番外編2(後編)
急に態度を変えた私を、ダイアナが不審そうに見つめる。
私は唇で弧を描き、ダイアナの腕を自分の首元に引き寄せた。冷たいナイフの切っ先が喉に触れる。
「でも、その復讐相手は私よ。だって、私がお前の母親の犯行を証言して、証拠のドレスを提出したのだから。お前からすべてを奪ったのは私。お前が憎むべきは私なの」
「ちょ、あんた何やってるのよ……」
「お前は復讐したいのでしょう? ならこのナイフで刺せばいい。簡単よ」
わずかに手を動かすと、喉にぴりっとした痛みが走った。
「血……血がっ……! あんた馬鹿じゃないの!? 死にたいの!?」
ダイアナが顔を歪ませる。
それが自分の望みのはずなのに、何を怯えているのだろうか。
「アリシア様のためなら喜んで死ぬわ。死んだ後もお前の腕を決して離さない。そうしたらお前は殺人犯として捕まるでしょうね。母親と同じ死罪となってお前も処刑されるわ」
「い、嫌よ……」
「ほら、このまま私の喉を掻き切りなさいよ。復讐したいんでしょう? 早くやりなさい。ほら、早く」
「やっ、やめてよ! 離してっ……!」
ダイアナが大粒の涙を浮かべて懇願する。
「あんた、頭おかしいんじゃないの! どうかしてるわ……!」
頭がおかしいのはそっちのほうだと思うものの、私も正常とは言い切れないので黙って聞き流す。
握っていた腕を離してやると、ダイアナは飛び退くようにして私から距離を取り、持っていたナイフをその場に投げ捨てた。
「もういい! もういいわよ! こんな狂った女がいるなら、もう近づかないわ! どうせ女当主の家なんてすぐ落ちぶれるに決まってる。そのうち、あんたもアリシアも惨めな人生を送ることになるわ。それまでせいぜい主従ごっこを楽しむことね!」
ダイアナはそう言い捨てて、薄暗い路地のほうへと走り去っていった。
私は地面に投げられたナイフを拾い、持っていたハンカチで包む。
──これでもうダイアナがアリシア様に近づくことはないだろう。
一瞬、私がこのナイフでダイアナを刺してしまうことも考えたが、それで万が一私が捕まってしまったら、アリシア様にご迷惑をお掛けすることになる。
だから、ああやってダイアナに脅しをかけることにした。
夫人の侍女だった頃はダイアナも悪魔のように見えていたが、よくよく向き合ってみれば、あの娘は大それたことなどできない小悪魔程度にしか過ぎなかった。
自分では何もできず、人に頼ってしか生きられないのに、碌な人間に恵まれず身を持ち崩す哀れな小悪魔。今逃げて行った路地と同じく、きっとこの先も暗い道を歩き続けることになるだろう。
「……まあ、同情なんてしないけど」
私は一つ溜め息をついた後、首元の血を手で拭い、アリシア様が待つ書店へと戻った。
また推理小説の棚にいらっしゃるだろうかと思いながら赴くと、案の定そこにはアリシア様がいらっしゃった。
「あ、マリア! ハンカチは見つかった?」
「ええ、無事に見つかりました、アリシア様」
「よかったですね、マリアさん。でも、アリシア嬢を一人で残していくのは感心しませんね」
可憐な笑顔を浮かべるアリシア様の隣には、なぜかセシル・エヴァンズ卿がいた。
「エヴァンズ卿はなぜここに……。まさかアリシア様の付きまといではありませんよね?」
「付きまといだなんて失礼な。今日は休日だったので本を買いに来たんですよ。そうしたら、ここでばったりアリシア嬢とお会いして……。少し運命を感じてしまいました」
エヴァンズ卿がアリシア様に微笑みかける。
アリシア様はぱっと頬を紅潮させて本当に愛らしいけれど、私は頭痛を覚えて頭を押さえる。
「マリア、もしかして頭が痛いの?」
お優しいアリシア様が、私を気遣うお言葉をかけてくれる。
「ええ、ちょっと……。高嶺の花に寄ってくる虫の駆除が悩ましくて……」
エヴァンズ卿をちらりと見やりながら言えば、彼は自信に満ちた顔で言い返してきた。
「僕は害虫ではなく益虫ですから」
なぜだか少しだけイラッとしてしまったが、虫だという自覚はあるようなのでよしとしよう。
そんな風に思っていると、今度はアリシア様が頬に手を当て、困ったように仰った。
「そんなに大変なのね。知らなかったわ……。それなら、園芸の本も探してみましょうか?」
純粋なアリシア様は、私の言葉を庭の花の手入れの話だと思われたらしい。的外れな返答がまた可愛らしい。
先ほどダイアナとのやり取りで冷えた心が、一気に温かさを取り戻す。
「……ええ、そうですね。園芸の本に解決策が書いてあるかもしれません。あ、そうですわ、エヴァンズ卿にはこれをお渡しします」
そう言って私は、エヴァンズ卿にハンカチで包んだ例のものを手渡す。
「何ですかこれは……ナイフ!?」
「さっき道端に落ちていたのを拾いました。危ないですし、落とした人が困っているかもしれないので、至急憲兵団の遺失物係に届けていただけますか?」
「これからアリシア嬢と一緒に本を探そうと思っていたのですが……」
「そんな物騒なものを持ったままアリシア様と一緒にいるおつもりですか? それに、アリシア様はこれから私と園芸の本を探しますので。今日はご都合が合わず誠に残念です申し訳ございません」
「まったく心がこもってない謝罪ですね」
「そんなことありませんわ。さあ、アリシア様、園芸の本を探しにまいりましょう」
「そ、そうね。セシル様、今日はごめんなさい」
「…………また今度お誘いします」
恨めしそうな目線を送ってくるエヴァンズ卿に背を向けて、私はアリシア様の滑らかな手を取る。
「アリシア様、綺麗な花がさらに美しく咲き誇れるよう、これからも全力を尽くします」
「ふふっ、頼もしいわ。どうもありがとう、マリア」
この笑顔を守るためなら、私は何だってしよう。
そう心に誓って、私はアリシア様に微笑み返した。




