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番外編(後編)


「強盗だ! 誰かそいつを捕まえてくれ!」

「うるせえ! 退け退け!」


 後ろを振り返ると、強盗犯と思われる男の人が、猛然とこちらへ向かって走ってきていた。右手にはナイフが見える。刃物を持った強盗犯なんて、一般人が捕まえられるはずもない。皆、すぐさま脇に避け、犯人に道を譲っている。


 私も早く逃げなくては。でも、恐怖で足が動かない。


(どうしよう……怖い……)


 硬直したまま震えていると、ふわりと体が浮くのを感じ、気がつけば近くの店の軒下に移動していた。


「あ……セシル様……?」

「すみません、少し待っていてください」


 そう言って、セシル様が犯人に向かって駆け出していく。


(そうだわ、セシル様は憲兵団の団長さんだから……。でも、駄目よ。怪我してしまう……!)


 セシル様は今、仕事帰りだから武器もないはず。それなのに、あんな刃物を持った相手に一人で立ち向かうなんて危険すぎる。


 ……そう思ったのだけれど、それは余計な心配だったことがすぐに分かった。


 セシル様は犯人に真正面から向かっていき、滅茶苦茶に振り回されるナイフの軌道を正確に読んで叩き落とすと、そのまま腕を捻り上げた。そうして犯人の体が浮き上がったかと思うと、次の瞬間には犯人はうつ伏せになって地面に沈んでいた。両腕とも背中で押さえ込まれ、完全に制圧されている。


「憲兵団を呼んでください」


 あまりの早業に周囲の誰もが呆気に取られていたけれど、セシル様の一声で我に返って動き出した。被害を受けた店の人も追いついて、セシル様に御礼を言う。


「あ、ありがとうございます……! 本当に助かりました……!」

「いえ、お怪我はありませんか? もうすぐ憲兵団が来るはずですから、被害の内容など伝えてください」


 やがて憲兵団の兵士たちが二人駆けつけ、セシル様を見て驚いていた。


「団長!? お帰りになっていたのでは……」

「ああ、大事な用事ができて街を歩いていたら、この強盗に出くわしたんだ。危険だから捕まえておいた」

「ありがとうございます! セシル団長に出くわすなんて、この強盗犯も運が悪かったですね。では、あとは我々が処理いたしますのでお任せください」

「ああ、頼んだ」


 セシル様は兵士たちに強盗犯を引き渡すと、走って私のところへと戻ってきた。


「お待たせしてすみません。まさか強盗が発生するとは……怖かったでしょう。もう捕まえたので安心してください」

「……」


 たしかに最初は怖かったのだが、セシル様による鮮やかな逮捕劇を目の当たりにして、私はすっかり興奮してしまった。


「す、すごかったです! あんなに簡単に捕まえてしまうなんて……。小説の主人公みたいでした……!」


 私の反応が意外だったのか、セシル様はぱちぱちと何度か瞬きしたあと、照れたように頬を赤らめた。


「……ありがとうございます。まさか、そんな風に言ってもらえるとは思いませんでした。でも、そういえばアリシア嬢は探偵小説がお好きなんでしたね」

「はい! まさに最近読んだ小説のワンシーンを思い出しました! ……あ、もちろん初めは怖かったですし、セシル様がお怪我をしないか心配だったのですが、セシル様があまりにもお強いので……。なんだか演劇を観たような気分になって興奮してしまいました。お恥ずかしいです……」

「ふふっ、アリシア嬢の恐怖が吹き飛んだのならよかったです」


 セシル様がおかしそうに笑う。


「でも、セシル様は日々こうして街の治安維持に努めてくださっているのですね。本当に素晴らしいです。いつもありがとうございます」

「いえ、それが職務ですから。……でも、貴女にそう言っていただけて嬉しいです。さらにやる気が湧いてきました」

「そ、それはよかったです……!」


 セシル様の笑顔が眩しい。


 彼が正義感があって優秀な方だというのは分かっていた。

 それに、優しくて思いやりがある人だということも。

 でも、あんなに強くて男らしい面もあるだなんて知らなかった。


 ついさっきまではセシル様を可愛いだなんて思っていたのに、今度はすごく格好よく見えてドキドキしてしまう。


「……アリシア嬢、よかったらお店に着くまで手を繋ぎませんか? いろいろ危ないですから」

「えっ、てっ、手ですか……?」


 突然の申し出に慌てて声が裏返る。

 セシル様の言うとおり手を繋いだほうがいいのか、でも恥ずかしいしどうしようと思いながらもたもたしていると、セシル様がさっと私の手を取って優しく握った。


「……なんて、すみません。本当は僕が手を繋ぎたいだけです」


 悪戯っぽく耳元でそんなことを言われた私が倒れなかったのは、たぶん奇跡だったと思う。



◇◇◇



「……ただいま、マリア」

「おかえりなさいませ、アリシア様──って、どうなさったのですか!?」


 セシル様に屋敷まで送っていただいたあと、部屋に戻ってきた私を見て、マリアが驚いたように目を見開く。


「なぜこんなに大量の茶葉を……」

「あ……茶葉は試飲させてもらったのだけど、なぜか味がよく分からなくて、とりあえず目新しいものを全部買っちゃったの……」

「なるほど、承知いたしました。ではこんなにお顔が真っ赤なのはどうなさったのですか? エヴァンズ卿に何かおかしなことでもされたのですか?」


 なぜか真っ先にセシル様を疑うマリア。

 たしかにそれは正しいのだけれど、たぶんマリアが考えているのとは違うと思う。


「……ええとね、マリア。セシル様はお店まで手を繋いで私を案内してくれただけよ」

「は……手を繋いだだけ?」


 マリアがまたもや驚いたように目を見張る。


 厳密に言えば、手を繋いだことだけでなく、前後にも色々と心臓に負荷のかかるようなことがあったのだけれど、もう何が何やら分からなくて言葉にならない。


 独房に入れられていたときは、どういうわけか自分から「手に触れてほしい」だなんて大胆なお願いをしてしまったけれど、あれはきっとセシル様のことをよく知らなかったから言えたのだ。


 あんなに素敵な方だと知った今では、もう無理に決まっている。


「はぁ……セシル様……」


 なんだかどっと疲れが押し寄せてきて、つい溜め息とともにセシル様のお名前を呼ぶと、マリアが額に手を当てるのが見えた。


「アリシア様は純粋すぎる……やはり私がお護りしなければ」


 何かを固く決意した様子のマリアをぼんやりと眺めたあと、私はセシル様と繋いだ右手をそっと頬に寄せて微笑んだのだった。



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