■47 無数の触手を持つ巨大な海魔物 / ミーナの魔本作成2
大海原を進む帆船は、どこまでも広がる青い世界に包まれていた。太陽が高く昇り、金色の光が波間をきらめかせる。
零たちは甲板に立ち、海風を感じながら、それぞれが思いにふけっていた。船旅は順調で、帆は風を受けてしっかりと張られていた。穏やかな波に揺られるその光景は、まるで永遠に続く静寂の中にいるかのようだった――その時までは。
突然、遠くの海から奇妙な音が耳に届いた。低く響く唸り声とともに、海の底から何かがうごめく気配があった。轟音が次第に大きくなり、波が異常に揺れ始める。船員たちの顔が緊張で引き締まり、ざわめきが甲板に広がった。
「今の音、何だ?」零は瞬時に身構え、海の向こうを見据えた。大海原を押し寄せてくる巨大な波、その中に蠢く黒い影。零の目が捉えたのは、波の中に隠れた巨大な何かだった。
「魔物だ!」守田が拳を握りしめ、叫んだ。海から姿を現したのは、無数の触手を持つ巨大な海魔物。その姿は、まるで海そのものが怒りを宿して生き物と化したかのようだった。暗く冷たい触手が波とともにうねり、獲物を求めて甲板に向かって伸びてくる。
麻美はすぐにその恐ろしい姿を目にし、震える声で言った。「風の魔法じゃ、あの水の力には…」
海魔物の巨大な触手が船に向かって打ち寄せ、甲板を砕こうとする。船が大きく揺れ、船員たちは必死に船を守ろうとするが、魔物の力は圧倒的だった。
「みんな、下がれ!」零は剣を抜き、魔物の触手に向かって叫んだ。「炎よ、我が剣に宿れ!焼き尽くせ!」剣が真紅の炎をまとい、その刃が触手を切り裂こうとした。しかし、炎の刃は触手に一瞬の傷をつけたものの、魔物の勢いを止めるには至らなかった。逆に、怒りを増幅させたかのように、魔物はさらに激しく船を襲い始めた。
「なんて力だ…!このままだと船が沈む!」守田は拳に魔力を宿し、次々に襲いかかる触手に打撃を加えていたが、次々と湧き上がる触手の数に押されつつあった。甲板に打ちつける触手の一撃が、まるで山崩れのような衝撃をもたらすたび、船全体が大きく揺れ動く。
「もっと強力な魔法を使わないと…!」麻美もまた、風の力を駆使しようとするが、海魔物の操る水がその魔力をかき消し、思うように効果を発揮できなかった。彼女の額には汗が滲み、焦りが見える。「このままじゃ…!」
零は周囲の状況を冷静に見渡し、覚悟を決めた。「麻美、守さん、全力でいくぞ!ここで決めるんだ!」彼は再び剣を振りかざし、その刃にさらに強力な炎を宿した。
「風よ、我に力を与え、敵を吹き飛ばせ!」麻美は全身の魔力を込め、強風を巻き起こした。風は荒れ狂い、船を守るかのように魔物の触手を吹き飛ばそうとした。海魔物の攻撃が一瞬止まり、その隙を見逃さずに守田が拳を構え、力強く叫んだ。「今だ、零!」
零は剣を高く掲げた。「炎よ、敵を焼き尽くせ!」その言葉とともに、剣から放たれた炎が激しく燃え上がり、魔物の触手を焼き払った。触手は焼け焦げ、海魔物は苦しげな咆哮を上げながら、体を海の深淵へと沈めていった。
波は徐々に静まり、海は再びその平穏を取り戻した。魔物が消え去った海面を見つめ、麻美が息を切らしながら呟いた。「これで、終わったのかしら…」
零は剣を握りしめ、険しい表情で海を見据えた。「いや、完全には倒していない。だが、今は追い払えた。それだけでも十分だ」彼は深く息をつき、ようやく剣を収めた。
しかし、突然、零の脳裏に閃いた。「魔石…!あの魔物の体内に魔石があったはずだ…回収するべきだった!」彼は悔しそうに海を見つめ、魔物が沈んでいった場所を見失っていた。
「くそ…貴重な魔石を逃してしまった」彼は拳を強く握りしめ、悔しさを滲ませた。
麻美はそんな零を優しく諭すように肩に手を置いた。「でも、今は私たちが無事だったことが一番大切よ。魔石はまた手に入れる機会があるわ。それより、命を大事にしないと」
守田もその言葉に頷き、「確かに。魔石は残念だが、俺たちが生き残ることが最優先だ。あの魔物は強敵だったが、俺たちは勝った。それが何よりだ」と静かに言った。
零はしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いて頷いた。「ああ、確かにそうだな。俺たちが無事に目的地にたどり着けることが何より重要だ。次の戦いに備えるしかないな」
再び船は穏やかな風を受け、広大な海原を滑るように進んでいった。魔物の魔石は海の底深く沈んでいったが、彼らが得たものは命と、次に向かうための決意だった。
この瞬間、零たちは改めて自分たちの使命を感じた。戦いには目に見える勝利や成果だけではなく、命を繋ぎ止めることの意義があるということ。
魔石の力に魅了されることはあっても、何よりも大切なのは、自分たちが次の戦いへと繋がることであると、零は深く悟った。
彼らの航海は続く。海の向こうには、新たな大陸とさらなる試練が待ち構えている。その試練がどれだけ困難であろうとも、零たちはその先にある未来を見据えて、力強く進んでいった。
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ミーナは、工房の中で完成した詠唱の紙を慎重に並べ、ひとまず一息ついていた。
彼女の目の前にあるのは、まだ魔石が装着されていない状態の「光の叡智」。この魔本は、いずれ国に献上され、非常時に備えて保管されるべきものだ。国が危機に陥った時、その広範囲にわたる癒しの力が人々を救うのだ。
「これで、魔石がなくても詠唱は完璧…」ミーナは自信を持って呟いた。失敗を重ねながらも、ようやくここまで辿り着いたのだ。師匠の厳しい指導の下、彼女は一字一句間違えずに、何百枚もの紙に詠唱を書き終えた。
「ミーナ、できたか?」グレゴールの声が工房の静けさを破った。彼はいつものように厳しい表情でミーナの手元を見ている。
「はい、師匠。これで詠唱は完璧です。でも、まだ魔石がないので…」
「そうだ、魔石はまだだ。だが、お前の仕事はここまでだ。」グレゴールはミーナの詠唱を書き終えた魔本を手に取り、その重みを感じながらゆっくりとページをめくった。「これを国に献上し、王国の倉庫に保管されることが決まれば、あとは国が危機に瀕した時に使われるだろう。」
「でも、師匠…」ミーナは少し不安そうな表情で続けた。「今は平和だけど、もしこの魔本が使われるような状況になったら…私は…」
グレゴールは静かに彼女の肩に手を置いた。「そうだな。この魔本が使われるということは、我々が今いる平和が崩れる時だ。それは誰もが望まぬことだが、それでもこの力は必要だ。だからこそ、国はこの『光の叡智』を保管しておくのだ。」
ミーナはその言葉に、再び気を引き締めた。彼女の役目は、今は詠唱を完璧にすること。魔石の装着は、国の判断で、必要な時に行われるのだ。ミーナは自分の心に言い聞かせるように頷いた。「そうですよね…今の私にできることは、ここまでをしっかりやり遂げること。」
グレゴールは満足そうに微笑みながら、魔本を持ち上げた。「よし、ではこれを国へ届けよう。この本は、国王に献上され、王国の最も重要な場所に保管される。もしもの時、この国を救う光となるだろう。」
工房の外には、既に王国の使者たちが待っていた。
彼らは国の重責を背負った魔本を迎え入れるため、馬車を用意し、献上式の準備が整っていた。ミーナとグレゴールはその光景を眺めながら、二人で工房を出た。
「いよいよだな。」グレゴールが静かに呟いた。
「はい。」ミーナもそれに応え、最後にもう一度、完成した魔本を見つめた。今はまだ魔石がないが、この本は国の力の一部として、未来を守るために保管される。それが彼女の努力の結果であり、この国のために役立つことになるのだ。
使者たちは丁重に魔本を受け取り、王宮へと向かう準備を始めた。ミーナはその姿を見送りながら、少しばかりの誇らしさと安堵感を覚えていた。
「これで、私の仕事は終わり」
ミーナの手を離れた魔本は、静かに王国の未来を見守るために運ばれていった。そして、それが使われる日が来ないことを、彼女は心の底から願っていた。