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【ChapterⅡ】Section:10 王立図書館

 治安維持局へと連行される前に、機動隊員の一人がステラの目の前までゆっくりとやってきた。


「ここで行われていた詐欺の分の補填です」


 一大ファイデルタをそのまま受け取ると、彼はそのまま部隊の中に戻っていった。

 そもそもそのような補償は一隊員によって行われるものではないだろうし、補償しなければならない金額は逮捕後に調べて発覚するはずである。何より、旗やポスターを含めた広告の類は一切なく、やり取り自体もハリルの口頭で行われているので、調査なしに補填額を知るのは不可能なはずである。

 その裏側に存在するであろう厄介な因果から逃れるために、ステラはそそくさとその場を去った。

 なお、ロバートは普通に置き去りにされた。

 その際のステラは監視がいなくなったとしか考えておらず、ロバートはここから随時痕跡を消し去っているステラを探し続ける羽目となった。


 そうしてロバートを置き去りにしたステラは、今度こそアートマンの言っていたヘルメス図書館──ラエティア王立図書館に向かうことにした。

 ”全知の図書館”とも形容されるラエティア王立図書館はラエティア王国が存在した時代に建設された図書館であり、現在は魔術的な手法により魔術協会内に移動させられている。

 魔術協会内に移設した人物の名前を取ってヘルメス図書館とも呼ばれているが、正式名称はラエティア王立図書館の方であり、ヘルメスが非常に優れた魔術師であるということをよく知っている人物以外は基本的に正式名称の方で読んでいる、ある種その人の教養を確認できる名所でもある。

 内部は常に魔術的に無限に拡張されており、なんと王立図書館内で迷子になり、外に出られず老衰した人物までいるという伝説まであるほどであるが、実際には迷子になった際に出口の方向を無意識内に伝えるシステムが存在するので、それに従えば普通に出られるという。

 ラエティア王立図書館に所蔵されている文献は非常に多種多様、というか地球上に存在するすべての文献やそれの類似品が保管されており、マイナーな民間伝承である”ウルラ旅行記”から大手の新聞社が今朝出した新聞、ゴシップ紙まで、本当の意味で過去から現在に渡って存在するすべての文献が存在した。

 しかし、その中で唯一存在しないものがあり、それがハイパーボリアの文献だという。ハイパーボリアについての文献ではない。

 ハイパーボリアから流れ着いた文献はかつて最重要機密として見做され、ラエティア王家によって保管されており、許可さえあれば誰でも閲覧できたというが、ローマ帝国の独立的な属州となる際のごたごたによって本書は失伝してしまったという。

 とはいえ不完全であるものの写本は存在するし、ハイパーボリアの文献に載っていた技術については魔術師の技術力であれば問題なく再現できるとされているので、事実上であるとしてラエティア王立図書館は全知の図書館という別名を持っているのだ。

 そんなラエティア王立図書館に向かうには、そこそこの時間が必要であった。

 ステラの移動速度から考えるとラエティア王立図書館に行くには二十五分ほど掛かり、携帯電話に表示されている現在の時刻を見ると、現在は午後五時四十七分であり、ラエティア王立図書館からネーベルラント中央の名前を知らない宮殿に戻る時間まで考えると十分猶予はあるので、図書館に向かうことにした。

 道行く一般市民──魔術協会にいるということは少なくとも魔術師か、それの縁者であり、それはとても一般人であるとは言い難いのだが──から好奇の眼差しを貰いつつ、王立図書館に向かって進み続ける。


「今ならこの易学解剖書が無料だよ!」

「ブラックホール全集に興味がある人はいませんか!?」


 どんなものであろうと図書館に内蔵されることになるが、その中でも今の目玉の書籍として選ばれることは名誉あることであり、それを得るために自分自身や仲間内で執筆した書籍や論文を人々に無料で見せ関心を集めようとする学生たちの姿が多くみられるようになり、その中には教授のような立場にいるであろう年齢層も存在し、魔法の難解さを体で表していた。

 流石学生通りと呼ばれる聖レオナルド通りから簡単に行ける図書館、サークルらしきものだけをカウントしても既に三十はあり、独自の風習のようなものがあることをステラによく知らせた。

 割となりふり構わず広告を続けている彼らだったが、流石に最低限の道徳心はあったのか、完全な幼女に見えるステラに呼びかけたりすることはなかった。

 まぁ、それは普通そうな学生やそのグループだけであり、ステラにしつこく勧誘を続ける道徳心が欠けている者もおり、それがグループに属している場合は仲間からドン引かれながら止められていたが、個人でやっている者はそれが元居た位置から離れるまでしつこく付きまとってきた。

 ああ、実際に、私服警官的な役職なのか、今しがたステラに見えないようにセールス勧誘擬きを連行していった。


「僕は何もしていないんですが?!」

「ハイハイ、今ちゃんと全部見てたから。大人しくした方がまぁ……罪は軽くなると思うよ」

「ちょ──」


 倫理とか道徳とか、そういう価値観は集合無意識やイデアから与えられるだけでは不足しているのだなと実感しつつ、しかしやはりダメなやつは道徳や倫理を学んでもダメなままで、むしろ隠れ蓑を与えるだけになるので一長一短だと考えたが、結局はその価値観を正しく使えるかは使用者次第だなと感じたところで、ヘルメス図書館の入り口にたどり着いた。

 王立図書館は古代ラエティアでほとんどの建造物に用いられていた石造建築であり、アルプスのラエティア王国の遺跡でも重要だと目される痕跡の例にもれず、幾何学的に一貫した豪華な彫刻が施されていた。

 建築全体に存在する彫刻は現在地球上に存在する如何なる幾何学、ユークリッド幾何学でも、非ユークリッド幾何学でもなく、神性幾何学にも該当しない未知の──あえて置くとするならばラエティア幾何学によって構成されており、幾何学である、つまり法則性があることや現在存在するすべての幾何学より優れていることは直感的にわかるものの、それ以上の、具体的にどのような法則性があるのかなどが全く解読できないものであり、Out-of-Place ArtifactならぬOut-of-Place Science、あるいはロストテクノロジーならぬロストサイエンスであった。

 学生たちだけではなく、現行の研究者ですらこのヘルメス図書館を頻繁に利用している理由がよくわかる。これ自体が研究の対象であり、人類の無限の可能性を体現しているのだ。


「これが……ヘルメス図書館……」


 一目見てアートマンがラエティア王立図書館を勧めた理由を完全に理解したステラは、意図せぬ間に演算フレームワーク内でラエティア幾何学の分析をステラの星幽構造が出せる最高速度で始めたのに対し、通常のステラの意識は図書館の彫刻に圧倒されていた。

 このような失われた学問体系がどれだけ存在するのだろうかと今すぐ確認できるかもわからぬそれらにわくわくしながら、図書館の中に入っていった。


 図書館の中に入ると、ネーベルラントに来たのと同じような、ステラの”位置”がズレたことを形而上学的に理解すると同時に、ヘルメス・トリスメギストスやその他の人物が図書館に対して施したのが本当に移動だけでしかないことがすぐさまわかった。

 内部の概念的に無限に拡張されている空間は外部と内部の両方に存在するラエティア幾何学による永続する形式の儀式によって、すべての可能な数学的構造と不可能な数学的構造が展開される数理論理学的に普遍的な論理構造と化しており、条件さえ理解すればこの世界の普遍無意識全体のどの地点からでもアクセスできるメタ座標であった。

 最低でも選択公理ですら言い表すことのできない基数と同等の文字列集合を持つというのが謳い文句の、正真正銘のアカシックレコードの概念そのものである”これ”の由来は一体何なのだろうか。それを気にしながら、アートマンの書斎にも似たその無限の論理構造から目的の可能な文字列が含まれる本を探し始めた。

 その前にステラは本の貸し出しなどのシステム自体がどうなっているのかが気になり、入り口の周囲を満遍なく探すが、どこにも司書や代行機は見当たらなかった。

 アカシックレコード自体であることを久しぶりに動かした形而上学的な眼によって認識していたステラは、その仮説が実際に正しいのかを観察し始めた。


「だからさ、カオスの階級はここだと思うのよ」

「いやぁ、どうなんだろうね」


 そんなことを言い合いながら本を抱えて図書館から出ようとしている男女のカップルと、その本の魔術情報を確認し、そして図書館内の一致する情報座標を見てみると、なんとその本は本棚に収まっている地点と男性の脇、その両方に偏在していた。

 なるほどこれは面白いシステムだと理解したステラは、有効活用する手段を思いついたので早速欲しい本を選別するために図書館を歩き回り始めた。


 入り口から西方向に進路通り直進──図書館の入口はちょうど東に存在する──していくと、初めに娯楽系の本、つまるところ小説や漫画、ゲーム雑誌、一般的にオカルトとして呼称される類のまやかし、実在しないし、運用もできない虚構の魔導書まで、完全に若者と若者文化への関心が強い中年から年配向けの、アクセスしやすいコーナーであった。

 サイエンス・フィクション小説のスペースに配置された高さ五メートル程まである巨大な本棚には、上から下までびっしりとサイエンス・フィクションの小説が並べられており、そしてこのジャンルの小説の本棚は一つだけではなく、非常に多くの本棚が並置されていた。他の恋愛小説や幻想小説、伝奇小説やサイエンス・ファンタジー小説まで、それぞれのジャンル毎に巨大な本棚が用意され、収納されていた。

 奇妙なのは明らかにこれまで出版されたそのジャンルの小説──現在ステラが見ているジャンルはジョン・ロナルド・ルーエル・トールキンの体系の小説の棚である──の数と、実際に出版されている数が釣り合っておらず、本棚に収められている本の数が圧倒的に多いことである。

 大雑把な計測では、実際のトールキンの体系の小説や、それ以外の媒体も含めた数と本棚のものとを比較して、一対百八十四程、つまりトールキンとその体系が生み出したすべてのものの百八十四倍の小説がここには存在しており、明らかに破綻している現状がそこにはあった。

 とはいえ、魔法……あるいは物理学に対して多少の知識があるものなら、最初は混乱するだろうが即座にそれが一見すると破綻しているように見えて、問題なく本棚が成立することがわかるだろう。

 ラエティアの魔術師たち、つまり科学者たちは現代よりも進んだ技術を保有していることはわかっており、宇宙のどこかにある太陽系に限りなく近いハビタブルゾーンに存在する知性体が書いた本や、別の宇宙──平行宇宙に存在する太陽系の第三惑星の知性体が書いた本、つまり無限の宇宙の各地や多元宇宙に進出することができるほどであることは既に判明しており、そしてそのような宇宙の仮説さえ知っていれば、ヘルメス図書館が時空連続体の制約を突破して本を蒐集していることは簡単にわかるだろう。

 同緯線の時空から情報として搔き集めているのか、それとも時空連続体を自由に飛び回っているのか、仕組みとしてはどのように機能しているかは不明だが、そのように考えることができて、なおかつこの宇宙が存在する論理領域がその仮説が真になる構造であるということさえ理解していれば、図書館か、あるいは本棚が持つこの特性に強烈な違和感を覚えることはないだろう。

 さて、そのようなトールキンの本棚十二掛ける七十五の計九百の本棚を抜けると、トールキンの体系もその中に括られていたのか、幻想小説の広大なエリアが待ち構えていた。

 ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの宇宙主義に基づいたスペースは心なしか不気味な、非論理的なアトモスフィアが展開されていた。仮にこのアトモスフィアが単なる気のせいではなく、実際にそうなっているのだとしたら、先ほどは実用性のない娯楽と説いたが、もしかしたら一部の者は実際に魔導書として機能するのかも知れない。

 それを確かめるために、ラブクラフト本人が執筆した作品の中で有名なものを手に取ってそれに対し分析を試みた。コンマ一秒も掛からずに終えた分析によると、やはり不完全ではあるものの魔導書としての機能を保有していた。作中に登場するネクロノミコンの模倣として扱われているのか、ベルリンの屋敷の書斎には現物のネクロノミコンがあったことから、ラヴクラフトが意図せずネクロノミコンの存在を言い当てたことで信仰によりエルドリッチ系統の永続的触媒として魔導書と成ったのか、あるいはラヴクラフト自身が魔術師であったのか。それは不明だが、本来の永続的触媒が用意できない場合は最悪の場合これを利用することもできるだろう。よほどの事情がなければ自身専用の永続的触媒を用意できない、ということは通常ありえないが。

 しかし、ステラ自身は永続的触媒を保有していない──とはいえステラの魔素を考慮するに、魔術を補助する永続的触媒は少なくとも現時点では不必要なのだが──ので、魔導書兼純粋な読み物としてラヴクラフトの作品群を選ぶことにした。

 箱入り娘のステラでも聞いたことがあるような作品をいくつか選び、体格的に一つずつしか持つことができないのでひとまず”At the Mountains of Madness”を持つ。そのまま先ほど一瞬見かけた読書用に設けられたらしきカフェテリア、時間帯的に閑散としているその中のある席の上にこの長編小説が置かれている様子を想像する。するとたちまちAt the Mountains of Madnessは糸が綻びるかのように、今までステラが見ていた光景の一部が幻想であったと嘲笑うかのようにステラの手元から消え、元々本棚に保管されていた位置に戻った。それを確認したステラは元来た道を一部通り、カフェテリアに陸路での最短経路で向かった。

 そうして空想の中ではなく実際にカフェテリアに辿り着くと、真っ先に空想上で座った席に向かう。カフェテリアのある図書館の地元にあったトウヒから作られた机の上を確認すると、しっかりとAt the Mountains of Madnessが移動させられていた。

 何かしらの原理に則った存在情報の複製物であるそれは、外観や中身の文字列や材質などはまったくもって違いがわからず、量子力学的にはコペンハーゲン解釈とも多世界解釈とも矛盾しながらそれが両立するのは、ひとえにヘルメス図書館が持つ地球基準で考えるならば不可能と断言できる論理構造が原因なのだろう。

 次の実験として現在ステラが所有権を持つこれをロバートの鞄の中に存在するように考えてみる。これまた本はステラの目の前から霧が散るように消え去り、マーカーの反応がロバートの鞄の中に移った。再度目の前に呼び出すとやはりコピーは目の前に出現する。

 仮説としては、情報的に全く同一であることを可能とする論理構造が限定的に図書館の各本それぞれに展開されており、その結果全く同一である一冊の本が二つ異なる座標に存在するというのを可能としているのだろう。図書館の蒐集自体もある程度似たような手法で論理構造の改竄が行われていることが予測でき、そうでなければフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの書きかけの小説がこの世に二つ存在することになり、パラドックス的な事象になることにより地球の論理構造からドストエフスキーもろとも”粛清”され、他のドストエフスキーの作品も神の剃刀によりなかったことにされていただろう。

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