10話
そんな圭子の悩みも知る由もなく、その日の朝、柴田は会社で本部長に呼び出されていた。
ここはIT関連会社では大手で、いくつか支社もある。
本部長クラスからは個室と秘書付きだ。
何度も本部長室に呼び出されたことはあるが、どこもただタバコ臭いだけの狭い部屋だ。
たぶん今回の開発プロジェクトに関連する話だと柴田は思っていた。
今回で2度目だったが彼の今後に影響してくる仕事なので、幾分の緊張感を彼はもっていた。
本部長室に行って、若い女性秘書に本部長の在室を確認した。
ノックをすると、「入れ」本部長のしがれた様な声がした。
ドアを開けて中に入ると煙草の煙だ。本部長は仕事中でも煙草を吸うのか。
柴田はそんなことを思つつ、部屋の中にゆっくりと入り、彼の顔を見ると
「まあ、座れ」とソファを指さし、本部長は、少し細身の体を、何とか重々しく見せようとしながら向かいの席に腰を掛けた。その頑張りが少しいじらしくも思える。
この業種は人の入れ替わりが激しいが、この本部長はたたき上げらしく、相当長くこの会社に勤務しているらしい。
彼に逆らうと、つるし上げを食うということだ。
彼に逆らった部長は、地方へ飛ばされたらしい。どこかは知らない。
どこか遠い所だ。雪の多い、寒い地方だということだった。
課長あたりが下手なことは言えない。
「失礼します」そう言って座ると、なんとも座り心地の良い柔らかなソファだ。
若い女秘書がお茶もって入ってきた。
本部長は早速タバコを出し、マッチで火をつけた。「マルボロか・・・」。
柴田はそう思いながら、彼が煙草に火をつけるのを黙って見つめていた。
「どうだ、部署の調子は」と、金の事しか考えていないような下品な目つきで彼を見つめ、本部長が聞いてきた。彼は何と答えていいかわからず、答えに窮していると、本部長は彼の緊張感を見透かしたように大声を出して、今度は下品に笑いながら言った。
「そう緊張するな、リラックスしろ」
そうして煙草を一息吸うと、煙を大きく吐き出した。柴田は彼の吐き出した煙草の煙を煙たく感じたが、我慢した。柴田は煙草を吸わない。
「君にとってはいい知らせだと思う、柴田」そう言うと、本部長は少し優しく微笑んで、煙草の先を見つめながら、ゆっくりと言った。
「今度、仙台の方に行ってみないか?1年間でいい。嫌なら他に任せるがどうだ?」
「・・・・・」彼の胸中に桂子の事は全くなかった。本部長の言った言葉を受け入れる事が、今後の自分にどう影響してくるか、自分の事だけしか考えていなかった。
「1年間だ、一人じゃ可哀そうだから高田初美君も一緒に行かせてやる」そう言うと、一口吸った煙草を灰皿に押し付けてもみ消した。
さすが本部長ともなると、煙草は一口吸って消してしまうのか。
柴田がそう思っていると、本部長はポッケトから煙草の箱を取り出し、彼に差し出した。彼は軽く手を振り断わると、本部長は箱から煙草を取り出し2本目に火をつけた。タバコの吸いすぎは健康によくないぞ。柴田は言いそうになったが、つるし上げはご遠慮だ。彼は黙っていた。
そうすると本部長が、急に厳しい顔になり言った。
「帰ってきたら重要なポストを任せるつもりだ」
そして2本目の煙草をくわえたままゆっくりと立ち上がり、後ろを向いて、大きな窓の外見つめた。
柴田はすぐに決心した。当然、本部長への重要な足掛かりとなるのだ。
「はい、わかりました」と一言だけ答えた。
その時、窓の外を見つめていた本部長が突然振り向いた。
「そうだ。君、結婚したのか?」と聞いてきた。
柴田は内心、やれやれいつの話だ、柴田はそう思いつつ
「はい」と面倒くさそうに返事をした。本部長が彼の顔をみながら、
「どうするつもりだ?」とニヤリとこれもまた下品に笑って聞いてきた。
柴田はどうこたえていいかわからず、
「帰って相談してみます」そう答えて、立ち上がりタバコ臭いその部屋を出た。




