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【ChapterⅡ】Section:14 マナス卿

あなたは論理の輪を知っているだろうか。知恵の輪の亜種ではなく、れっきとした形而超学の理論である。論理の輪は人間が取りうる思考方法によって知ることができる世界の全体像を囲んだ円である。当然その輪の外には不可知の世界が広がっており、輪はヒトが誤って不可知の世界へと行かないように守る防壁として機能している。

 図書館の外に出たステラは瞬時に次元を限定的に引き裂き点と点を連結させ、空間を繋げることで宮殿前に到着した。

 さて、一番の問題はここからであり、宮殿のどこかに居るであろう父を構造すら知らない状態で探さねばならず、思考する時間すら惜しまれる現状からはある意味最大の関門であった。

 ひとまずステラは宮殿の内部に入り、地図のようなものはないかと辺りを見回す。十秒掛けて周囲を見てみると、やはり案内図が柱に埋め込まれており、アートマンが居そうな部屋までの道を見ることができた。

 予想が外れていたり、そもそも案内図に描かれていないバックヤードのような場所に居たらどうしようもないと思いつつ、ステラは周囲が違和感を持たない程度に急いでその部屋に向かった。

 歩いていくうちに大勢いた人々が少しずつ減っていき、最終的には無人となる。名前や直感からそこを目指すと決めたはいいものの、本当にそこにいるのか。無人となったことをいいことに走り出そうとすると、身体の感覚がずれたかのように姿勢の制御に失敗して転んでしまう。


「痛たたた……」


 傷などは出来なかったものの、突然の出来事に彼女は自分の身体を確かめる。何と驚くことに、ステラの体格が急激に変化していたのだ。今まで九十に満たない程度しかなかった身長がいきなり百十程にまで伸びており、つい先ほどまで前者の身長だった彼女は不明な原因で成長したことに気が付いた。

 驚きのあまり一分間硬直してしまったが、身長が伸びたことにより多少走る速度が早くなったと、地味に負担が大きい意図的な走り方をすることで小さいながらも確かに早く目的の部屋に向かうことができた。

 そして、目指していた部屋の前にやってくると、ステラは音を立てないように静かに扉を開けた。その先には調度品に彩られた不気味さと穏やかさを両立する空間があり、その中心に確かにアートマンは居た。ただし彼の様子は予想されるものではない。

 安楽椅子に背を預けながら静かに眼を瞑る彼は、座っているのがものであるのが相まって眠っているように見て取れる。が、彼女はそれに対して別の感覚を抱いた。眠っているのではない、彼は瞑想しているのだと。あるいは、何かしらの膨大な情報を処理するために視覚を遮断しているのか。呼吸や心拍は一定であり、どちらとも受け取ることができるのだが、ステラからしてみれば瞑想に耽っているようにしか見えなかった。

 そして実際に、彼は眠っていたわけではなかったのだろう。ステラが扉を開けた僅かな音で彼は眼を開け、彼女の方へ視線を向けた。


「おや、時間には少し早いが、わざわざ僕を探しに来てどうしたんだい?」


 聞く者に無理矢理冷静さを与え、その上で従えさせるかのような波長の声はやはり健在であり、ステラに自分が自分でないような感覚を与えた。

 普段の父親としての姿と、今目の前に在る無限の知識を持つ賢者としての姿は中々重ならず、少々戸惑った後に感情を入れ替えて、目的を達成するために口を動かそうとしたが、その前に一気に思考を無制限に加速させてどのように言いくるめるかを考えた。

 推論が正しければレフは名目上は犯罪者であり、身内だろうとそうでなかろうと、権力を行使して冤罪という訳でもないような犯罪者の汚名を削ぐというのは為政者としてのアートマンの側から見ればリスクのある行動であり、子供の我儘で済ませられる範疇を優に超えているだろうことは想像できる。

 普段はジョークをいうような軽薄に見える性格なのは確かなのだが、それ故にそういうところではキッチリと線引きをしているはずである。

 そうこう考えていると、時間が僅かに動いているのが感じ取れる。それは当然だろう。いくらステラの思考速度が有限と無限の対立と、本物の抽象的な無限である絶対無限の双方を征服しているとはいえ、時間という概念は更に大きく存在している。非線形の中に埋もれるアインシュタインの相対的な時間とニュートンの絶対的な時間、その双方を超えるポテンシャルこそ持っているものの、未熟ゆえにそれを扱いきれていないのは非常に痛いところである。

 さて、いい加減にそろそろ雑念を捨てんとばかりに、精神的に首を左右に振ってからレフの擁護を行う方法を再び考え始めた。

 一番手っ取り早いのは逃走中なり牢の中なり、重い罪を犯した犯罪者に罪を被せ、老師を冤罪だったとすることだが、この手は早速潰されている。ステラはレフの罪を知らないし、知っていたところでそれ以上の罪を犯した人物を知っているかと言われれば、それこそもっと知らないことである。

 手元の携帯電話を使って情報を検索してみる手もあるだろう。しかしそもそも子の携帯電話は地球用のもののはずなので、魔術協会内に対応しているかはわからないし、よしんば起動できたとしても魔術協会に関する情報が載っている可能性は非常に低いだろう。

 となると、彼女にできることで尚且つ最も可能性が高いのは単純に牢屋に入れておくメリットよりも外で飼い殺しにするメリットの方が大きいと唱えることだろう。無論魔術協会内の情勢に疎いステラではあるが、少なくとも街の人々の様子は地球と大差ないように見える。民衆を使ってメリットを唱えるのが良いだろう。


「実はさっきヤバい雰囲気の人に会って……」

「何だって?」


 説得らしきものを始めようとしてすぐに彼は瞑想を中断し、こちらの話を聞く体勢に入った。多分アートマンは公人としての面よりも私人としての面の方が強いのだろうと以前から見当をつけていたが、この様子だとそれは間違ってる可能性は低そうに見える。


「その人に会って危なそうだったから逃げてきたんだけど……」

「見た目は?どうだった?」


 そう聞かれるとステラは正直にレフの容姿を答えた。彼女の話を聞きながら該当者を絞り込んでいる様子を眺めつつ、ゆっくりと、はっきりと彼の姿をそっくりそのまま伝え続ける。


「……なるほど、レフ・ミハイロヴィチ・ソコロフスキーか……」


 老師のフルネームがそのまま出てきたことで、ステラはある種の勝ちを確信した。とはいえ油断は禁物である。ここから速攻で処刑となってはたまったものではない。早いところ飼い殺しにする案を挙げるべきだろう。自身の客観的な思考能力を鑑みても、その発想が出てくるのは不自然ではないだろう。


「知ってるの?」

「ああ、彼は十五年前程に協会の中に存在するとある街を住民ごと破壊しつくしたことで投獄されていたはずだが……」

「でも多分私はその人と会ったってことなんでしょ?」

「無期懲役のはずだから、どうにかして脱獄したんだろうね」

「うーん……ちょっといい?」

「どうしたんだい?すぐに牢の監視とソコロフスキーの捜索を行わせようと思ったんだが」

「いやさ、脱獄できたのならまた牢屋に入れても意味がなくない?」

「うーん……確かに、ヤーダス監獄街は魔術協会内で最大かつ最高の監獄。そこを抜け出せたというのならば即座に刺客を送るなりしなければならないね」


  ヤーダス監獄街。聞いたことのない名前が出てきたので、純粋な好奇心から彼女はそれが一体何なのかについて尋ねることにした。


「ああ、ヤーダス監獄街、それか単にヤーダスというのは、魔術協会と形而上学的領域の同座標に建てられた街で、名前通り街全体が監獄になっている。監獄全体は高位のオメガ・ポイントの外側に存在していて、オメガ・ポイントと同様にそれを包み込む思考を阻害する忘却の領域内の安息地になっている。もちろん監獄からオメガ・ポイントに戻るにはそんな忘却の理を超えなければならないし、忘却から逃れる方法は完全に秘匿されていて魔術協会の最上層しか知らないことだ。いくら彼が優れた魔術師だったからといって、理から逃れられるほどの魔術師だった証拠にはならないんだが──」

「ちょっとごめん、オメガ・ポイントって何?」

「ああ、説明が足りてなかったね。簡単に説明すると、渦の──いや、これだと理解しにくいか。生物が無限に進化していき、最終的に時間の外側に存在する神の心と一体になるというピエール・テイヤール・ド・シャルダンの理論だよ。監獄で使われている理論だと、知性の集合体の象徴として扱われているね。その反対の反知性が忘却の理というわけさ。魔法においては論理の輪や知識の楔なんて呼び方もされてるね」


 なるほどと相槌を打ちつつ、そのまま話を戻して説明を続けるようにジェスチャーで促す。


「ともかく、ヤーダスを脱獄するには少なくとも最上層、銀位の魔術師でなければそれを知るための知性段階にも到達していないし、そして彼は銀位ではなく紫位の魔術師だ。二段階分という非常に大きな階層の不足、間違いなくヤーダス側のトラブルか、あるいは協力者が居たんだろうね」


 銀位と紫位。その二つの知性階級についてステラは知識を持っていた。以前屋敷での勉強の休憩時間に読んだ書物にそのことが記載されており、これらは上院の魔術師に与えられる権力と智慧を象徴するものであった。正式名称はミュラー式階級法則であり、公的に認められた該当する階級章が上院の魔術師に与えられるらしい。

 階級は全部で七つ存在し、下から順に青色、銅色、水色、紫色、銀色、白色、そして元老や元老クラスの世界最高の七人の魔術師だけが許される世界に七つしか存在しない金色。初等段階を緑色、中等段階を赤色と見做して九つの階級があるとする場合もあるが、僅差で七つの階級の方がメジャーである。各段階の色にはそれぞれ神秘主義的な意味合いやゲマトリアのような数秘術が込められており、その意味合いでも七つの方が都合が良いからである。


「だったら、脱獄犯を捕らえるよりも内通者を探した方が良くない?賄賂的なやつ目当てとかでその人が利用されてた可能性もあるし」

「確かに、一理あるね。どちらにしろ彼、あるいは彼女、またはITを捕獲する方に力を入れたほうがいいか。事実上のナンバーツー、あるいはナンバーワンの位階の魔術師に非常に暗い面があるというのは、政治的にも流石に許容可能な範囲の外側だ」


 真剣な顔でそう断言し、完全に瞑想の続行を止め、彼は瞑想の代わりに意識の海に潜りだす。ステラが提唱した方向性で対処法を考えているようで一安心であるが、まだまだ油断できない。呼吸の感覚を変えないままに、それぞれでの空気を吸い込む量と吐き出す量を多くすることでステラは疑似的な深呼吸を行ない、精神的な疲労をある程度取り除こうとする。

 ある程度深呼吸擬きを行なったところで、思考の流れを止めたアートマンが目を開きこちらを向く。


「ああ、いや、そういえば今日はゴスジール卿の一斉捜査の日か。そこまでわかりやすい罪を犯したのならば、すぐに摘発されるだろう。まぁ、念のためこのことについては連絡しておくか」


 そういって一人で納得すると、連絡用端末を取り出しそのゴスジールとかいう人物に繋げようとし始めた。

 ゴスジール卿、まったく聞いたことのない名である。が、言葉の文脈からして第二位、事実上の第一位の白位が目標の人物だとしたところで捕縛する権利を持っているようであり、そうなるとゴスジール卿は元老の一人ということになる。


「やぁ、ゴスジール。ちょっとガサ入れとかの状況について聞きたいんだけど、今大丈夫かい?」

『おお、我が主よ、ええ、ええ、順調ですとも。危険物、禁止された理論の研究成果、実験結果、それらすべての押収と焼却は順調に進んでおります』

「それはよかった。聞きたいのは投獄者の方なんだけど、何か異変的なやつはなかったかい?」

『──ああ、忘れてましたが、そういえば第二位からゴミが摘発されてましたね。確か……権限の完全な私的利用だったと記憶しておりますが』

「具体的にどんな感じだったかわかるか?」

『……失礼、資料を見ていました。囚人を監獄から脱走させたり、一部の形而超学研究者の研究資料を強引に奪い取った上にその研究を禁止した挙句、自分はそれを実用化させ名声を得ようとしたらしいですね』

「ああ、今探してたのはそいつか。──とりあえず、重刑は確定、か」


 ステラのことを気にしていないのか、あるいは聞かれても問題がないのか、ともかく目の前で行われた機密性の高そうな会話を彼女は静かに聞く。スピーカーを付けている訳ではないが、ステラの聴力からしてその程度は問題なく聞こえた。

 そしてゴスジール卿とやらは司法権的な感じのそれを担っているらしく、偶然にもレフを脱走させた張本人らしき人物を確保しているようだ。とはいえ、逆に不味い流れになった雰囲気をステラは感じ取ることとなった。既に捕らえた上に罪まで調査し終えているとなると、アンカーとしてレフを逃し続ける理由がなくなってしまうし、何なら白位の魔術師を捕らえられる戦力があるのならばそれに劣るはずのレフが逃れられる訳がない。

 再び思考を回し始めつつ、会話を聞くことも怠らない。マルチタスクを続行する中で、聞こえてきたとある一言に、ステラは思わず思考を止めることとなった。


『了解しました。とりあえず死刑でよろしいでしょうか』

「まてまて、判決は尋問したあとに更に拷問してからの決定だ。重刑なのはまぁ確定ではあるが」

『ああ、あともう一つありました』

「ん?なんだい?」

『いや、間接的な話ではあるんですが、脱走させた囚人はどうやら冤罪だったみたいですね。ゴミの知人が本来の罪人であり、まず冤罪を吹っ掛け、その後ミスリードとして脱走させることで知人の罪を事実上消し去るつもりだったようです、主よ。冤罪が通っていたのは担当者がまだ未熟な人材が割り当てられるように上手く手を回していたようです』


 それは、レフ・ミハイロヴィチ・ソコロフスキーが正真正銘の無実の人であったからである。

ところで、輪と車輪は似たものでありつつ、異なるものである。輪が単なる円なのに対し、車輪は無数の輪が連なることにより形成されたものである。とはいえ、車輪も輪も、その形状通り結局のところ世界の全体からすれば零でしかない。一ではないのだ。例えもう一つの制限装置として吸血鬼殺しの杭が槌で打たれていたとしても、零のシンボルから変わることはない。これは諸君への次元性を伴う課題である。

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