祝杯
ヒースは、夜の街灯の明かりにも負けないほど穏やかに微笑んだ。
「だからまあ、なんというか、あんたには僕がついていないとなと思ったんだ。僕が危なっかしいあんたを守ってやらなきゃって」
「うん……」
「こんな気持ちになったのは初めてだったな。初恋が失恋というのも笑えるけれど」
セシリーナは顔を伏せるしかなかった。彼の気持ちに応えられたら彼を傷つけることはなかっただろう。今の自分には彼の幸せを願うことしかできないのだ。
「……ヒース、ごめんなさい」
「だからそんな沈痛な面持ちで謝らないでよ。さっきも言ったけれど、僕はあんたとどうこうなりたいわけじゃないんだ。ただ気持ちを伝えたかっただけなんだよ」
ヒースはそこで言葉を切ると、星の瞬く夜空を仰ぐ。
「もうすぐ最終決戦。あんたも僕もどうなるかわからないからさ」
「あ……」
ヒースの言いたいことがわかる。『星を喰らう魔獣』に挑むことになったら、無事に生きて帰れるかはわからない。だから後悔しないように、彼は気持ちを伝えてくれたのだろう。彼は覚悟を決めているのだ。
セシリーナは手を後ろで組みながらいたずらっぽく笑む。
「ヒース、気持ちを伝えてくれてありがとう。嬉しかった」
「うん」
「恋愛云々は抜きにして、私もヒースのことを守りたい。大切な仲間だから。だから必ず無事に帰って来よう。気持ちだけ伝えていなくなるなんて許さないんだから」
「わかってるよ。だから僕はあんたのことが好きになったんだ。強くて眩しくて、いつも前を向いているあんただから」
ヒースに倣って、セシリーナも夜空を見上げた。
瞬く星々の輝きは生命力に満ち溢れている。この美しい世界を失うわけにはいかない。世界も、生きる人びとも、大切な仲間たちも、絶対に守り抜いてみせる。
セシリーナとヒースはお互いの拳をぶつけ合う。絆を確かめ合うように。二人の心の距離が近づいた瞬間だった。
セシリーナと別れたヒースは、王都の外れにある小高い丘の庭園にやって来ていた。一般市民に開放されている広場で、丘の端に設置されているベンチに座ると王都全体が一望できる。一面に広がる夜景が目に沁みるほど美しかった。
夜風がヒースの銀の髪を優しく撫でていく。
「……あーあ、ふられちゃったな」
誰に言うでもなく呟く。
……わかっていたことだった。セシリーナがアベルハルトを想っていることは。ふられるとわかっていて告白したはずなのに、いざ直面するとなかなかのダメージだった。
「……恋愛は難しい」
「おや。ヒース様ほどの方でも苦戦することがおありなのですね」
「ケルヴィン!」
まさか誰かに話しかけられるとは思わず振り返ると、ケルヴィンがこちらに向かって歩いてくるところだった。両手には蜂蜜酒らしき銀のグラスを二つ持っている。まったく用意周到なことだ。
ヒースはげんなりする。
「神出鬼没だね。もしかしてさっきの僕の独り言も聞いていた?」
「ええ。盗み聞きしておりましたよ。――『あーあ、ふられちゃったな』」
「……良い性格しているね」
ケルヴィンはヒースの隣に腰かける。持っていた蜂蜜酒の片方をヒースに手渡した。
「セシリーナお嬢様と何かありましたか?」
「全部お見通しでしょう。今さっきあんたのお嬢様にふられてきたところ」
「なるほど……」
「初恋ってやつだったからね。失恋のダメージも大きい」
「ご愁傷様です」
ケルヴィンは蜂蜜酒を煽るヒースをちらと見てから言う。
「……私も今、失恋したところです」
「は?」
「私も、お嬢様をお慕いしておりました。けれどもヒース様がふられた今、私もふられたようなものでしょう。だから、失恋です」
「あっそ。ご愁傷様です」
さきほどのケルヴィンを真似て言えば、ケルヴィンが小さく笑った。
お互いに失恋か。だったらこの蜂蜜酒はやけ酒だな。
ケルヴィンが王都の夜景に目をやる。
「お嬢様の想い人はアベルですか?」
「そう。いつの間にやら付き合っているみたいだった」
「それは、おめでとうございます!」
ケルヴィンは心底嬉しそうに笑っている。
おそらく彼も自分と同じでアベルとセシリーナの仲を応援していたのだろう。特に彼は二人と幼馴染のようだから。
ケルヴィンが蜂蜜酒を持ち上げる。
「これは思いがけなく祝い酒になりましたね」
「そうだね。あんたも失恋した割には嬉しそうだね」
「お互い様でしょう」
「まあね」
お互いに失笑してしまう。
アベルとセシリーナが幸せになってくれること。それが自分たちの一番の願いなのだ。だからふたりが上手くいったことは何より嬉しかった。自分たちは想い人にふられてしまったけれど。
ヒースはケルヴィンにグラスを向ける。
「ますますこの戦い、負けられないね。次は一緒に勝利の美酒を呑めるように乾杯といこうじゃない」
「いいですね。ヒース様とグラスを合わせたらご利益がありそうです」
「僕で神頼みしないでくれる?」
二人で憎まれ口を叩きながら笑い合う。
合わせたグラスから鳴った軽やかな音が、夜空に昇っていった。




