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4. 空っぽの独房


 翌朝、私はまた小鳥の鳴き声で目を覚ました。

 そして、昨日とは違って足元が温かいことに気がつく。


 「……毛糸の靴下のおかげね」


 昨晩、隣人からもらった毛糸の靴下を履いたおかげで、寝るときも(ぬく)くて気持ちよかった。靴下一足でこんなに違うとは驚きだ。

 おかげで今日は夢見も良かったような気がする。


 彼に何かお礼をしたいが、独房には身ひとつで収監されたので、彼にあげられるようなものが何もない。


(……仕方ないわ。今夜また改めてお礼を言いましょう)


 きちんと感謝を伝えて、その後は何の話をしよう。

 好きな本の話は退屈だろうか。でも、神話に詳しかった彼なら、他にもいろいろな本を読んでいるような気がする。


 私は推理小説を読むのが好きだけれど、彼はどんな本を好むのだろう。

 男性は歴史小説や冒険譚を愛読書にしている人が多いと聞く。彼もそうなのだろうか。


 そんなことを考えながら、ふと寝床の横の壁に視線を向けると、不自然な出っ張りが目について私は思わず「あっ」と声を漏らす。


(まずいわ、壁の穴をちゃんと塞げてなかったみたい……)


 昨晩、しっかりと壁の穴を塞いだと思ったのに、押し込みが足りていなかったようだ。

 暗かったせいか気がつかなかった。

 見張りの兵士が朝食を持ってくる前に直しておかなければ。


 私は壁を向いて座り直し、出っ張りに指を当ててグッと押し込む……のだが、全然びくともしない。


「えいっ」


 次はもう少し力を入れて押してみるものの、出っ張りがなくなる様子は見られない。

 どこかに引っ掛かってしまっているのだろうか。

 私は今度こそという思いで、出っ張りを押す指にめいっぱいの力を込める。


「もう少し……よい、しょ……──えっ!?」


 私がありったけの力で押し込むと、今まで出っ張っていた壁の欠片は、今度はあっという間に凹んでいき、ついには壁の向こう側に落ちて見えなくなってしまった。


(ど、どうしましょう……!)


 掛布か何かの上に落ちたのか、大きな音が立たなかったのは幸いだったが、朝からいきなり壁に穴が空いて、隣人の彼はさぞかし驚いたはずだ。


 とにかく不手際を謝って、彼のほうから穴を塞いでもらえるようお願いしなくては。


「お、おはようございます……。すみません……壁の穴を塞ぎ直そうとしたら、うっかり力を入れすぎてしまったみたいで……。申し訳ありませんが、そちらから穴を塞いでもらえませんか?」


 外にいるだろう見張りの兵士に聞こえないよう、小声で彼に話しかける。


 これまで彼とは夜の暗闇の中でしか話したことがなかったし、いつも向こうから話しかけてもらっていたため、朝早く明るい時間に自分から声をかけることに緊張してしまう。


(あ、寝癖はついていないかしら……。でも、頭なんて見えないだろうから気にしなくても大丈夫ね)


 そんなことを考えながらも、念のため手櫛で髪を整えながら彼の返事を待つ。


「………………」


 けれど、いつまで待っても反応がない。

 もしかすると、声が小さすぎて聞こえなかっただろうか。

 それとも、まだ起床していなかったとか。


「あの、もしもし。起きていらっしゃいますか……?」


 もう一度、さっきよりも若干声量を上げて呼びかけてみるが、やはり返事はない。


(おかしいわね……)


 あまりの静けさに、私はなんとなく胸騒ぎを覚えた。

 まさか、一人で倒れたりはしていないだろうか。


 心の中で無作法を謝りながら、私は穴に顔を近づけ壁の向こうを覗き見る。


 小さな穴なので、さすがに部屋全体を見渡すことはできないが、見える範囲に人影はなかった。それに、人のいるような気配も感じられない。


(……どういうこと?)


 独房に閉じ込められているはずの人間がいない。

 それはつまり……。


(処刑されてしまったということ……!?)


 そう思い至った瞬間、さあっと血の気が引いて、全身がガタガタと震え出す。


 昨晩まで、独房の壁を挟んで人知れず会話を交わした人が、翌朝急に処刑されてしまうなんて。


 穏やかな優しい声で、不安と恐怖に呑まれそうだった私を包み込んでくれた隣人が。

 独房は冷えるだろうからと、内緒で靴下をプレゼントしてくれたあの人が。


 まさか、こんなにあっけなくいなくなってしまうなんて。

 とても信じたくはなかった。


 私は震える身体を自ら抱きしめ、必死で自分に言い聞かせる。


(いいえ、そんなはずないわ……。彼は、自分は死刑囚ではないと言っていた。別の理由で独房にいるのだと……。だから、きっと違うわ。処刑なんてされていないはず……)


 大丈夫、きっと無事だと、何度も何度も、おまじないのように繰り返す。


 すると、扉の外で食器のぶつかる音が聞こえてきた。そろそろ朝食の時間らしい。


 とりあえず、壁の穴が見つからないようにしなくてはならないので、私は毛糸の靴下を脱いで折りたたみ、壁の穴に急いで詰め込む。


 ちょうど石壁と似たような色合いなので、パッと見ただけでは分からなさそうだ。

 さらになるべく見張りの目に入らずに済むよう、私が背で隠すようにして穴の前に座り込む。


 果たして、朝食の支給にやって来た見張りの兵士は、やや気怠そうな雰囲気で朝食の盆を床に置くと、壁に空いた穴にはまったく気づくことなく出ていってくれた。


「よかった……」


 この調子なら、昼食のときも上手く誤魔化せそうだ。

 私はひんやりとした壁に背中を預けて、小さく溜め息をつく。


 しばらくそのまま耳を澄ませて待ってみたが、やはり隣の独房に朝食が差し入れられる気配はない。


 彼は一体どうしてしまったのだろう。

 なぜ急に姿を消してしまったのだろう。


「……どうか何事もありませんように」


 目を瞑り、彼の温かな声を思い出しながら、私は彼の無事を祈った。



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