【ChapterⅢ】Section:1 概念論
感覚的にはホームパーティーに近い──とは言っても、人数的な意味であり、実際に出てくる料理などはそういったものとは良い意味で遥かにかけ離れているのだが──祝宴で体験したことは、よろしいことではないのだろうが、実際のところ大それたことではないように思えた。
開始直前までの出来事の方が印象に強く残ったし、もはや問題ないであろうとはいえレフの事も心残りであり、あのときのステラには祝宴を心から楽しむ余裕はなかっただろう。
レフは実際には陰謀に巻き込まれ、投獄されてしまった正銘の被害者であったこと。
これから特に重要になってくるであろう、学びの内容のこと。
見知らぬ魔術師たちの名前と肖像画、そして元老のこと。
比較対象が悪いとしか言いようがないのだが、しかしやはり彼女の脳裏には祝宴自体のことはそれほど残らなかった。
もちろん高級レストランにも引けを取らない、それどころか遥かに上回るほど美味な欧州各地の料理の数々、所々ぽぉろぽぉろと漏らされる参加者たちの知識や研究内容の断片など、興味深いものはいくつもあった。
それでも尚、ステラの印象には──もちろん記憶装置には一言一句、負の指数で表される時間単位のレベルで情報は保管されていたが、その印象がどうかということはまた別の話である──あまり残らなかった。
端的に言うなら、祝宴はインパクトが弱かった。文字として書き起こすとたったこれだけで済んでしまうが、事実彼女にとっては紛れもなくそうであった。
大小様々な出来事がありつつも、初等段階の魔術師として正式な認定を受けたステラは、中等段階へと上がるためにこれからオットー記念学院で学び始めることになる。
住居については、彼女自身の希望や所謂大人の事情が複雑に入り混じった結果、アーヘンにあるアートマンの別荘から通うことになった。
完全な一人暮らしをするという案もあったが、それは却下された。
いくら精神的にはかなり成長していても実年齢があまりにも若すぎるため、家事をカバーするためにエレンが世話役として別荘に常駐することとなり、ある程度は一人暮らしであると言えるだろうが本当の一人暮らしの形式からは外れた。
また、ステラはアートマンに働きかけて、別荘の近くにレフの家も用意した。具体的には別荘の塀から徒歩五分──もちろん直線距離の話──の距離、更に具体的に数値化すると三〇〇メートルの距離である。
ステラが家に居る状態ならば顔パスで通れるように手配した上で、彼の眼に掛けられていた呪いも父に解呪してもらったため、家庭学習もこれで問題ないだろう。
オットー記念学院は二セメスター制であり、夏学期と冬学期の二つがあって、どちらから通い始めても問題ない。
ステラは冬学期から通い始めることとなっており、今日の日付は七月二十七日、学校が始まる十月になるまでかなりの時間がある。
祝宴から三日が経ち、今日アートマンの別荘に転居してきたばかりではあるが、早いうちから勉強はしておいた方がいいだろうと彼女は考えた。
なので、エレンを含めて誰にも相談せず独断でレフを屋敷に呼び出し、勉強するのに適したいい場所を探したが、なんかよくわからなかったのでとりあえず応接室で勉強を行なうことにした。
「それで、ノートは見させて貰ったが……概念論は触りをいくらか、演算理論も同様、中等段階の魔術理論や形而上生物学は触れられていない、その代わり時間論や象徴主義、存在論の分野はかなり進められている。そういった認識で問題ないかの?」
「うん、そうそう。今の段階だと何からやるのがいいかな」
「個人的な主観が多く混じってしまうが、儂は演算理論や概念論を中心にするのを勧める」
「その心は?」
「純粋に基礎の補強といったところじゃ。何をやるにしても基本となる認知力の強化が必須なのが魔法じゃからな」
「ん、わかった。なら、その辺りからお願い。──ところで、その口調止めたらどう?あまりにも演技臭くって仕方がないんだけど」
「そんなこと言われたことないんじゃが、そう見えるか。まぁでも自分でもいい歳だと思っとるし、老人口調くらい許してくれ」
「うーん……いいよ」
軽口を交えつつ、ステラの正確な現状をレフは確認すると、自身の精神内でステラが中等段階において辿る道筋をシミュレートする。
強力な暗示によってレフは由来を思い出すことはできないが、ステラを導かなければならないという使命感を抱いており、再会した彼がそのようなものを抱いていることに彼女自身も気が付いてこそいるものの、彼女は違和感を覚えなかった。
レフはいくつかの道筋に絞ったところで、早速授業を開始した。
「そもそも大前提として、形而超の段階にあるものについてどれだけ理解をしている?」
「さぁ?全体を知らないから何とも言えない」
「──それもそうじゃな。なら、中等レベルの情報の性質について話すことにするかの」
彼は虚空に黒板を出現させるが、即座にステラに元々応接室には黒板が備え付けられていることを指摘される。
見落としていたと言わんばかりに──というか、実際明らかに見落としていた──出現させた黒板を消し、備え付けの方を使用し始める。
「そもそも、形而超学において、真に地球に実在するのは情報だけじゃ。情報はその形態によって、様々な形に分類される。そうしたそれぞれの情報の形態についての研究が、魔法における象徴主義や概念論といったものになる」
それを聞きつつ、ステラは象徴主義と概念論との間にある境界線について考察をしていた。
そして彼女はその命題に対し即座に的確な解を導き出すことができた。
それは、根本的に象徴主義と概念論、つまり象徴と概念の間に違いはないということであった。
絵画と詩がどちらもある事柄を描き、謳ったものであり、そしてどちらも本質的に芸術であるのと同様に、象徴も概念もその根本機能は同様であることを導き出せた。
一般的な神秘主義とは異なり、取り扱う命題の問題から魔法においては概念として習合した方が良いであろうそれら。
彼女は零秒でその結論を導きだしたのと同時に、口を動かし始めた。
「象徴主義と概念論ってなんでわざわざ分別しているの?」
「……ああ、それか。理由はいくつかある。最も大きな理由は、一般家庭から魔法に参入した新たな魔術師が理解やすいようにするためじゃな。象徴が非言語的な現実を捉えられるように、言語も非言語的な現実を捉えられることは、特に”若い”魔術師には正しく理解できないからの」
「ああ、そういう配慮なんだ。差延みたいな顕著な流動的性質なんかは概念論にもあるのに何で分けられているんだろうって思ったら、そういう……それかぁ」
「数学と哲学の関係性なんかもそうじゃが、物事の最奥の本質に辿り着ける人間というのは儂らが考えているより遥かに少ない。逆に言えば、歴史上で推論なんかの論理的思考において必須のそれがある程度できる人間が哲学者だとかとして持ち上げられることが多いんじゃよ」
ああ、とステラは納得した様子を見せると、そのまま話題を戻すよう視線で促す。
レフも頷き、話を戻してまた語りを再開した。
「さて、どこまで話したんじゃったか──」
「形而超学の情報の形態の研究に象徴主義とか概念論っていうのがあるってところまでだよ」
「ああ、そうじゃったな。なら概念について話すべきか。通常概念が持っているとされる要素については知っておるかの?」
「原型、意味、概念でしょ?」
「ああ、簡単な説明としてはそうじゃ。情報の集積の起点があり、そうして集まった情報は封じ込められ、ラベルが付けられる。基本的な概念の説明としてはそのようなものじゃが、いくつか語られぬものもある」
本格的に授業が始まる予感があり、ステラは少々体勢を整え聞く準備を再度行う。
「まず大前提に、概念としてさえ成立していれば、その内部がどうなっているかの推察が無意味な概念も存在する。無論そのようなものにも、意味こそ存在するが解明されていない、発見されていない、理解できないといった形のブラックボックスとなっているのか、意味を全く持たないがだからこそ箱の一種である空箱として成立しているかといった違いはあるがの」
挙げられた例の前者に対し、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考の七つ目の命題を彼女は連想した。
“Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen “。
解釈は個々人によって変動するものの、おそらくこの命題は一貫した要素を持っている。
すべての文字と文字列を並べることができたとき。そこに並べられた文字渦以外を列の外に見ることもできるということ。
不可知界を否定しているわけではない、あるいは肯定しているわけでもないそれ。ブラックボックスは、部分的にはこの命題を体現しているのかも知らない。
「論考七番みたい」
と、ここまで思考を一瞬で回したのはいいものの、前提からして間違っていては世話ないので大人しく口に出して返答を待つことにした。
「──ああ、転回者の事じゃったか。彼も部分的には形而超学に近づくことができた人物の一人じゃな。奴は言語の制約を超越した”語り得ぬもの“を”語り得ぬもの“として意味付け、概念化させた男だった」
「知り合いなの?」
「直接ではないが、間接的にはそうと言えるはずじゃ」
つまりこういうことだろう。魔法においてはそういった具体と抽象の双方を超え、人間の理性の範疇の外側にあるようなものですら単に概念が持てる性質の一端でしかないということか。
そこまで喋ると、彼が悩み何かしらの事柄について考え始めたかのような様子を見せ始めたのに対して、ステラは彼女基準で少しの間脳味噌を回すと、突如として言い放つ。
「別に学院でやる内容と被るんじゃないかとか、気にしなくていいよ。というか、ぶっちゃけると私にとっては基本的にこっちがむしろ本命で、あっちは復習の場所でしかないんだよね」
彼女がそう呟くと、レフにとっては一キロメートルの距離から鳩尾にダーツを刺されたように的確なものだったのだろう。
彼は少し目を瞑ると、言葉を選ぶ様子を見せるのをやめて、思い浮かんだ内容を大方そのまま口から吐き出すようになった。
「あと目ぼしいものはというと……ああ、概念階層があったの」
「階層?階層性があるの?」
「概念にとっての起源が概念である場合があることは知っておるじゃろう。より”深い“概念は結合強度が”浅い“概念より高い、そういう話じゃ。例を出そう。ある程度広く用いられる”全能“という概念があるが、それの起点となっているのは”全“という概念。”惑星“という概念の起点は”地球“、そういった話じゃ」
ああ、なるほど、まさしく階層性だろう。
原型の原型、そのまた原型。そうして深掘りしていけばいくほど単純な概念となり、それ故に”古く“、強固かつ強大に成って行く。いや、”回帰“していくと表現した方が正しいだろう。
「そしてその強度の差は、我々が直感的に抱いた印象よりも遥かに大きなものなのじゃよ。全能や全知のような概念は全という概念が前提として在らなければ存在は不可能であり、しかしその逆は異なる。全にとって全知全能は単に派生物でしかなく、大した意味を持たないし、持てない。層が一つ深くなるだけで想像以上に隔絶した差が生まれるのが概念階層なのじゃよ」
彼は口にこそ出さなかったものの、全能と全知の双方が同様の概念を起源としているのを聞くと、概念というものは普遍性も持っているのだと理解した。
しかし、そうすると一部の概念はどうなるのだろう。甲の起源が乙であり、しかし同時に乙の起源も甲である。そういった円環も時には在るのだろうが、それはどうなるのだろうか。
そういった思い付きを話すと、老人は納得した様子を見せ、話を変える。
「ああ、そこに疑問を持つのは道理じゃの。その場合は至極単純。どちらも同時に成立する、それだけじゃ。二の起源は一であり、一の起源は二、その矛盾した二つの式は共存することができるのじゃよ。何せ、形而超学的領域は空間的法則、つまり人間が感性で理解しているメカニズムは一切機能しない。だからこそ、潜在的無限のように積み重なる二極の綾模様の塔は成立するのじゃ」
「ふむふむ──それで、その概念階層の第一原因は判明しているの?」
「いや、判明していない」
「意外。見つかっているものだと思っていたんだけど」
「概念階層は本質的には存在論や形而上学が絡まない、おおよそ純粋に歴史的、生物学的なものだとはわかっているんじゃが。アダムとイブの子孫、神々の子孫、単細胞生物の遠い子孫、時空の存在論的特異点。それぞれの領域においてはもちろん正当な解は異なるが、実数領域として総体的に見ればすべてが正当な解となる。第一原因を巡った概念階層は魔術師ですら理解できないほどに複雑で、少なくとも記録上は誰も解明できておらん」
最も古い原型は見つかっていない。あるいは、そもそもそんなものなど最初から無いのかもしれない。そういったことを言外で彼女は感じ取る。
ステラは至高の原型について興味を一瞬持つが、しかし長い魔術師の歴史の中で明らかな重要度に対して一度も公開されていないのを考えると、探求するのは完全にリソースの無駄であると悟り、興味を即座に消し去った。
そうしてしばらく魔法について老師から家庭下の授業を受けるうちにタイムリミットが迫る。
ソコロフスキー氏の体力切れだ。ただし精神的なやつ。
若く、体力が豊富で、尚且つ思考速度が無限超である為に体力切れを起こしても即座に回復できるので飽きるまで永遠に連続して学び続けられる彼女とは異なり、普通の魔術師はいくら加速しているとは謳っても有限の思考速度しか持たず、更に彼は精神的に相当老いている。
無茶振りしてもよいが、流石に老体には酷だろう。
という表向きの理由とは異なり、好感を稼いでおいた方が授業のモチベーションが上がるだろうというかなり酷めの理由でステラは授業の終了を宣言する。
そもそもとしてレフは雇われの身である為、雇い主であるステラには反抗できないのだ。本人としても疲れたので助かるという感想なのだが。




