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【ChapterⅡ】Section:9 女司祭

「なるほどな……どちらの私の解釈から聞きたいか?」

「だったら、未来の方から聞きたい」


 少し考えてから、占い師ハリルは未来に対して真理が示したカードについてゆっくりと説明を始めた。


「女司祭の正位置は、君が秘匿された神秘的な智慧に裏付けされた高次感覚に優れていて、いずれそれらの感覚や知識が非常に重要になることを示しているだろう。今のうちから神秘主義思想について良く学ぶことを進めよう」


 他にも女司祭のアテュについて何か思い至ることがあったのか、一度黙って深く思考してからそれについて話すことを決めたのか、重々しく口を開いた。


「そして、君のすぐ上には意識の本質、純粋な情報だけが存在し、その壁が君を阻むのだろう。具体的にどうなるかまでは流石にわからないが、女司祭が正位置、つまり前向きな解釈であるということは、おそらく君は個と全を区分する深淵を乗り越える」


 言わんとするところこそ理解できるものの、それでも非常に難解な抽象的な解説を聞いたところで、紡ぐ言葉に悩んだのか、ハリルは再び黙り込んだ。

 タロット初心者の自分はあまり干渉しないほうが良いだろうとステラは考え、静かにハリルを見張る中で、ステラはタロットから連想された生命の樹に関連する、自身の事柄について彼よりも早く回想し始めた。


 覚醒してからまだ日が浅い頃、量子論や魔法について学ぶ中で、一つの苦悩に直面したことを思い出す。

 自身という存在のルーツと意味。無論一般的な家庭を基軸として考えるのならば、胎生動物の子供は母親の胎の中で胚子として始まり、急速な細胞分裂を経て胞胚の層を形成し、それらが胎児となる。しかし、本来子宮の中で行われるはずのそれらのプロセスを、ステラは自身が通ってきた道とするには不自然な点がいくつも存在した。

 自身の状態から推測するに、ステラの人体構造では胎内記憶はもちろん、胎児の状態で未熟ながらも十分な精神活動を行える脳味噌を保有しているはずであり、実際のステラには胎児の頃の記憶は保有していなかった。

 ステラの原初の記憶に存在しているのは培養槽であり、培養液に満たされるその筒は基本的にクローン実験のような物事の際に使用される機器であり、幼い精神を揺さぶるのには十分な培養槽の使用理由の可能性への恐怖がしばらくステラを襲っていた。

 望ましいのは通常通り出産された際に何かしらが未熟であったことから、自身を生かすために培養槽を利用したケース、体外受精で胚子となり、培養槽の中で育っていったケースの二つである。

 逆にステラを揺さぶった望ましくないケースは既に存在した、あるいは存在するはずの”ステラ”のドッペルゲンガー的なクローンであるか、それとも既に死亡した”ステラ”の再現か。

 天上天下唯我独尊。古代インドにおいて最大の大賢者とされるゴータマ・シッダールタが誕生したときに発したと信仰されている言葉であり、魔術世界では「この世界において私と全く同じ人生を歩める者は私以外に存在せず、故に唯一のゴータマ・シッダールタという人間である」と解釈されており、魔術師の宇宙論において古来から大いに参考になっている言葉である。

 本来この世に真の意味で一人しか存在しないはずの”個人”のアイデンティティを揺るがさんとステラに襲い掛かるその獣は、ステラをこの世に在りえぬはずである”個人”ではない不気味な存在であると責め立てた。

 その狂獣と戦うのに必死で眠れず、パフォーマンスが落ちたことすらあり、長らくそのパラドックス的な恐怖はステラを蝕み続けた。

 それが解消されたのはとある日にアンジェリカと共に入浴したときであった。

 その瞬間まで全くもって気にして居なかったのだが、突然自身が生まれてきた直接的な証拠があるのではないかと直感的に思い至り、しかし実際にあるかわからないと思いつつ、母の表側の下半身を観察し、そしてそこに存在した帝王切開による痕跡の傷の直り具合から考えられる切開時の時間と、自身の肉体年齢から考えられる外界との接触時の時間が一致した瞬間、ステラは今までの人生で最大の安心感を得ることができた。

 精神的に不調であったことを隠していたので、突然機嫌が良くなったステラに微妙な顔をしながらも抱きしめたアンジェリカのことは一生忘れないだろう。──完全記憶能力を持っているのでもちろん感情的な話である。


 そうして回想し終わると、ハリルは未だに黙ったままであり、ロバートも直立不動のままであった。

 突然、辺り一帯が不自然なまでにざわつき始めた。あまりに多くの困惑の声が上がったからか、ハリルやロバートも驚いた様子で居る。

 静かな騒ぎが起こり始めた所を見てみると、物理的に完全な武装をした──所々見え隠れしているその他の装備も見るに、魔術的にも武装が為されているのだろう──軍人風の人間が十人存在していた。

 気になって彼らの情報配列をバレないように盗み見ようとするが、精神と演算フレームワークを保護する魔術的ファイアウォールを施しており、ステラにとってそれらは突破することこそ可能なものでこそあるが、原因の特定もできていない現状妙な真似はしないほうが良いと思い、魔術式を見られていることに気が付かれる前に撤退した。

 魔術的ファイアウォールは防御用のソースコードやアーキテクチャとその暗号化はもちろん重要であるが、最も重要であるのは魔素の質と量である。

 どれだけ優れたファイアウォールを構築できたとしても、セキュリティ保持者より攻撃側の魔素が圧倒的に優れている場合、防御側の魔素を媒介としているセキュリティは素通りを許してしまう。

 ステラの場合では類を見ないほどの魔素の品質と量を兼ね備えているので、上院を含めたほとんどの魔術師の魔術的セキュリティを素通りできる。

 それができないということは、彼ら全員が少なくともステラに匹敵する魔素を保有していることを示しており、魔素がその段階に達しているのはほぼすべての場合において上院の中でも元老に仕えるような更に上位の魔術師しかありえなかった。

 彼らの脅威度──別に敵対していると決まったわけではないし、おそらく戦闘になったとしても勝てないと思われるが──を正しく認識できるステラだけが戦慄し、ステラの異様な雰囲気を感じ取ったのかロバートとハリルも警戒を始めた。

 面倒事は勘弁してほしい。そんなステラの思いを知ってか知らずか、機動隊が向かったのは──ステラたちの方向だった。

 いざとなったら親の権力で脅すという世間を知らないが、手出しができない面倒な子供にならなければ行けないと感じつつ、白旗を揚げるくらいのつもりで彼らが来るのを構える。


「失礼、ハリル・グスタフ・フッサールさんですね?」


 必要であればロバートを肉盾にするという非人道的な手段を取ることも覚悟していたが、どうやら標的は自分たちではないと感じ、内心は分析していないのでたった今分析した結果、真摯にステラに向き合ってくれていたらしいハリルを渋々生贄に出す。雰囲気的にそれに気が付いたのか、情はないのかと目線で訴えかけてきているが、この手の場合は既に彼がフッサール本人であることは既にわかりきっているパターンであるので、抵抗するだけ無駄であると変に達観したような精神状態で彼に向けて人差し指で指し示した。


「……ああ、確かに私がハリル・グスタフ・フッサールだが」

「残念なことに、貴方には悪質な詐欺と、違法な取引の疑いが掛かっています。治安維持局まで同行を願います」


 さて、多分面白い冗談であるとステラは感じた。彼の心理構造を分析して得られた情報は、彼が決してそんなことをしないような気の抜けるような程の善人であることを彼女に伝えていた。

 心理偽装をしていないと先に仮定しておくならば、元々上院の魔術師だったらしいので、政治的な何かしらの関係性か、あるいは誰かしらから恨みを買っているか、もしくは知らず知らずの間にその悪質か違法なことをしていたことになるだろう。

 もちろん彼がステラを騙そうとしている可能性も捨ててはいけない。この場合では心理状態を偽装する必要があるので、偽装するということは後ろめたいことをしていると通常の精神構造ならば自覚しているはずであるからして、その疑いというものは本当のことなのだろう。


「まて、それについて思い当たる節が私にはないのだが?」

「ですが、実際に無実であると証明していただくためには、維持局まで同行をしてもらわなければ、弁明もできないこととなっています」

「……わかった、維持局まで行こう」


 機動隊員たちは彼に罪があると確信しているのか、詐欺に引っ掛かりそうになっていた──というか、本当に詐欺だとしたら既に料金を払っているので引っ掛かった後になるのだが──ステラに同情の視線を向けた。


「最後に一つだけ、喋らせてくれ」

「──はい、どうぞ」


 機動隊のリーダーの許可を貰ったハリルは最後の足搔きとしてステラに最も重要なことを伝える。


「私の占いは今まで外れたことは一度たりともない。どうか、意味について自分で考えてくれ」

「……それでは、移動します」


 そうして、ハリル・グスタフ・フッサールは治安維持局とやらにまで向かうことになり、別に利益も損益もないので本気で気にこそしていないが、無駄になってしまったとこの機会をステラは惜しんだ。

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