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■88  温泉 / 温泉宿のハニム

湯気が立ち昇り、山間に広がる温泉地は幻想的な光に包まれていた。昼間の喧騒が嘘のように消え、静かな夜の帳が降りる。零、麻美、守田は、身体を湯に沈めながら、目の前に広がる自然の美しさに心を奪われていた。月明かりが木々の間から差し込み、湯面が金色に輝いている様子はまるで別世界の風景のようだった。温泉の温もりが、彼らの身体だけでなく心の疲れまで溶かしていく。


「この温泉、まるで魂まで浄化されるようだ…」零は、目を閉じ、深く息を吸い込んだ。湯の香りが彼の胸の奥深くまで広がり、安堵とともに言葉が漏れた。


麻美は湯に浸かりながら、目の前に広がる自然にそっと微笑みを浮かべた。「こんな場所、まるで夢みたいね…現実の喧騒からこんなに離れて、ここでは時間が止まっているように感じるわ。」


彼女の声は穏やかで、その表情には、疲れを忘れさせるような安らぎがあった。温泉の蒸気が、彼女の頬に優しく触れ、月明かりの中で淡く輝いていた。


「でも、こうしてのんびりしていられるのも今だけだ。次の試練が待っているかもしれない…」守田は湯の中で静かに伸び、空を仰いだ。月の光がその瞳に映り、どこか遠くを見つめるような表情だった。


その瞬間だった。突然、静寂を切り裂くように、湯が大きく波打ち、深い轟音が響いた。「ドンッ!」と大地を揺るがす音がし、温泉の水が激しく跳ね上がった。


「何だ?!」零が素早く立ち上がり、驚きに満ちた目で湯の向こうを見つめた。湯気の向こうから、何か巨大な影がゆっくりと姿を現していた。


「まさか、これは…?」麻美が思わず息を飲み、その視線は釘付けになっていた。


湯の中から、巨大なカメのような生き物がその姿を現した。まるで神話から飛び出してきたかのようなその姿に、3人は言葉を失った。カメの甲羅には、滝のように温泉の水が流れ落ち、深く彫られた模様が月明かりに照らされて、神秘的な光を放っていた。カメの瞳が零たちを静かに見つめ、まるで「歓迎する」とでも言わんばかりの静かな佇まいだった。


「まさか…温泉に住む守り神か?」守田が小さくつぶやく。


「すごい…なんて神秘的なの。」麻美の瞳は輝き、目の前の光景に魅了されていた。


零は、思わず笑い声を漏らした。「なんだこりゃ、カメが温泉に入ってるなんて…まるで夢みたいだな。」


巨大なカメはゆっくりと湯の中を泳ぎ、時折背中からしぶきを上げて周囲に波を立てた。その動きは悠然としており、何かを急ぐような気配は全くない。それがかえって、まるでこの温泉自体がカメの存在を祝福しているかのような、不思議な感覚を呼び起こしていた。


「可愛い…このカメ、本当にこの温泉の神様みたい。」麻美は柔らかい声でそう言うと、カメの姿に目を奪われていた。


「でも、こいつが湯を独占しないようにしないとな。俺たちも癒される時間が…」守田が冗談めかして言いかけたその瞬間、カメはまるで守田の言葉に反応するかのように、背中から大きな波を立て、しぶきを飛ばした。


「うわっ、また跳ねた!」麻美は思わず身を引いたが、その顔には笑顔が浮かんでいた。


零も大笑いしながら言った。「まるでアトラクションだな、これは!」


カメは再びゆったりと泳ぎ回り、その優雅な動きに見惚れていた村人たちもいつの間にか集まり、歓声を上げていた。


「これ、本当に不思議な温泉だな…ただの温泉じゃないみたいだ。」麻美はそう言いながら、湯に包まれたこの場所が持つ神秘的な力に心を浸していた。


温泉の湯煙に包まれた静かな夜。巨大なカメとの邂逅は、彼らにとってただの休息ではなく、心の奥深くに新たなエネルギーを宿す時間となった。次に待ち受ける試練に向けて、彼らは再びその歩みを進める準備を整えつつあった。





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ハニムは、湯気の立ち込める温泉宿の片隅で、いつものように湯の状態を確認していた。23歳になった彼女は、この温泉宿で働き始めて5年になる。幼い頃から自然の中で過ごすことが好きで、温泉には特別な思いを抱いていた。温泉宿での生活は決して楽なものではなかったが、その分、日々の小さな変化や発見に喜びを感じることができた。


今夜も彼女は温泉の湯に手を浸し、その温かさと肌触りを確かめていた。湯気が立ち上り、月明かりに照らされるその光景は、いつ見ても心が落ち着く。


「今日もいい湯ね…」ハニムは静かに呟いた。お湯の温度や湯の流れを細かくチェックすることが、彼女の日常の一部になっていた。


そんな彼女の目に、ふと零たちの姿が映り込んだ。彼らは温泉に浸かりながら、互いに笑い合っていた。零、麻美、守田の三人は、この温泉宿に数日間滞在していた冒険者たちだ。彼らが町の人々のために次元竜を倒し、その後の休息をここで取っていることを、ハニムも知っていた。


零は窓の外を見つめ、湯に沈みながら「やっぱり、こういう瞬間が一番だな」と深い息を吐いていた。温泉に浸かって体の疲れを癒し、次の冒険に備えている姿を見て、ハニムは微笑んだ。


麻美は「ここに来て本当に良かったわ…」と、満足そうに言いながら、湯の温かさに目を閉じていた。彼女の言葉には、この場所が彼らにとって特別な意味を持っていることが感じられた。


「次の冒険に備えて、今はしっかり休んでおかないとな」と守田が静かに言うのを聞いて、ハニムは彼らの強さと決意を感じた。


温泉の湯は、彼らの身体だけでなく心の疲れをも癒しているように見えた。ハニムは、温泉宿の仕事が好きな理由を改めて感じていた。自分が提供するこの場所が、疲れた旅人や冒険者たちにとっての癒しとなり、再び立ち上がる力を与えている。それは、彼女にとって何よりの喜びだった。


「いつか、また彼らがこの温泉に戻ってきた時も、変わらず温かく迎えられるように…」と、ハニムは心の中で静かに誓った。


彼女は零たちの話に耳を傾けながら、湯煙の中で静かに立ち去った。温泉は彼女にとっても特別な場所であり、彼らにとってもまた、重要な時間を過ごす場所であったに違いないと感じながら。

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