虚栄
今まで感じたことのない疲労感だ。
身体的な疲労と精神的な疲労を重ねると、頭が「とりあえず休め」と警告を出してくることを初めて知った。
俺は家に帰ると、そのまま自室へと突っ込んだ。そして、意識ギリギリにベットへ倒れ込む。
「疲れたな……」
そう呟きながら目を閉じると、ある人物の顔が暗闇の中に浮かんできた。
夕焼けに照らされる俺の愉快な仲間第二号は、どうしようもなく脳裏に焼き付けられたようだ。ただ、この感情に名前をつけていいものなのかはわからない。
未来の俺は、どのようにして波瑠に恋をしたのだろう。
先輩のことも部のことも、考えなければいけないことは沢山ある。だが、自然に襲ってくる睡魔に抗えずそのままゆっくりと意識を——
「おにーちゃんー? 帰ってきたの?」
飛ばさせてはくれないようだ。
今、一番相手にしたくない人物がご来室されやがった。
「……ヒバリ、部屋入るならノックしろ」
「いつもならするよ? でも、今日はなんかラブの匂いがしたから」
「何言ってんだ、お前」
「メスでも連れ込んでたら、邪魔しなきゃいけないじゃん?」
じゃん?じゃねーよ。
そもそも、ラブの匂いってなんだ。俺の思春期的な感情を嗅ぎ取ったっていうなら、もう人じゃない何かだよ。
「はい、お兄ちゃん起きて。色々と聞き取りを行います」
「……兄ちゃん、疲れてるんだ。また今度にしてくれ」
「私はね、理解のある妹なのです」
ヒバリは俺のベッドにポスンッと座り、そのまま話し出す。強行突破をするつもりだ。
仕方なく俺は起き上がり、マジで面倒臭えオーラを放つ。だが、ヒバリのとても優れた嗅覚は、都合の悪いことは嗅ぎ取れないらしい。
「普通の妹だったら、兄にラブの匂いなんか感じようもんなら大変よ? 相手に脅迫状送りつけたり、ナイフで脅したりするからね?」
「そうか。最近の妹は、物騒だな」
「でも、私は理解ある妹だからさ。多少の浮気くらいは見過ごしてあげるの」
今、浮気って言ったな。
コイツは、何目線で話をしているんだ。
「ただ、私も心配なんだ。だから、最近お兄ちゃんから香ってくる、三匹のメスの情報を出してくれるかな?」
「お前、普通に言ってることヤバいぞ?」
ヒバリは何かを悟ったような顔をしながら、純粋な瞳でサイコパス的な発言を繰り出してくる。
三匹のメスって、橋良と波瑠と先輩のことか?人数が的確すぎて怖い。
……まさか、盗聴器とか仕掛けられてないよな。
「変に隠さない方がいいよ。さあ、まずはそのメス達のフルネームと住所を——」
"ピロンッ"
ヒバリの本格的な尋問が始まると同時に、俺の携帯から通知音が響いた。
「……こんな時にメッセージ送ってくる空気の読めないヤツは誰? そっちがその気なら、こっちは脅迫状送りつけるけど」
理解のある妹は消滅したんだな。
どうやら、普通の妹というものに成り下がってしまったらしい。
俺はヒバリには見られないように、画面を若干隠しながら表示を確認する。
『高梨桜から新着メッセージが届いています』
「……先輩?」
予想外の差出人に、思わず呟いてしまった。
そして、しまったと思った時にはもう遅い。
横目でヒバリを確認すると、にっこりと笑みを浮かべながら口角をピクつかせている。
「へぇ……まさか、年上だとは思わなかったな!」
「落ち着け。とりあえず、兄ちゃんこれから真面目モードに入らなきゃいけないんだ。自分の部屋戻れ」
「その人の個人情報もらえるかな? あとは、私に任せてくれればいいから」
人の話聞いてねえな。
これは、ダメだ。目が軽くイッちまってる。
だが、今優先すべきは確実に先輩の方だ。このまま妹の形をしたバーサーカーを相手にすべきではない。
……仕方ない。泣かすか。
「ヒバリ、よく聞け」
「なにさっ!!」
「この先輩の胸はでかい。ヒバリの三倍近くはある」
「さ、三倍っ!?」
いいリアクションをしてくれる。
正直言って自分でも何を言い出したんだとは思うが、このまま勢いで畳み掛ける。
「何が言いたいか、わかるか?」
「……わかんない」
「胸囲格差というやつだ。はっきり言って、胸が小さいお前に出る幕はない。わかったら、部屋から出ていけ」
「……っ!?」
ヒバリの吊り上がっていた目が、だんだんと情けなく垂れていく。唇を噛み締め、瞳から溢れ出る水滴を必死に堪えようとしてる姿を見るのは、心苦しいものがある。
だが、許せ。
妹の進むべき道を正すのは、兄の役目だ。
「うっ……うぐっ……ひっく。お、お兄ちゃんのバカあぁぁぁ!! おっぱいに埋もれて死んじゃええぇぇ!!」
ヒバリは泣きながら、ものすごい勢いで部屋を飛び出していった。そして、ドタバタと階段を駆け降りる音が聞こえてくる。
これ、多分母さんのとこ行ったな。
また色々と弁明しなきゃならなくなりそうだが、それは後で考えよう。
俺は胸を撫で下ろしつつ、すぐに携帯のメッセージを開いた。
『こんばんは。本日はご心配、ご迷惑をおかけしたこと謹んでお詫び申し上げます。己の未熟さを改めて痛感し、自身の不甲斐なさを心より恥じております。誠に申し訳ありませんでした。』
俺は、取引先か何かなのかな。
女子高生がこんな文章書いちゃダメだろ。
『勝手ながら話をかえさせて頂きますが、日菜ちゃんから聞きました。相談部のために、皆さん動いて下さったんですね。本当にありがとうございます。』
俺が、あーだこーだ迷ってる内に副会長が状況を伝えてくれたのか。
ああいった人が味方になると、心強い。
『先輩として、部長として、皆さんの行動を無駄にするつもりはありません。あさっての集会には参加させて頂きます。格好を正して、明日の放課後部室へと伺いますのでよろしくお願いします』
ここで内容は終わっている。
……先輩を信用していない訳ではない。
ただ、この文章のそこら中からひしひしと伝わってきたことがある。間違いなく、先輩は追い詰められている。
自分への嫌悪感。
俺達への罪悪感。
そして部長としての責任感の中で、押し潰されそうになりながら、先輩はこの言葉達を紡いでいるのだろう。
突ついたら簡単にヒビが入りそうなほど、薄くて脆い。それでも、先輩はそう言わざるを得なかったんだ。
これを覚悟と捉えるべきか。
それとも……
『あまり一人で思い詰めないで下さい。俺達はいくらでも協力します。何かあったら、いつでも頼って下さい」
この返信が正しいのかは、わからない。
でも、これは俺の本音だ。
先輩が一人で傷ついている姿を想像すると、どうしようもなく胸が痛んだ。
◇◇◇◇
「桜ちゃんのクラス見てきたけど、今日もお休みだって」
翌日の昼休み。
当たり前のように俺達のクラスにやってきた波瑠は、当たり前のように隣の田中くんの席に座り、自分の弁当を広げ出した。
申し訳程度に別のグループにいた田中くんに視線を送るが、「どうぞ、どうぞ」と、ジェスチャーされた。
そして、どこか生理的に受け付けない笑顔を浮かべ、鼻息も荒くなっている。
自分の席に座る波瑠に興奮しているのだとしたら、割と上級の変態だ。スルーしておこう。
「見に行ったのか? 先輩来てたら、どうするつもりだったんだ?」
「無理矢理連れてきて、一緒にお昼食べるつもりだった」
「これ以上トラウマ植え付けるなよ……」
なんかジャイアンみたいになってきたな。
このクラスも波瑠に対して異様に寛大だし。支配されるのも時間の問題な気がする。
「大丈夫かな、桜先輩。でも、放課後に部室に来るって言ってたんだよね?」
前の席の橋良は、話しながら自分の机を反転させ俺の机とくっつける。そして、鞄から自分の弁当と大量のお菓子を取り出し、机の上に広げ始めた。
これ、昨日のパーティーで買い出ししてたお菓子達だな。いつの間に自分の鞄に詰め込んだんだ。
「まあ、来るとは言ってたけど……」
「じゃあ、今ごろ黒染めしてるのかもね! よくわかんないけど、時間かかりそうだし!」
俺もよくわかんないけど、とりあえずそうであって欲しいとは思う。
……といいつつ、この二人の空気もなんとなく重たい。さすがに、この状況で楽観的になれるほどポジティブバカではないようだ。
いつもより口数少なく三人で昼飯をつついている中、教室のドアがガラッと開き、凜とした声が響いた。
「失礼する。二年の早川だ。常磐学生はいるか?」




