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19. 独房との別れ


『それで、こうして証言しに来てくれたんですね』


 僕は手帳の上にペンを置き、侍女に問いかける。侍女はすっかり冷めてしまっただろう紅茶に口をつけ、静かにうなずいた。

 

『はい。ただ決心した途端、私の態度を不審に思ったのか、奥様の監視が厳しくなってしまい……。これ以上邪魔をするなら殴り倒してでも出かけようと思っていたのですが、なんとか隙ができて助かりました』

『それは何よりでした。あなたの証言も、この証拠のドレスも、アリシア嬢の助けとなるはずです』

『お役に立てそうでよかったです。セシル様、どうかアリシアお嬢様を救って差し上げてください』

『……ええ、もちろんです。あとは任せてください。必ず救ってみせます』




 侍女に固く約束した後、僕は部下に侍女を伯爵家まで送らせ、新たな証言と証拠に関する書類を徹夜で書き上げた。


 夜が明け、爽やかな朝が訪れると、関係各所を回ってアリシア嬢の冤罪と真犯人について立証した。


 中には、なかなか話を聞こうとしないとしない者もいたが、「貴殿について、金銭にまつわる不審な噂をいくつか耳にしているのですが……」と水を向けると、すぐに謝って冤罪を認めてくれた。


 そうやって一日中駆けずり回った翌日の朝。ついに、正式にアリシア嬢の無罪および釈放、そしてキャロル伯爵夫人の逮捕が決まったのだった。



◇◇◇



「──というわけで、貴女は晴れて自由の身です。大々的な発表もされる予定なので、名誉も回復するでしょう。キャロル夫人は死罪となり、娘のダイアナも平民に戻ることになるはずです」


 セシル様がどこか晴れやかな表情で微笑む。

 私が釈放された経緯など、これまでのさまざまなことを説明してもらったが、驚くことが多すぎて、しばらく言葉を発することができなかった。


「まさかセシル様がそんなに尽力してくださったなんて……。いくら御礼を言っても言い足りません。本当にありがとうございます」

「……いえ、僕は当然のことをしたまでです」

「当然だなんてことありません。誰も私のことを信じてくれなかった中で、セシル様だけが私を信じて助けてくださった……。奇跡のような出来事です」


 独房の中で一緒にお喋りをして、私の支えになってくれただけでなく、独房の外でも私を助けるために個人で再捜査までしてくださっていたなんて。

 この人は、どこまで私の心を揺さぶる気なのだろう。


 自然と潤んでしまう瞳でセシル様を見つめると、彼は少しはにかんだように顔を逸らした。


「貴女は、そんなことをするような人ではないと思ったのです。……でも今回、僕の力だけでは不十分でした。貴女の冤罪を証明できたのは、マリア・オルセンの協力のおかげです」


 セシル様が、私のもう一人の命の恩人の名前を出す。

 マリア・オルセン──お義母様の侍女だった女性。


 さっきもセシル様からの説明で、マリアが事件の証拠を届け、真犯人の目撃証言をしてくれたのだと知ったが、嬉しかった反面、とても驚いてしまった。


「私はマリアが辛い思いをしているのに少しも助けてあげられなかったのに……。おまけに余計な罪悪感まで持たせてしまったことがあるので、嫌われているかと思っていました。でも、私を助けてくれたんですね……」


 もしかすると、私を助けたいというより、お義母様から逃れたいという意図だったのかもしれないけれど。


 そう思った私に、セシル様が告げる。


「あの侍女は、貴女のことを心から慕っているようでしたよ」

「え……マリアが?」

「はい。そもそも彼女が協力してくれたのは、冤罪をかけられたのがアリシア嬢だったからでしょう。つまり、貴女の他者を思いやる心が、巡り巡って貴女自身を救ったのです」


 セシル様からの思いがけない言葉に、私は驚く。


 街の人を手伝ったときなど、「ご親切にどうも」だとか「優しいお嬢さん、ありがとう」などと言われることが多かった。


 そう言ってもらえるのは嬉しかったけれど、私はただ優しいだけで何の力も持たない自分が恥ずかしかった。


 でも、無力だと思っていた私が、マリアの心を動かせたのだとしたら……。


(……私、もう少しだけ自分に自信が持てそうだわ)


 きゅっとスカートを握りしめる私に、セシル様が微笑む。


「──さて、一通り説明も終わりましたから、そろそろ伯爵邸にお送りします。美味しい食事をとって、温かいベッドでゆっくり休んでください」

「……ありがとうございます。そうさせていただきますね。あの、それと……」


 労りの言葉をかけてくれるセシル様に御礼を言った後、私は彼の綺麗な琥珀色の瞳をじっと見つめる。


「また改めて御礼に伺ってもいいですか?」

「え……いえ、そもそも冤罪だったのを見抜けずに収監してしまったのですから、御礼なんて受け取る資格はありません。それに、貴女にまたこんな場所まで来ていただくわけには……」


 セシル様が迷うような表情を見せながら、やんわりと断る。


 きっと、私を気遣ってのことなのだろうけど、ここで引き下がるわけにはいかない。これで、セシル様とのつながりを終わりにしたくはなかった。


「では、憲兵団の団長としてではなく、セシル様個人として、屋敷にお招きして御礼をさせていただけませんか? セシル様が勤務時間外にいろいろ動いてくださったことに報いたいのです。私を恩人に何の礼も尽くさない礼儀知らずにはしないでください」


 そう必死に訴えれば、セシル様は驚いたように瞬いた。そして少し照れくさそうに微笑む。


「……実は僕も、これから貴女とお話しできなくなるのは寂しいと思っていたのです。ですから、またお会いできれば嬉しいです。もちろん、すぐでなくて構いません。貴女の体調が落ち着いた頃にお呼びいただければ」


 まさかセシル様も、あの独房でのひと時を名残惜しいと思ってくれていたなんて。ふわふわと浮き足立つような気持ちになってしまう。


「は、はい……では、いろいろ落ち着きましたらご招待しますので……」


 ああ、きっと今、私の顔は林檎のように真っ赤になっている。そしてそれが移ったのか、セシル様も耳の端が赤い。


「……ありがとうございます。では、馬車までお送りします」

「ええ、ありがとうございます……」


 赤らんだ顔を隠したくてうつむく私に、セシル様が手を差し伸べる。うつむいたままそっと手を重ねると、いつかの夜、セシル様に向かって「手に触れさせてほしい」とお願いしたことを思い出して、また別の羞恥が押し寄せてきた。

 

(あのときの私ったら、なんてはしたないことを……!)


 今、セシル様と重ねた手も熱を帯びているような気がする。


 後日、屋敷にセシル様を招待するときは、ちゃんと身嗜みも整えて、淑女らしく落ち着いた姿をお見せしなくては。


 そう固く決意して、私は林檎のような顔のまま、セシル様のエスコートで馬車へと向かったのだった。



明日エピローグです。

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