9話
空が薄青く色づき、今日は星が輝きを失っていた。
暗い夜。真夜中だったが、彼女はすでに目を覚ましていた。
静かな夜だったが、眠るといやな夢を見るような、そんな暗い夜が続いている。
あの時以来、圭子は恵の夢を見るようになったのだった。彼女はちょっとしたきっかけがあれば、すべて忘れられるような気がしていた。
ちょっとしたきっかけの様な気がしたのだが、それが何かが分からなかった。
忘れるべきなのか、追うべきなのかさえ、彼女は分からなかった。
目をつぶると目の前を思い出が舞う様だった。
妹との恵との思い出。思い出したくはない思い出なのだった。
あの時、「お姉ちゃんの胸は奇麗」恵が言った。でも恵の胸の方が大きかった。
彼女はそっと、恵の胸に触れてみた・・・・・。
しかし、彼女が初めて異性との夜を迎えた時、その美しい思い出が過ちだったことに気づき恵への思いは憎しみに変わっていってしまった。
恵も同じだったに違いない。
なぜか彼女は酔うとそのことを思い起こしてしまった。心のどこかで失いたくないものを失った悲しみがあったのかもしれなかった。
圭子は幼いころのことを、何か広い空の下を迷い歩いているような気分の中で思い起こし反芻していた。
緑の奥に続く道に霧がかかって見えなくなっている。
どこへ行けばよいのか。
次の日、圭子はいつもより少し早い時間に家を出た。柴田は寝たままだった。
気温は冬だ。空気は透明に澄んでいる、東の空は淡くオレンジ色に輝いていた。まだ雪が降らない。
驚きと、喜びと、少し恐怖のようなものを感じた。
柔らかい光に包まれた冬の澄んだ空気。大きく息を吸ってみると、針先のように尖ったものが心の中の何かに突き刺さるようだった。
見ていた回りの大きな景色が小さく縮んでいくようだった。
彼女は襟元のマフラーを巻き直した。今日のコートはグレー。空を飛んでいるカラスを見つめ、下を向いて歩き始めた。バスに乗った、すれ違う家々が灰色の涙を流していた。誰の涙なのか。悲しそうな涙。彼女は行き着く当てもなかった。
彼女は小樽に出かけた。彼女は、この街が好きだった。優しく吹く潮風の見える様なこの街。時の流れが止まった様な懐かしさを感じるこの街が彼女は好きだった。
その日、特別な事をしたわけでもない。街中を散策し、お茶を飲み、食事をした。お茶を飲んだ喫茶店は素敵だった。レンガ造りのイタリア風喫茶。中には60年代、英国製の車が並んでいた。彼女は穏やかな音楽の中でコーヒーを飲んだ。そして食事はピザの専門店だった。焼きたてのとろけるようなチーズのピザ。熱くて口の中を火傷をしそうだった・・・。
日が暮れたころ、ススキノで30年間店を出していたご主人が、小樽に惹かれて店を出したという居酒屋でお酒を飲んだ。
酔ってきた彼女はその時、何もかも信じられない気分だった。自分自身すらも信じられなかった。何故なら彼女は運命に裏切られた気分だったのだ。彼女はどこへ向かえばいいのか迷っていた。何を求めて生きていくべきか。自分にふさわしくない物を求めてはいけない。分かってはいた。
部屋に戻った彼女はTVを付けて冷蔵庫を開けた、冷蔵庫から臭い異臭が立ち込めた、今日は死刑判決確定のニュースだ、3人の中学生を殺した殺人鬼に死刑判決。
当然だろう・・・。圭子は一度死刑執行人になってみたいと思うことがある。どんな気持ちで監獄の中の死刑囚を呼び出すのだろうか。どんな気持ちで死刑囚の手を引くのだろうか。どんな気持ちで最後のボタンを押すのだろうか、くすくす笑っているのだろうか。
「結局、私が罪のない恵の死刑を執行してしまったのだ。」圭子は思っていた。