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高梨桜は救いたい

 幼い頃、母にピッタリと付き添い一緒に歩む日々は常に輝いて見えた。


 春に包まれた桜並木は淡い光を帯びながら、私たちを優しく迎え入れてくれた。穏やかな風が解けながら私の頬を優しく撫でていく。全てが満ちていて、全てが尊くて。


「桜、見てみな。あなたの名前が、こんなにも綺麗に咲いてるよ」


 そう言って抱えあげてくれたあの景色を、一生私は忘れないだろう。



 父は、私が物心つく前に亡くなった。

 それでも、寂しいと思うことなんてなかった。それ程に母は偉大で、私の世界を照らしてくれる太陽だった。


 ……じゃあ、その光を失ったら私はどうなってしまうのだろう。ずっと心のどこかにしまっていた不安は、突然に私の前に現れた。



 事故だった。


 

 その時のことはあまり覚えていない。

 何かを感じようとする心さえも、私は手放してしまっていたのだろう。


 私は母方の祖父母の家に引き取られた。

 空虚のまま時が過ぎ、私の思考が動き出すまでには相当の時間を費やしたのだと祖母から聞いた。


 母の交友関係もあり、沢山の人が動いてくれたらしい。

 その中に日菜ちゃんもいた。毎日のように家に来ては、泣きそうになりながら必死に呼びかけてくれたようだ。普段の日菜ちゃんからはとても想像がつかない。


 そして、現実か夢かもわからないまま、少しずつ正気を取り戻していった。

 ご飯を食べ、歯を磨いて、お風呂に入って。そんな日常が周り始めた頃に、私は自分の異変に気づく。


 外が怖い。

 

 母と歩いた日々が。

 あんなにも綺麗だった桜並木が。

 どうしようもなくモノクロに映ってしまうことに、とてつもない恐怖を感じた。


 私は学校にも行かず引きこもり、ただただ自分の心の中で狂ったように叫び続けた。


"どこ行ったの……早く帰ってきて……早く……早く……早く……早く……"


 現実に帰ってきたところで、それを受け止められる強さを私は持っていない。憔悴し、いっそ、この世界を捨ててしまおうかとも思った。


 それでも心は、私を守るために必死にあがいていたのだろう。どうしようもない感情が私を完全に飲み込んだある日、突然プツンと意識が途切れた。

 

 その日、何をしていたのかは覚えていない。気づくと外は真っ暗で、暗闇の中で私は鏡の前に立っていた。

 

 洗面所の照明をつけ、霞む視界にピントを合わせる。

 

 鏡に映ったのは、私じゃなかった。

 無意識に自分で切ったのであろう髪の毛は、不恰好ながらも短く整えられていた。耳には母の形見の赤いピアス。雑に染め上げられた金髪。

 

 それが偽物だとはわかっていた。

 それでも、私の瞳からはポロポロと涙がこぼれ、心が満たされていくのを感じた。

 

 どうしようもない安堵感に包まれながら、私は呟く。


「ああ、なんだ……こんなところにいたんだね」


 

 これが、私。

 高梨桜の弱くて、情け無い、過去のお話。





「ねえ、日菜ちゃん。私ね、お母さんと同じ高校に行こうと思う」


「どうした、急に?」


「やりたいことができたの。お母さんが活動してた相談部に入る。それで、私みたいにどうしようもないものを抱えた人達を救いたいんだ」


「……そうか。じゃあ、受験を頑張らねばな」


 日菜ちゃんの顔が一瞬曇った。

 賢く、勘が鋭い人だ。私の薄っぺらい言葉なんて見透かされている。


 人を救いたい?

 そんな、純粋な動機なんかじゃない。


 私はそばにいたかった。

 近くで感じていたかった。

 ただただ……私は母になりたかった。


 だから、同じ道を歩むことを決めた。


 そう。

 私は、私自身を救いたかったんだ。




◇◇◇◇


「一回切るぞ、桜」


「まっ——」 (プツッ)


 一方的に切られた。

 頭が状況に追いついていかない。


 ……ただ、一つ言えることは私のせいで皆に迷惑をかけている。今すぐ、学校に行って常磐くん達を止めないと。


 そう頭でわかっていても、足が動き出さない。身体が動いてくれない。心が外の世界を完璧に拒否している。


 どうしようもなく立ち尽くす中、不意に携帯の通知音が響いた。急いで確認すると、差出人の名前には早川日菜と書かれていた。


『もう少ししたら、ビデオ通話をかける。そちらの映像は別に写さなくていいから、必ず出てくれ』


 ビデオ通話……あっちの状況を見せるつもりなのだろうか。

 

 遠回しに責められてる?

 私が情けないから。嘘つきだから。

 みんなの優しさに甘えて、ふり回して。自分のことばっかり。


 心の底から恥ずかしい。


 誰とも会いたくない。

 誰にも見られたくない。


 頭の中が黒いもので埋め尽くされていく中、再度携帯が鳴り始めた。


 ちゃんと、伝えなきゃ。

 もう終わりにしようって。相談部のことも、私のことも、もういいって。失望させてごめんなさいって。


 私は意を決して、携帯を手に取り通話ボタンを押した。

 

「……日菜ちゃん、あのね」


「はいはーい、こちら現場の波瑠ですっ! 現在、変態ナース服男がゴリラを連れて校内を爆走中っ!! 緊急で中継を行なっていきますっ!」


「波瑠さん?」


 日菜ちゃんの携帯から着信があったはずなのに、波瑠さんが出たこと。そして、自分とは正反対のテンションの高さに、完璧に虚をつかれる。


「えっと……日菜ちゃんは?」


「なんか有事の際に関係者だってことがバレると、対応しにくいとかなんとか。よくわかんないけど、私がリポーターに任命されました!」


 満更でもないのか、照れながらも満面の笑みを浮かべている。


「はい、ではこちら現場の状況になりますっ!」


 波瑠さんのアップから画面が切り替わる。

 そこに写し出されたのは、ナース服を着て走り回る常磐くんと、その後ろでゴリラのような動きをしている橋良さんだ。


 顔面を紅潮させる常磐くんに反して、橋良さんはなぜか誇らしげな顔をしている。


「あはははっ! 本当ツバメ、バカだよねー!」


「わ、笑ってる場合じゃないですっ! 早く止めて下さい!」


「いやー、ああなったツバメは止められないよ。"自分常識人です"、みたいな顔して一番ヤバいんだから」


 カメラアングルが戻り、笑いを必死に堪えている波瑠さんが映し出される。

 何も言葉を発せない私に対して色々と察したのか、表情を緩め優しく笑いながら語りかけてきた。


「桜ちゃん、大丈夫だよ。ツバメがいれば、絶対大丈夫」


「……何がですか?」


「ねえ、何でツバメはあんなことしてるんだと思う?」


「私の気持ちを知る為と話されていました」


「それだけじゃないと思うんだよねー」


 再度アングルが変わり、常磐くん達が映し出される。橋良さんに至ってはもうノリノリだ。動きにリアルさが増している。


 そんな中、波瑠さんが呼びかけた。


「おーい、ツバメー!! 桜ちゃんと繋がってるけど、なんか言いたいことあるー?」


 常磐くんは振り返るが、相も変わらず顔を真っ赤にさせていた。

 周りをキョロキョロしながら、スタスタと早歩きでこちらに向かってくる。


「波瑠。これ、映ってるのか?」


「ビデオ通話ですから」


「ああ……そうか。うん、そういうことするならちゃんと言え」


 無許可だった。

 てっきり、承知の上でやってるものだと思っていた。私に見られていることを知った常磐くんは、更に顔を赤めらせながら、口を開く。


「あの、先輩。俺、先輩がいないと困ります」


「……ごめんなさい。そうですよね、部活のことで動かなきゃいけないのは私なのに」


「そうじゃなくてっ!」


 遮るように、常磐くんは声をあげる。


「なんか、コイツらといると有り得ない会話してくるし。全然空気読まずに暴走するし。ツッコんでも、俺がおかしいみたいな空気出してくるし。俺一人じゃ無理というか……いや、まあ暴走してるのは俺もなんですけど……」


「落ち着いて下さい。とりあえず、部室に戻って早く着替えて——」


「あ、あのっ!! どんなに先輩が恥ずかしくても、情けなくても大丈夫です! そんなの気にならない程、俺達もおかしなヤツです。……だから、一緒に最高に恥ずかしい学校ライフを送りましょう!!」


 ……めちゃくちゃな理屈だ。

 言いたいことも、まとまっていない。私の苦悩の本質的なところもわかっていない。


 それでも、この人は全力だ。

 私のために……私なんかのために自分のことを省みずに動いている。本気で私のことを救おうとしているんだ。


 私だって、こうなりたかった。

 こうありたかった。


 その姿は、かつての私の太陽にそっくりだったから。


「こらぁぁ!!! お前ら、何やってんだ!!」


 映像の中から、男性の声が響き渡った。


「やべっ、先生だ! 逃げるぞ、橋良っ!」


「ウホッ?」


「もうそれやんなくていいからっ! 行くぞ!」


 慌ただしく画面が揺れながら、映像がまた波瑠さんのアップに切り替わる。


「ということらしいですっ! 以上、現場からでしたっ! 私は日菜ちゃん呼びに行くから、またねー!」


 そのまま、一方的に通話は切られた。


 ……衝撃映像だった。

 嵐のように起こった出来事を、彼が語ってくれた言葉達を、もう一度頭の中で振り返る。


 色々な感情が駆け巡る。

 私は、それでも動けないのだろうか。わからない。わからないけれど……


 大きく息を吸い、私は呟く。


「負けてらんないよね……お母さん」

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