番外編(前編)
読者の方に感謝を込めて、番外編を書きました。
本編完結後のある日の出来事です。
「マリア、気をつけて帰ってね。手紙の件も頼んだわ」
「はい、戻り次第対応いたします。アリシア様もどうぞお気をつけて」
「マリアさん、安心してください。楽しく安全なデートにしますから」
王都の商店街の片隅で、私のすぐ隣に立つセシル様がにっこりと微笑む。
そんな彼の真向かいで、侍女のマリアは睨むように半目で見つめ返した。
「……勘違いしないでください。これはデートなどではなく、ただの買い出しです。くれぐれもアリシア様におかしな真似はなさらないように」
「マ、マリア、セシル様に失礼よ」
「はは、大丈夫ですよ。これくらい過保護な侍女がいてくれたほうが僕も安心ですから」
セシル様がマリアの鋭い眼差しを受け流して軽やかに笑う。
「では、そろそろ行きましょうか、アリシア嬢」
「あ、そうですね。じゃあマリア、行ってくるわ」
「行ってらっしゃいませ、アリシア様」
そうして、マリアは馬車に乗って伯爵邸へと戻り、私はセシル様と二人並んで歩き出した。
「それにしても、仕事終わりに偶然アリシア嬢に会えるとは」
「ええ、私もびっくりしました」
今日はマリアと二人で買い出しに来ていたのだけれど、そろそろ帰宅しようとしたところで一つ買い忘れに気づいて慌てていると、偶然、仕事帰りのセシル様が通りがかったのだった。
「マリアには急ぎでお願いしたいことがあったので、セシル様がご一緒してくださって助かります。お仕事帰りでお疲れのところ申し訳ないですが……」
「いえ、アリシア嬢と出かけられるなら、むしろ疲れも吹き飛びます」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
「うーん、本当のことなのですが。……ところで、珍しい紅茶を探していると仰ってましたが、何かあるのですか?」
「あ、はい。実は近々、ご令嬢方を招いてお茶会をしたいと考えているのですが、そのときに珍しい紅茶でおもてなしできたらと思いまして。新しいお店ができたことは知らなかったので、とても楽しみです」
さっきセシル様に出くわしたときに、紅茶の茶葉を買い忘れたことを伝えたら、最近王都に新しく紅茶専門店ができたことを教えてもらったのだった。セシル様が案内してくださるというので、お言葉に甘えて一緒にお店に向かっているところだ。
セシル様はお仕事で街を巡回されることもあるらしいので、お店のことにも詳しいのだろう。
もしかしたら、これまで私が街に出かけたとき、巡回中のセシル様とすれ違ったりすることもあったのかもしれない。
ふとそんなことを思ってセシル様にも言ってみると、セシル様は何事か迷うように沈黙した後、ためらいがちに話し出した。
「……実は、アリシア嬢のことは街で見かけたことがあります」
「えっ、そうなのですか?」
「はい。道ですれ違ったこともありますし、一言だけ会話したこともあるんですよ」
「ええっ!?」
まさか本当に、監獄に入る前からセシル様と出会っていて、しかも会話までしていただなんて。
自分で覚えていないのが、なんだか悔しい。
今だったら後ろ姿を見ただけでも、一言声を聞いただけでも、すぐにセシル様だと分かる自信があるのに。
「あの、セシル様とお話ししたのは、どういうきっかけで……? すみません、自分ではよく思い出せなくて……」
「ああ、アリシア嬢は覚えていないかもしれませんが、道に転がった林檎を拾っていたアリシア嬢に、僕も一つ拾って手渡したんです。そのときに『ありがとうございます』と言ってくれて……」
「あっ、あのときの……」
そうだ、思い出した。
たしか、買い物をしていたときに果物屋さんが林檎の入った箱をひっくり返してしまって、舗道に転がった林檎を拾うのをお手伝いしたことがあった。
そのときに憲兵団の制服を着た人が拾ってくれたのだったけれど、まさかそれがセシル様だったの?
あのときは早く林檎を集めなくてはと焦っていたし、制服の印象が強かったから、顔や声も覚えていなかった。
「……そんな大事な瞬間、私もちゃんと覚えていたかったです」
しょんぼりしながら呟くと、なぜかセシル様は辛そうに眉根を寄せ、片手で口元を押さえてしまった。
「セシル様……? どうかなさいましたか?」
「……いえ、アリシア嬢が愛らしいことを仰るから……」
「えっ」
よく見ると、セシル様のお顔が赤い。
(もしかして、照れていらっしゃるのかしら……)
目を伏せて顔を赤らめているセシル様が、なぜかとても可愛く思えて、胸がきゅうっとしてしまう。
(男の人に可愛いだなんて失礼かもしれないけど、でもやっぱり可愛い……)
高鳴る鼓動を抑えようと胸に手を当てようとした、そのとき。
突然、女性の叫び声が辺りに響き、私はびくりとして足を止めた。
続いて男性の怒声が聞こえる。
「強盗だ! 誰かそいつを捕まえてくれ!」




