1 奈落の底
人が列を成し、ぽっかりと口を開けたダンジョンへと吸い込まれていく。
魔物が蔓延る危険な閉鎖空間へ、自ら喰われに行く者たちを人は冒険者と呼んだ。
彼らの目的はただ一つ、はるか過去に作られた遺物を持ち帰ること。
「だからロマンなんだってば、ロマン。ダンジョンに眠る遺物から古代文明を紐解くの! ね? ロマンを感じるでしょ? 大昔にこんなことがあったんだーって!」
「そうか? 大昔になにがあろうが関係なくね? 俺たちは今を生きてるんだから」
「んー! わかってない、わかってないなぁ! 過去があるから今があって未来があるの! 積み重ねなんだよ? 歴史って」
「まぁ、魔法なんて武器を発明してくれたことには感謝してるけど。ロマンじゃ飯は食えないからな。俺にはちょっとわかんないや」
「むぅー。ライトってば最後にはいっつもそれだよね」
「わかり切ってたことだろ? 長い付き合いなんだし。ルリも懲りないな」
「長い付き合いだからわかってほしいのにぃ!」
幼い頃から何度も繰り返されてきたやり取りは、たぶん今後も続いていく。
俺がロマンとやらを理解する日がくるのかどうか。
この分だとまだ当分は先の話かもな。
「よう。そこも脆くなってるから気ィつけな」
「おう、ありがとな」
前を歩く名も知れない冒険者に感謝しつつ地面の亀裂を躱す。
後ろの連中にも教えてやろうかと思ったけど、振り向いた先で別の冒険者がすでにやっていた。四角い通路に響いた警告が連なっていく。
「表層の遺物は回収済みなんだっけ」
通路の壁に設置された割れた窓の先には、がらんとした空間が広がっている。
そこから更に通路を進むと、空間への出入り口に差し掛かった。
乱暴に遺物を取り出したのか、縁がすこし抉れている。
「うん。でも地下はまだ手付かずなんだって。どんな遺物が眠ってるんだろ? わくわくしてきたなぁ!」
「高値で売れるのが残ってると良いんだけど」
「おーい、そろそろ地下に潜るぞ」
重苦しい鉄の扉が錆び付いた金切り声を上げて開く。
一人が発炎筒を投げると、暗闇から朧気な輪郭が浮かぶ。
扉の先も通路のようだが、その形状はかなり異なるみたいだ。
これまでの平らで四角形な整理されたものではなく、子供が粘土で捏ねたような不格好な凸凹とした道が続いている。
更にその奥からは魔物のものと思われる、奇怪な鳴き声が木霊していた。
「歓迎されてるみたいだな。パーティーが待ってるかもよ」
「ドレスコードはばっちり。早く行こっ」
ぞろぞろと冒険者たちは地下へと潜る。
俺たちもその流れに乗って日の当たらない道を進む。
ぽつりぽつりと落ちた発炎筒の光だけが足下を取らす中、固まっていた冒険者たちは次第に散り散りになっていく。俺たちもご多分に漏れず、二人きりになった。
「瓦礫に土砂。魔物の声はすれども姿なし」
「魔物がいない分には楽だけど、遺物か見付からないのはゆゆしき問題だよ。もうこの辺りは探されちゃったのかな?」
「にしては発掘のあとがないけど……とりあえず、もうすこし先に進んでみようぜ」
「そだね。どんどん行こーう!」
適度に発炎筒を投げながら進んでいると、不意に爪先で何かを蹴飛ばした。
擦れるような音。石や瓦礫のような形状の物体からは鳴らない音がして、すぐにそれに目が行った。
「よっと。あー」
「なになに?」
「板だよ、板。ダンジョンによく落ちてる奴」
「なーんだ、板か。でも、まだ生きてるかも、試してみて」
「何百年も前の遺物なんだ、望みは薄いと思うけどな」
と言いつつも、板に魔力を注ぎ込む。
すると板に光が宿り、貼り付けられた結晶に色がつく。
「凄い! まだ生きてるよ、この板!」
「こいつは驚いたな。結構、高く売れるぞ、これ」
「もー! ライトはいつもそうなんだから。その板に世紀の大発見が眠ってるかも知れないんだよ?」
「そうかも知れないけど、お生憎様。いつもの文字だ、セイタイニンショウ」
「ダメかー……板が生きててもロックを解除できなきゃ意味ないよー!」
「ま、俺はこいつが金に換われば文句ないけど」
残念がるルリには悪いが、生きてる板は死んでる板よりはるかに高値がつく。
換金が楽しみになってきた。
「折角だ、こいつを明かりの変わりにして行こうぜ。発炎筒の節約にもなるし」
「古代の遺物なのに松明扱いとか納得いかないんだけどなー、私は」
「光ってるのが悪い」
板から放たれる光を頼りに先へと進む。
発炎筒の目に悪い明かりとは違って、板から溢れる光は柔らかい。
試しに近くの障害物を照らしてみると、先ほどまでは見る気もしなかった詳細が浮かんでくる。鉄の棒が伸びた瓦礫、その中に机と思しきものと椅子が埋もれていた。
「大昔はここにも人がいたってことだよな。今や見る影もないけど」
「あれ? あれあれ? もしかして興味出てきた?」
「今ので失せた」
「あーん」
昔になにがあって今にいたるのか。
たまに思いを巡らせることはあっても、金になる遺物を引き取ってまで、とは思わない。
ルリはたまに換金せずに持ち帰っているけど、この前に家を訪ねたら物置が大変なことになっていた。ルリの艶のある綺麗な黒髪が、あの中ではくすんで見える。
あれはそのうち物置を飛び出して家を侵食するに違いない。
全部売ってしまえば結構な財産になると思うんだけど、まぁ売らないだろうな、ルリは。
「私の思いが通じたと思ったのに」
「冗談言ってないで目の前に集中しろ。魔物だぞ」
板の光に照らされて暗闇に浮かぶ巨体。
一見して猿のような、ゴリラのような姿をしていて群れはなく一体だけ。
暗闇に適応してか、毛並みは真っ黒だ。
「初めて見る魔物だ、なにしてくるかわかんないぞ」
「うん、一旦様子見して――」
両の拳が高らかに振り上げられ、魔物は渾身の力を込めて地面を叩く。
俺たちの間には距離があって攻撃範囲外、その手が俺たちを捉えることは決してない。
だと言うのに、魔物は一心不乱に地面を叩き続けている。
「なんだ? あいつは一体なにを――」
奇行に思わずたじろいでいると、打撃音に紛れて不可解な音がする。
よくよく耳を澄ませてみると、それは足下から響くもの。
視線を下ろすと音の正体が足下まで迫ってきていた。
「――逃げろ!」
「え――きゃっ!?」
隣りに立つルリを突き飛ばした刹那、足下まで走っていた亀裂が大きく裂ける。
足場が崩れ、重力に引かれてこの身は為す術もなく奈落の底へ。
あの魔物は俺たちの立ち位置が脆いことを知っていた、最初からこれを狙っていたんだ。
「ライト!」
響いたルリの声はすでに遠く。
このままじゃ地面に叩き付けられてぐしゃぐしゃだ。
「スクランブルエッグはごめんだッ!」
全身を覆うように魔力を放出し、落下の衝撃を軽減する。
これしか生き残る方法はない。
全力全開で魔力のクッションを作り、激突の瞬間は今。
降り注ぐ瓦礫と共に地面に落ち、俺の体は大きく跳ねて転がった。
「あぁ……くそ。冗談じゃ……ないぞ」
鈍い痛みが体の芯から響いてくる。
両手、両足はまともに動く。
不幸中の幸いというべきか、骨折は免れたらしい。
立ち上がれるし、歩けもする。
だが、戦闘可能なコンディションからはほど遠い。
「まずいぞ、これは」
見上げた頭上は暗闇で閉ざされ、自分が何メートル落ちたのかも見当が付かない。
そしてなにより問題なのが頭上から響いてくる魔物の雄叫びだ。
奴は俺が地面に叩き付けられて死んだと思っている。
この叫びは他の魔物に取られないようにするための威嚇だ。
もしあの魔物が降りてきて死体がなかったら、俺を仕留めるまで追い回すに違いない。
「魔物と鬼ごっこかよ、分が悪いったらないぞ」
とにかくこの場を離れようと痛む体を押して進む。
「どこか、隠れられる場所は……」
発炎筒は落下の衝撃で壊れて機能しない、拾った板はルリを逃がすときに手放した。
真っ暗闇の中を当てもなく歩き、唯一の道しるべはごつごつとした岩肌だけ。
躓かないように慎重に、だが追い付かれないように早足で。
そうして逃げてどれほど時間が経っただろう、闇に塗り潰された視界に蒼白い光が灯る。
「あれ、は?」
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