7. 貴女のことは
「団長〜! どこですか〜?」
男性の声がどんどん大きくなる。
「……憲兵団の兵士が団長を探しに来たようですね」
隣人が小声で言う。
今までこの時間に兵士の気配を感じたことはなかったのに……。
きっとこの時間帯は団長と呼ばれる人が見張り役なのだ。前に隣人が言っていたとおり、団長が見張りを放棄しているせいで見つからないから、兵士の人がこうして探し回っているのだろう。
(憲兵団の兵士だなんて……私たちの話し声が聞かれたらまずいわ)
私は兵士に気取られないよう、口もとを手で塞いで息を潜める。
隣人も、小さく溜め息をついた。
「……今夜はもうお話しできなさそうですね」
「そうですね」
「では、名残惜しいですが、おやすみなさい」
「……はい、おやすみなさい」
なるべく音を立てないよう慎重に壁の穴を塞ぐ。
彼も向こう側で大人しくしているようだ。
私は寝床に横になりながら、外の様子に耳を澄ました。
さっきの兵士は別の場所へ探しに行ったようで、「団長ー?」と呼ぶ声が遠ざかっていく。
声量が大きすぎる気がするが、おかげで様子が分かって助かる。
しばらくすると、また兵士が戻ってくる気配がした。団長はまだ見つかっていないらしい。
「団長」という責任ある立場なのに、仕事を放り投げていいのだろうかと、囚人の身ながら心配になってしまう。
(もしかして、どこかで居眠りでもしてるのかしら)
そんなことを考えていると、外から「あっ!」と大きな声が聞こえてきて、私はびくりと体を揺らした。
「団長! どこにいたんですか! あちこち探しちゃいましたよ! ちょっと、そんな不機嫌そうな顔してどうしたんですか」
どうやら、やっと団長が見つかったらしい。
何やら不機嫌な様子のようだが、居眠りを邪魔されて怒っているのだろうか。
「……えっ、声が大きい? そんなにですか? すみません、気をつけます」
団長に叱られて、兵士が声のトーンを落とす。
たしかに、彼は声が大きすぎる。いくら監獄とはいえ、もう夜も遅いから配慮してもらいたいところだ。
団長は、声量をぐっと抑えた兵士から何らかの報告を受けると、見張り役を兵士に代わってもらい、足速に去っていってしまった。
緊急事態なのかもしれない。
(また新しい囚人が入ってきたりするのかしら……)
とは言え、きっと顔を合わせることもないだろうけれど。
そんなことよりも……。
(さっき、彼は何て言おうとしたのかしら……?)
『信じてください。僕が貴女を──』
兵士がやって来る前、彼はそんなことを言っていた。
(独房から攫って逃げてくれるとか……? まさかね)
続きの言葉を、明日聞くことはできるだろうか。
そうして彼の言葉を何度も思い出しながら、私は眠りについた。
翌朝。まだ朝食が配られる前に、壁の隠し穴がずれる音が聞こえた。
「……おはようございます。すみません、今大丈夫ですか?」
彼の遠慮がちな声が聞こえる。
「は、はい、大丈夫です」
朝から彼と会話するのは初めてだ。
朝か夜かの違いだけなのに、なぜか妙に緊張してしまう。
「いきなりこんな時間にすみません。実は今日、仕事の帰りが遅くなりそうで……。夜にお話ができなさそうなので、こうしてお伝えしてみました」
彼はつい先日、私を怯えさせてしまったことをとても後悔していた。また私を不安がらせないよう、わざわざ教えてくれたようだ。
その気遣いが、とても嬉しい。
「そうなんですね。私のことは気にせず、お仕事頑張ってきてください」
そう返事をすると、彼ははにかんだように、くすりと笑った。
「貴女にそう言ってもらえて、やる気が湧いてきました」
「そ、そうですか? あ、でもあまり無理はなさらず……」
「ありがとうございます。でも今日は本当に大事な仕事なので、無理をしてでも終わらせてきます」
「なんだか大変そうですね……。では、無事にお仕事が済むように祈ってますね」
「ありがとうございます」
そうして彼と最後に「あ、今日は昼食に林檎パイが出るらしいですよ」「わあ、楽しみです」という会話を交わし、隠し穴を塞いで別れる。
(……そういえば、昨日の言葉の続きを聞くのを忘れてしまったわ)
今日はもうお話できないのだから、さっき聞いてしまえばよかった。
(でも、朝から彼の声が聴けたのだから、今日はそれだけでもいいわ。それに、お昼に林檎パイが食べられるみたいだし)
私は、処刑まであと二日しかない事実を頭から追い出し、今日のささやかな幸せで胸を満たすのだった。