■65 魔人の過去 / 魔法の杖職人カルナス
かつて神聖な力を帯び、天界で穏やかな役割を果たしていたこの魔人は、妖魔王リヴォールの堕天によってその存在が歪められた。
リヴォールは、神としての栄光を失った絶望と怒りを糧に、周囲にあった者たちを自らの力に組み込むべく魔人に変え始めた。彼は天界の誇りと静謐を宿していた従者たちを一人ずつ破壊し、その内に眠る純粋な力をねじ曲げ、悪しき力へと転化させていく。
堕天の瞬間、リヴォールの手はかつての同胞へと伸びた。その手は、温かく慈愛に満ちた神の手ではなく、冷たく暗い闇を纏ったものに変わり果てていた。彼の指が一人の従者に触れると、その者はまるで雷に撃たれたように身を震わせた。驚愕と恐怖の表情が彼の顔を歪める中、リヴォールは冷徹な瞳で見下ろし、低く囁いた。
「お前の力は、これから私のために在る。」
その声には、かつての温もりは微塵もなく、命じるような冷酷な響きが宿っていた。神聖な存在であった魔人の内側に渦巻く光が、暗い闇によって次第に染められていく。まるで体の内側から力が押し潰されるかのような圧迫感が、彼を支配した。抵抗しようとする意志が、まるで細い糸を断ち切るように一瞬で消され、彼の心はリヴォールの意志の前に屈していった。
「さあ、姿を消し、人々を脅かす存在になれ。お前の神聖な力は、すべて呪いに変わった。」
リヴォールの指がわずかに動くたびに、かつての清らかな輝きが失われ、黒い霧のような魔力が魔人の全身に染み渡っていく。霧はゆっくりと肉体の隙間に染み込み、内からその存在を支配するように絡みついていった。かつて天上で美しく輝いていたその目は、やがて光を失い、無感情な深い闇の色に変わっていく。
リヴォールは口元に冷酷な笑みを浮かべ、魔人が完全に支配される瞬間を見届けていた。魔人の体は今や透明に近い姿を取り、周囲の光を飲み込むような存在へと変わり果てた。天使であったころの清浄さはどこにも見られず、代わりに彼の全身には闇の意志が染み込んでいた。
「私が与えたこの力、無駄にすることは許されぬ。」リヴォールは冷たく言い放ち、魔人が従わざるを得ないよう、その魂の根底にまで自らの魔力を流し込んだ。従者たちの眼前で、かつて神の光を宿していた者が今や忌まわしき魔物へと変貌し、神聖な意志はもはや跡形もなく失われてしまった。
新たな命令を待つかのように、魔人はただ無言で佇んだ。リヴォールの手はその肩に置かれ、その黒い視線が魔人の中へと深く突き刺さるように見据えられた。彼が一瞬、指を軽く叩くと、魔人は霧のように姿を消し、その場を立ち去った。リヴォールの口元には、冷たく淡い笑みが浮かんでいた。
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夜が静かに更けていく中、零、麻美、そして守田は、町を離れ、女神からの指示を受けた場所へと向かっていた。夜風が森を抜け、彼らの肌に冷たく触れる度、次の戦いに向けた緊張が一層深まる。道は次第に険しくなり、背後に小川を越えたとき、目の前には荘厳ながらも廃墟と化した古びた神殿がそびえていた。
「ここか…女神が言っていた場所は」零は目を細め、崩れた柱や割れた石が散乱する神殿を見上げた。朽ちた石壁には、かつての栄光の名残がかすかに漂っているものの、今はただ、時間と風に削られ、荒廃の静寂が広がっている。何百年もの間、誰一人としてこの地に足を踏み入れなかったかのような、冷たい空気が辺りを包み込んでいた。
麻美はその場に立ち止まり、周囲を静かに見回した。「ここ、ただの廃墟じゃない…何かが、隠れている。息をひそめて…私たちを見ているような…」
守田は、無言のまま頷いた。彼の目は鋭く、影に潜む何かを捉えようと、闇の奥を見据えている。「奴が透明化できる魔人なら、この場に潜んでいる可能性は高い。慎重に進まなければならないな…」その言葉は、これまでの経験に基づく冷静さと覚悟に満ちていた。
零はゆっくりと魔法のランタンを手に取り、神殿の奥へと進み始めた。ランタンの薄い光が、ひび割れた石の床や、風化しつつある古い彫刻をかすかに照らし出す。だが、その光さえも、むしろこの場の不気味さを際立たせるだけだった。空気は次第に重く、まるで神殿自体が彼らの侵入を拒むかのように冷たさを増していく。
「気をつけろ、今までの敵とは違うぞ…奴が姿を消す瞬間は、一瞬の隙だ」零は低く囁き、辺りに潜む不気味な気配を探った。すると、麻美がかすかな光を指差し、静かに言った。「あれを見て…あの光…」
彼女が指し示した先には、神殿の中央に漂うように浮かぶ淡い光。それは、静かに揺らめきながら、異質な存在感を放っていた。瞬間、空気が不自然に揺らぎ、何かが動く音がした。
「来たか…!」零が声を上げる間もなく、風が渦巻き、冷たい気配が一気に襲いかかってきた。そして、透明な魔人がその姿を現したかと思うと、次の瞬間には再び闇に溶け込むように消えてしまった。
「消えた…!?」麻美の驚きの声が響いたが、守田は冷静だった。「奴には透明化の条件があるはずだ。光か、音か…慎重に進めよ」彼の声には、状況を見極めようとする冷静さが宿っていた。
零は魔法の耳栓を耳に装着し、周囲の音に集中した。耳栓を通して感じ取ろうとしたのは、微かな足音や風のさざめき、そして、魔人が姿を消す直前の微妙な空気の変化だった。
「来る…!」彼が鋭く言った瞬間、再び空気が揺らぎ、魔人の姿が淡く浮かび上がった。だが、またもや瞬時にその姿は消え去る。麻美は迷わず手元の道具を掲げ、鏡のような光を神殿内の壁に反射させた。
その光が淡い影を浮かび上がらせ、透明な魔人の輪郭が、かすかに揺れ動く影として現れた。「見えた…今よ!」零は素早く詠唱に移り、炎の力を呼び起こした。「ファイアブラスト!」
炎の球が魔人に向かって飛んだが、魔人は瞬時に姿を消し、攻撃は空を切った。
「まだか…!」零が息を呑んだその時、守田が一歩前に出た。「奴は一定のリズムで姿を現す。次は俺が行く」守田は魔石を握りしめ、空間の力を解き放つ。「空間の封印よ、我が意志に従い、敵を捉えよ!」
彼の詠唱が終わると同時に、神殿の床が淡く光り、見えない力が魔人をその場に封じ込めた。魔人の姿が、再びぼんやりと現れた。
麻美はその瞬間を逃さず、「光よ、私たちに力を与え、守り給え!」と唱え、三人の周囲に光の壁が現れた。
「今だ、零君!」守田が叫んだ。
零は全ての力を込め、再び炎の魔法を放つ。「これで終わりだ…ファイアボルト!」彼の詠唱と共に、燃え盛る炎が魔人の身体を包み込み、その姿を露わにした。魔人は苦しげな叫びを上げ、その巨大な身体が崩れ落ちる。
魔人の倒れる音が響くと共に、神殿内には静寂が戻り、全てが終わったことを告げていた。零は荒い息をつきながら、足元に光る魔石を見つけた。それはまるで透明な輝きを放ちながら、今までの戦いの全てを映し出しているかのようだった。
「これが…魔人の魔石か。」零は静かに呟き、魔石を手に取った。
守田はその光景を見つめ、淡く微笑んだ。
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魔法の杖職人カルナス
カルナスは、魔法の杖を作ることにおいて右に出る者はいない、熟練の職人だ。
彼は寡黙で、自分の仕事に対しては完璧を求める一方で、自然の力を最大限に引き出すことを信条としている。カルナスの作業場は、静かな森の中にあり、そこで彼は木材と魔石を巧みに組み合わせ、強力な魔法の杖を作り上げている。
彼の杖作りは、まず森から適切な木材を選ぶことから始まる。
木々の精霊たちと対話し、その中でも特に力強い生命力を持つ木を見つけ出すのがカルナスの特技だ。その木は何ヶ月もかけて慎重に乾燥させ、杖の芯として加工される。
木材が持つ自然の力は、後に魔石と融合することで、杖全体に魔法のエネルギーを行き渡らせる役割を果たす。
次に、カルナスは魔石を選ぶ。
作業場には無数の魔石が並んでおり、それぞれが異なる魔力を秘めている。
魔石は火、風、水、大地など、様々な属性を持っており、それを杖に組み込むことで、特定の魔法を強化する効果を発揮する。
例えば、炎の魔石をはめ込んだ杖は、強力な火の魔法を操るための武器となる。一方で、治癒系の魔法を使うための杖には、緑色の大地の魔石が使われることが多い。
カルナスの手は、一切の無駄がなく、魔石を杖に嵌め込む作業はまるで儀式のようだ。魔石をはめ込むために、杖の先端にぴったりと収まる溝を削る工程も、彼の長年の経験によって完璧に行われる。さらに、魔石と木材が完全に調和するように、カルナスは独自の魔法を唱え、杖に魔力を流し込む。これにより、杖は使い手と魔石の力を連動させ、持ち主が魔法を操る際に最大の力を発揮できるようになる。
彼の工房には完成した杖が何本も並んでいるが、どれもが特別で唯一無二の作品だ。杖は使い手に寄り添い、まるで相棒のように共に戦い、共に成長していく。そのため、カルナスの作る杖は単なる道具ではなく、魔法使いたちにとっては欠かせないパートナーとして愛されている。
毎日のように杖作りに没頭するカルナスだが、彼の仕事は決して機械的ではなく、一本一本の杖に思いを込めて作り上げている。彼にとって杖作りはただの仕事ではなく、自然の力を借りて新たな命を吹き込む神聖な行為だ。
森の静寂の中、カルナスの手によって今日もまた新たな杖が生まれ、次なる魔法使いの手に渡る日を待っている。