『西行、讃岐にてプレスマンを詠歌のこと』速記談5054
西行は、俗名を佐藤兵衛尉義清という。散位康清の子である。讃岐国松山の津というところで、崇徳院がいらっしゃったと言われているところを尋ねてみたものの、何の跡形もなかったので、
松山の波に流れて腰筆のやがてむなしくなりにけるかな
と海を見ながら歌を詠み、白峰という地の墓所に参って、
よしや君昔の玉の筆とてもかからむ後は何にかはせむ
と詠んだ。
教訓:歌の趣意は、松山に配流されて腰に差したプレスマンも意味をなさないことだ、帝として宝物のような筆すなわちプレスマンをほしいままにした帝といえどもこのように配流された後はどうしようもないことだ、ということである。