
《推奨:捕食を続け、進化条件を満たしてください》
竜核――
それは、未知なる“力”の兆しだった。
だがそれが希望なのか、呪いなのか、今の彼には分からなかった。
──ただ一つ、確かなことがあった。
この世界に産み落とされた“忌まれたスライム”は、
まだ、心の奥で人間であることを望んでいた。
それだけは、喰らっても、進化しても、壊したくなかった。