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【ChapterⅡ】Section:5 ハノーファー

 イギリス人だと一目でわかる六フィート三インチの昼間用の紳士服に近いものを着る背筋を常に伸ばしているその男は、お辞儀をし終えるとこちら側に視線を向ける。

 視線の元を辿るとそこには青い瞳があり、それは彼が北欧系イギリス人、つまりアングロ・サクソンの系譜であろうことを示していた。


「お待ちしておりました、閣下」

「出迎えご苦労、マシュー」


 なんとなく、つまるところ勘でしかなかったが、アートマンに対しての敬称を聞くにやはり魔術協会の人間であるらしく、左胸の三つの勲章を改めて見ると確かにそれらはすべてマナが多い素材を用いていた。

 ヴィクトリア朝の時代からそのままの姿形で現代へとやってきたような格好の彼がアートマンからの返答を受け取ると、車の扉を開け、ステラたちに乗車するように示した。

 車の裏側に回ったアートマンが助手席に、ステラはアンジェリカと共に後部座席へ、黄金色の日傘を畳んだ母と共に土と砂利が入り混じった地面を踏みしめる音を受け止めながら向かう。

 三人が乗ったのを確認してからアングロ・サクソン人──マシューは再び一礼し、運転席に座り、安全の確認か、周囲の確認をすると車を走らせ始めた。


「ああ、そうだ。十三時三十四分四十九秒に一旦ヴァレンヴァルトで降りてくれないかい。そこの店で遅めの昼食を摂りたい」

「承知いたしました」


 その音だけを見るならば、気の置けない友人への軽い頼み事にも聞こえるが、その実態は王族に命令されている召使いといってもあながち間違いではない関係性であることは奇妙に思える。あるいは、そもそもアーノルト家自体が元々は王族であったらしいので、この比喩は正しいのかもしらない。

 そうすると、アーノルト家の家長──とはいっても、嫁入りしたであろうアンジェリカを除くとアーノルト家の人間はアートマンとステラの二人しか居ないが──であるアートマンに対する敬称として閣下は不適切であり、アンジェリカと共に陛下と呼称するのが適当だと思われる。

 もっとも、アートマンもアンジェリカも特にそれに対して反応を示していないし、マシューの口から流れる言葉を聞く限り侮辱やその類の意思は全く籠っていないように感じられる。

 あるいは、王族としての意識はほとんど皆無であり、魔術師としての意識の方が強い。

 あるいは、ドイツの貴族としての意識が強く、かつて立ち位置が逆であったことは気にしていない。

 あるいは、彼らは本当に細かい敬称の使用法などについて、ただただ興味がない。

 ステラとしては普段の両親──アートマンは考えが全く読めないが──の様子を込みで考えると、最後の可能性が最も高いように感じられる。


 そうして車を走らせていると、次第に窓の外の風景が森林から住宅が乱立したものに変わっていき、すれ違う車の数も多くなり始めた。

 現在はベルリンの都市部の端に居るようで、更に時間が経てば住宅地からオフィスビルが目に入るようになるのだろうか。

 それは、具体的な現在地を知らないステラには知りえないことだった。

 更に時間が経つと、心なしか周囲の人間と建造物の雰囲気が変化した気がした。個人の感覚がどうとか、建物に込められた趣向が違うとか、そういうことではないのだが、とにかく何かしらの変化を彼女は感じた。

 これまで屋敷の中が世界のすべてだったステラにとって、些細なことでも世界が変わるという感覚は彼女に奇妙な興奮を与えた。

 平静でいて、それでいてそわそわするような、言語化が難しいその感情は、軽度の眠気としてステラに宿った。軽いとはいえそれに抗うことはできず、せめてもの抵抗として彼女は目はそのままに、脳だけを眠らせた。つまり、神経系の一部を一時的に遮断することで、睡眠に近似した状態を作り出した。


 二十分か三十分ほど経ち脳を覚醒させると、右側からアンジェリカとアートマンの声が聞こえた。彼らは雑談していたらしく、外の風景を眺めてるのを装って睡眠していたおかげか、どうやら眠っていたことには気が付かなかったらしい。

 はっきりと外の風景を見ると、そこは先ほどの都市部とは異なる風景が広がっていた。

 車線群同士の間と道路自体の外側はフェンスによって露骨に区分けされ、白と青で自身を主張する看板が多く点在していた。最も目を見張るのは道路全体の側面に建造物が存在せず、木々が生い茂っていることだろうか。

 それがアウトバーン──アウトバーン2であることを理解するのには時間を要さなかった。

 ドイツの法律などを学ぶ際に、その一環として車両に関連する事柄を知ったが、それがこのようなタイミングで生きることになるとは思ってもみなかった。ただし、アウトバーン2を利用中であることを理解したところで使い道はないのだが。


 今度は眠りにつくことなく三時間を過ごすと、突如として道が分かれ、外側の防護フェンスの中に吸い込まれていった。道は右向きに回り始め、円を書き終わるとそこには線路が中央に走る通常の速度で走行する通りだった。

 予定通りの時間ちょうどにヴァレンヴァルダー通りに到着したステラたちは付近の飲食店を探し始め、やがて個人経営なのだろうか、こじんまりとした、それでいて重厚感の洒落た店をコンビニエンスストアの隣に見つけた。


「やあ、邪魔するよ」


 近くに車を止めるとアーノルト一家はマシューと離れ、アートマンは目当てらしき店の中に気安い雰囲気を漂わせながら入り、ステラとアンジェリカもそれに続いて店内に入った。

 おそらくマシューは自身で昼食を用意するのだろう──それも位置関係的にコンビニエンスストアの商品で。


「いらっしゃい、金を落としてくれるなら政治家でも、マフィアでも、お前でも大歓迎さ……アートマン」


 物騒なジョークで返答した店主を横目に、一家は席に着いた。

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