散りゆく思い出の中で
「先輩?」
俺の呼びかけに対しても返答がない。
仕方なく先輩の前に回りこみ、もう一度声をかける。
「大丈夫ですか?」
顔色が悪い。冷や汗も出ている。
先輩は俺に気がつくと、無理矢理笑顔を作りながら搾り出すように声を出す。
「……あはは。それなりに覚悟して来たんですけどね」
「詳しい事情はわかりませんけど、無理しない方が」
「いや、大丈夫です。気合い入れ直すので、私の頬をひっぱたいてもらえますか?」
「勘弁して下さいよ……」
なぜこんな人のいる駅でいきなりDV始めなきゃいけないのか。通報されるぞ。
しかし、先輩は本気のようだ。目をぎゅっと瞑りながら張り手が来るのを待っている。
「やりませんよ?」
「思いっきり来て下さい!!」
「やりませんって。……じゃあ手を出してもらえますか?」
「手?」
先輩は言われるがままに手を差し出す。
その手をガッツリ掴み、俺はゆっくりと引っ張りながら歩き出した。
「歩けそうですか?」
「……わ、私の手なんか触ると、その部分腐りますよ!!」
「毒手かなんかなんですか?」
ぎこちない足取りながら、なんとか先輩はついて来れている。ただ顔色はさっきとうって変わり、紅潮しているようにも見える。
そのまま手を引きつつ駅を出るが、この先どっちに向かえばいいのかわからない。先輩に聞こうと振り返るが、顔を隠すように俯いていた。
「あの、この先どっちに向かえば?」
「ふぇっ!? あ、ああ。真っ直ぐで……」
「わかりました」
先輩は俯きながらも、上目遣いでチラリと俺を見る。
「あ、あの。常磐くんって、割と普通に女子の手を握るんですね」
「え? いや、まあ妹の世話よくしてたんで。最近じゃ橋良の世話もよくしてるから、割とこういうことは多くて」
「は、はぁ……」
自分で言ってて、俺も疑問に思う。
なんだよ、橋良の世話って。
そのまま真っ直ぐに歩いていると、段々と景色が変わってくる。ビルが並び建っていた駅前の道よりも木々が目立つようになり、住宅が増え出していく。
目的地に近づいているのを感じていると、先輩が呟くように話しだした。
「……あの頃も、こんな風に手をひかれながら歩いてました」
「あの頃?」
「私が小さい時です。母に手を引かれて、桜並木まで歩いたんです」
先輩の声色から、どこか薄暗いものを感じた。なんとなくだが、今は振り向いてはいけない。
「思い出の場所なんですか?」
「そうですね。母との思い出の中でも鮮明に記憶に残っている場所です。だから、母が亡くなってからは一度も来たことはありません」
……ああ、なるほど。
なんとなくだが、先輩が行かなきゃ終わらないと言っていた意味がわかった気がした。
おそらく先輩は、本当の意味で過去と向き合う決意をしたのだろう。
「そんな大事な場所に連れていくのが俺で、本当にいいんですか? 副会長とかの方が……」
「常磐くんがいいんです」
「恥ずかしい姿を見たから?」
「……それは建前です。私がどうしようもなくなった時、隣りにいてくれるのは常磐くんがいいって思ったんです」
なぜ俺なのだろうか。
当然に浮かんだ疑問だが、それを問うのは野暮な気がしてそれ以上は聞けなかった。
無言のまま少し二人で歩き続けるが、途中で先輩の手がパッと離れた。
「ありがとうございました。ここからは、一人で歩きますので」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるじゃないですか。私、部長ですよ?」
あまり関係ない気がするが、まあ部長だから大丈夫だろう。そういうことにしておこう。
先輩は歩みを早めて、俺の前を歩いていく。その後ろについて行くと共に、また景色が変わっていることに気づいた。道路に桜の花びらが落ちている。
「……この角を曲がったら目的地ですよ」
先輩の足が一瞬止まるが、すぐにまた歩き出す。心の準備なんてものをしたら、また進めなくなってしまうと思ったのだろうか。
先輩は勢いのままに角を曲がり姿を消した。
俺もその後をついて、角を曲がる。
目の前に広がったのは、終わりが見えない程長い一本道の桜並木。
これでもかという程道路の両脇には桜が乱立しているが、案の定散ってしまっている。
どこまでも続いている葉桜達を先輩は表情も変えずじっと見つめていた。
その隣に俺は立ち、しばらく二人で沈黙の時間を過ごす。
先輩は今何を感じて、何を考えているのだろうか。そんなこと聞けやしないし、聞く気もない。
彼女は今自分自身と向き合っているのだから。
「思っていたよりも呆気ないな、と感じました」
不意に、先輩が沈黙を破る。
「呆気ない……ですか?」
「その瞬間はどれだけ綺麗でも、時が経ってしまえば薄れてしまう。この桜達みたいに、私の思い出も散っていってしまうのでしょうか」
先輩は小さく息を吐く。
そして、俺に向かって哀しそうに笑った。
「常磐くん、ごめんなさい。ちょっと、恥ずかしい姿見せますね」
「……お好きなだけ」
先輩はまた桜並木に向き直る。
そして、じっとこの景色を見つめながら、瞳から雫を流し始めた。
「なんで、私を置いて行っちゃうの……なんで、急に……し、死ん……っ……なんでっ……!! もっと一緒にいたかった! もっと、もっと、話したかった! 隣にいてほしかった……抱きしめて撫でて欲しかった……なんで……なんっ……ぅあ……っ……うわぁぁぁぁぁ!」
先輩は声をあげて泣き始める。しっかりと言葉にはならないまま、心の吐露をする姿は子供のようで、思わず抱きしめてしまいたくなる。
それでも、俺は何もしてはいけない。俺の使命はただただこの姿を隣で見続けることなのだ。
通行人が見ている。
近くの住人が、何事かと窓を開けてこちらの様子を伺っている。
鬱陶しい。
この姿を見ていいと許されたのは、俺だけなのに。
どれだけ泣いていたのかわからない。長い長い時間、先輩は涙を流し続けた。
一生分の涙を流し、唇を噛み締めながら先輩は顔をあげる。そして一言だけ呟いた。
「さようなら」
……これで終わったのだ。
先輩が長い間捉われていたものとの決別。
そして、受け入れて進むことへの決意。
彼女の中で全てが精算されたのだろう。
先輩はまだ瞳に涙をにじませながらも俺の方を向き、困ったように笑った。
「あはは……お見苦しいところをお見せしました」
「いえ、俺を選んでくれて光栄ですよ」
「さあ、戻りましょうか。早く帰らないと午後の授業が——」
「先輩、来年またここに来ましょう」
先輩の中では終わったのかもしれない。
でも、それは区切りがついただけだ。終わりがあれば始まりがある。
「来年、桜が咲く頃にみんなで来ましょう。波瑠と橋良がバカみたいに騒いで、副会長が呆れながら注意して。俺たちは苦笑いしながら、綺麗な桜を眺めて。想像はつきますが、きっと楽しいですよ」
「えっと……そうですね。楽しいかもですね」
「散ってしまったなら、また咲くのを待てばいい。時の流れは無常です。でも、そうやって幸せを繰り返すために俺達は生きてるんです」
我ながらクサイことを言っているとは思う。
だが、伝えておきたい。この先、色褪せることに怯えて欲しくはないから。
「大丈夫です、俺達がいます。無理矢理にでも、楽しい思い出を更新し続けてやりますよ」
「……常磐くん」
先輩は滲んだ瞳で俺の顔を見つめていたが、堪えきれないというように笑い出した。
「ぷっ、あははっ! 常磐くんって、本当に熱血って感じですよねっ!」
「笑わないで下さいよ……」
「ほら、やっぱり隣にいたのが常磐くんでよかった」
そう言いながら、先輩は手を後ろに組んで歩き出す。どうやら帰路を辿るようだ。
俺はどことない恥ずかしさを覚えながら、ひっそりと後ろをついて行く。すると、こちらを向くこともなく先輩は話しかけてきた。
「楽しみですね」
「えっ……何が?」
「来年のお花見。まあ、みんなと言わず、二人きりで行くのもアリですけど」
その言葉の意味を頭で整理する前に、先輩が急に振り返る。
うっすら口角をあげながらこちらを見つめている。これは……からかわれているのか?
美人の先輩にイジられる。悪くないシチュエーションなのだが、先輩にやられると違和感が残る。
「そういえば、あの時の質問の答え。まだ聞いてなかったですね」
「質問?」
「波瑠さんと、橋良さん。結局、常磐くんの本命はどちらなんでしょう?」
うん。間違いなくからわれているな。
俺は目線を逸らしながら、はぐらかす。
「いや、本命って。別にそんなんじゃ」
「まあ、どちらを選んでも応援しますよ。でも……」
先輩は急に顔を近づけてきた。
そして、わずかな息遣いがわかるほどの至近距離でそっと耳打ちをされる。
「選択肢をもう一人増やしてくれても、私は全然構いませんが?」
くるりとまた踵を返して、先輩はまた歩き出す。いつまでも耳に残るような先輩の透き通った声。それが、脳内に直接叩き込まれて、俺の心臓が爆速で動き始めた。
「えっ……あっ。えっと……えっ?」
「ほら、常磐くん。早く帰りますよー」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! えとっ……どういう意味ですか?」
「さあ?」
少しだけ振り返りながら、ニヤリと先輩は笑う。完璧に年上に翻弄される弱者男性の図が出来上がっている。
……こんな一面があるとは。
俺はまだまだ、先輩のことを知らない。
でも、これから段々と知っていくのだろう。
魔性の女。
高梨桜という人間を。




