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20. 新しい未来へ(エピローグ)


「今日はお越しくださってありがとうございます、セシル様」

「こちらこそ、お招きいただいてありがとうございます、アリシア嬢」


 無実が証明され、晴れて自由の身になってから二週間後。今日は、約束どおりセシル様を伯爵家にお招きし、これから二人でお茶をする予定だ。


 胸に手を添えて挨拶するセシル様に笑顔で応えながら、私は内心で深い溜め息をつく。


(制服姿ではないセシル様も、とても素敵だわ……)


 セシル様は実は伯爵家の三男でいらっしゃったらしく、今日は貴族令息らしい装いをしている。


 憲兵団の団長服もよく似合っていて凛々しいお姿だったけれど、今日のセシル様は上品で高貴な雰囲気があって、思わず見惚れてしまうほど美しい。


「……アリシア嬢」

「は、はい……!」


 セシル様に名前を呼ばれ、私はびくりと肩を揺らす。


 しまった。すぐお部屋にご案内すべきだったのに、あまりにも麗しかったから、つい見つめすぎてしまった。セシル様もきっと戸惑ったはず。


 ……そう思ったのだが、セシル様は私に案内を促すようなことはなく、柔らかな笑みを浮かべた。


「そのラベンダー色のドレス、アリシア嬢の雰囲気によく合っていますね。とても綺麗です」

「あ、ありがとうございます……。前にお会いしたときはボロボロの姿だったので、きちんと令嬢らしいところをセシル様にお見せしたかったのですが、そう仰ってもらえて嬉しいです」

「そんな、ボロボロだなんて……。心の美しい人は、どんな姿であっても見劣りしないものです。アリシア嬢もそうでしたよ」


 頑張って着飾った装いを褒めてもらえただけでも嬉しかったのに、あの監獄での姿さえもそんな風に言ってもらえるなんて。


 セシル様はどうしてこんなにも優しいのだろう。

 胸の中がじんわりと温かくなるのを感じる。


「ありがとうございます。……では、お部屋にご案内いたしますね」


 うっかり泣きそうになるのを堪えながら、セシル様を応接間へと案内する。新調したばかりのソファに向かい合って腰掛けると、セシル様がふと思いついたように言った。


「伯爵邸へは再捜査でお邪魔させていただいたのですが、内装の雰囲気が変わりましたか? 前よりも明るい印象になったような……」

「よくお気づきになりましたね。今、少しずつ屋敷の模様替えを進めていまして……」

「なるほど。事件の名残も払拭したいでしょうしね」

「ええ。でも、他にも理由があるんです。決意表明みたいなものと言いますか……」

「決意表明?」


 首を傾げるセシル様に、私はうなずいて答える。


「はい。実は、私がレミントン伯爵家の女当主になることにしたのです」

「アリシア嬢が、伯爵家の女当主に……?」


 セシル様が驚いて目を見開く。

 それはそうだろう。この国で貴族の女当主というのは非常に珍しい。


 国法で古くから認められていることなのだが、実際にはまだまだ男性優位の風潮が根強く、女当主の存在は歴史上でも数えるほどしかいない。


「……決して平坦な道ではないことは分かっています。事件のことで屋敷の中も混乱しています。私が当主になるのではなく、もっと人生経験のある親戚に爵位を譲るほうがずっと楽だったでしょう」


 ──そう、レミントン伯爵だった父の殺害と私の逮捕で戸惑っていた屋敷の使用人たちは、私が無実として釈放され、実は義母が犯人だったと発表されて、さらに混乱した。


 泥沼のような内情に嫌気が差したのだろう、退職希望者も続出しており、彼らの話を聞いて引き留めてみたり、新たな募集をかけたりと、すでに大忙しだ。


 もちろんその他の仕事も山積みで、執務経験のない私は父の秘書に教えを請いながら、毎日四苦八苦している。


「……でも、私がやってみたいと思ったのです。今まで、父の強引な物事の進め方や、義母や義妹の身勝手な振舞い、一部の使用人の陰湿な苛めを何とかしたいと思っても、私など相手にもしてもらえませんでした。それが、とても歯痒かった……。独房の中でも、自分の無力さを突きつけられ、私は理不尽な死さえもただ受け入れるしかできませんでした」


「アリシア嬢……」


「──ですが、そんな私をセシル様やマリアが助けてくれました。一度下された判決に抗って、私を檻の中から救い出してくれました。だから、私もセシル様やマリアのように、諦めずに立ち向かい、自分の力で何かを成し遂げられる、強い人間になりたいと思ったのです」


 私の決意に、セシル様の表情がぐっと真剣なものになる。


「……貴女は凄いですね。清らかで優しいだけでなく、とても強い心をお持ちだ。本当に尊敬します」

「いえ、そんな……。大きなことを言いましたが、まだまだ未熟です」


 そう、まだ始まったばかりで、尊敬されるようなことなんて何もない。


 セシル様の言葉が勿体なさすぎて、ふるふるとかぶりを振ると、セシル様はどこか熱のこもったような眼差しで私を見つめた。


「これからアリシア嬢の歩む道が少しでも楽なものになるよう、僕が支えて差し上げたいと思うのは傲慢でしょうか?」

「え……?」

「独房にいたとき、石壁を隔てなければならない関係をもどかしく思っていました。でも、貴女が独房から出られたいま、今度は貴女のすぐ隣で、貴女の身も心も守って差し上げたいのです」


 セシル様の熱情を秘めた眼差しと、甘く切実な声に、私の心臓は今にも弾けてしまいそうなくらいに早鐘を打っている。


(もしかしてこれは、愛の告白……?)


「あの、セシル様──」


 私が返事をしようと呼びかけたとき、コンコンとノックの音が聞こえてきた。


「アリシア様、紅茶とお茶菓子をお持ちいたしました」

「えっ、あ、ありがとう。お出ししてちょうだい……!」


 すぐに扉が開いて、マリアがティーセットの載ったトレーを片手に入室してくる。


 そういえば、お茶を運んでくるのがずいぶん遅かったけれど、まさかこのタイミングで来るとは……。


 もし今の会話を聞かれていたら恥ずかしいわ、なんて思っていると、セシル様がマリアににこやかに笑いかけた。


「マリアさん、お久しぶりですね」

「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」

「いえ、こちらこそ。ところで、今のタイミングはわざとでしょう?」

「何のことだか……」

「事件のことで借りがありますから今回は大目に見ますが、次はないと思ってください」

「事件のことでは感謝しておりますが、それとアリシア様との今後のお付き合いを許すかは別物だとお考えください」

「ふっ、ご自分にそんな権限があるとでも?」

「ふふ、アリシア様の侍女として、女神の隣に相応しい相手を見定めるのも大事な役目です」


 ……なぜだろう。

 セシル様とマリアの間に、激しい火花が飛び散っているような気がする。


 訳が分からず狼狽えていると、いつのまにか真横に立っていたセシル様が私の手を取って微笑んだ。


「ではアリシア嬢。貴女の忠実なる侍女に認めてもらえるよう、これから全力でいきますので覚悟なさってくださいね」

「は、はい……っ!?」


 覚悟とは一体……。

 よく分からないけれど、セシル様のような有能な方が全力を出したら、なんだかとんでもないことになってしまう気がする。


 甘く蕩ける蜂蜜のような瞳を楽しそうに細めるセシル様を、私は頬を染めて見上げる。


(当主の仕事に、セシル様とのことに……これからどんな日々が始まるのかしら)


 目の前に広がる輝かしい可能性に思いを馳せながら、私はたくさんの期待に胸を高鳴らせるのだった。





最後までお読みくださって、ありがとうございました!

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