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17. 地獄の中で(1)


 翌日になってみると、なぜかアリシアお嬢様が犯人だということになっていた。お嬢様の部屋から凶器も見つかったらしい。


 私は驚いた。アリシアお嬢様はまったくの無関係なのに、なぜそんなことになっているのか。


 奥様の様子を窺うと、憲兵団の人から話を聞かれていた。白々しく泣きながら、もっともらしい嘘ばかり話す姿に嫌悪を感じる。


(なんてこと……。私がちゃんと事実を言わなければ……)


 このままでは、本当にアリシアお嬢様が犯人にされてしまう。


(でも……)


 私の話など、信じてもらえるだろうか。

 逆に犯人や共犯者扱いされたらと思うと恐ろしい。


 それに、もし私の話を信じてもらえず、奥様が捕まらなければ、絶対に報復されるだろう。奥様が捕まったら捕まったで、今度はダイアナお嬢様が逆恨みで何をしてくるか分からない。


 結局、踏ん切りがつかないまま、忙しなさそうにしている人々を呆然と眺めているうちに、アリシアお嬢様は逮捕されてしまった。


(私が言わなかったせいだ……)


 本当の犯人は奥様なのだと私が言わなかったせいで、アリシアお嬢様は濡れ衣を着せられたまま捕まってしまった。


 ……でも、仕方なかったのだ。

 真実を明かせば、私が危険な目に遭うかもしれない。


 侍女は主人の所有物。すべてが主人の気分次第なのだ。


 おぞましく愛でられたかと思えば、嬉々として罵られる。

 場合によっては命さえ奪われてしまうかもしれない。


 だから、仕方なかったのだ。

 自分の身を守るために、口をつぐむしかなかった。


 大丈夫、裁判もあるはずだし、誰かがなんとかしてくれるだろう。


 私ではない誰かが。きっと。


(ごめんなさい、アリシアお嬢様──……)




『奥様、軽食をお持ちしました──あっ……』


 まだ朝食を食べていなかった奥様とお嬢様に軽食を出す際、ぼうっとしていたせいか、うっかり手を滑らせて落としてしまった。


 ガチャンと食器が割れ、パンやらベーコンやらが床に散らばる。そしてすぐさま奥様の平手打ちが飛んできた。一緒にいたダイアナお嬢様からも大袈裟な溜め息をつかれる。


『この役立たず! 早く片付けなさい!』

『もう最悪〜、早く食事にしたかったのに。さっさと新しいのを持ってきてちょうだい』

『……大変申し訳ございません。すぐに新しい食事をお持ちして、落としたものも片付けます』


 奥様の暴力もダイアナお嬢様の悪態もいつものことだ。頬の痛みを我慢して厨房へと急ぐと、料理長からも嫌味を言われてしまった。


『まったく、忙しいのに余計な仕事を増やすなよ』

『申し訳ありません。何かお手伝いできることがあれば……』

『なら、片付けついでにそこのごみを焼却炉で燃やしてこい』


 料理長が指差した先には、野菜くずなどがぎっしり詰まった袋が置かれていた。見るからに重量がありそうだし、腐ったものでも入っているのか妙に臭う。


『それくらいなら、グズのお前にもできるだろ』

『……はい、分かりました』


 他の料理人たちの笑い声が聞こえる。

 これも、いつものことだ。


 奥様やダイアナお嬢様が私に暴力や暴言を浴びせるせいで、使用人たちからも同じように扱われるようになってしまった。


 悪魔のような主人に、浅ましい使用人たち。

 この屋敷は地獄だ。


 でも、身寄りもお金もない私は、この地獄から抜け出しても、また別の地獄が待っているだけだろう。


 私は料理長から新しい食事を受け取って奥様とダイアナお嬢様にお出しした後、先ほど落としてしまった料理と割れた皿を片付ける。それから厨房に戻って、ずっしりとしたごみの袋を運び出した。


 焼却炉までは少し距離がある。袋が重くて腕が辛いが、人気のない場所を歩いていると心が軽くなるのを感じる。


(このまま、戻りたくない……)


 とはいえ、早く戻らなければまた料理長や奥様から叱責されてしまう。私は歩く足を速めて焼却炉へと向かった。


 ようやく到着し、重い焼却炉の蓋を開ける。昨日からのごみも入っていたので、少し脇にどけようと手を入れたとき、そのごみに何となく見覚えを感じて手が止まった。


 そうして、なぜだか分からないけれど、私の手はそのごみを炉から引っ張り出してしまった。


(なんだろう、どこかで見た気がする……)


 ごみを漁るなんてまずいことだと思うが、これを燃やしてはならないような気がして仕方なかった。


 震える手で袋を開け、中身を取り出す。


『これは……』


 何が入っていたのか分かった途端、心臓がばくばくと音を立てた。

 

 昨晩、奥様が書斎に入る前に着ていたワインレッドのドレス。そのドレスの表面には、血の痕が付いていた。


『……っ!』


 私はドレスを袋の中に戻した。そしてドレスの袋は手元に残したまま、厨房のごみだけを焼却炉に入れて火をつける。


 煙突からもくもくと煙が上がるのを見届けると、私は急いで使用人棟の個室へと向かった。


 部屋の小さなクローゼットを勢いよく開けて、ドレスが入った袋を押し込む。


 そこまでしたところで、急に足の力が抜け、私はその場にへたり込んだ。


 ああ、これは証拠だ。

 伯爵を殺した犯人が奥様だという証拠だ。


 奥様は焼却炉に入れておけば、誰にも知られず燃やされて、証拠を隠滅できると思ったのだろう。


 だが、私が見つけてしまった。


(私は、どうすれば──……)





『おい、たかだかごみを燃やすくらいで時間がかかり過ぎだ。本当にグズだな』

『……申し訳ありません』


『ちょっと、どこに行ってたの? お前ってまったく使えないわね』

『……申し訳ございません』


 一度、使用人棟に行ったことで時間がかかり、料理長にも奥様にも叱られてしまった。私はいつものように頭を下げて謝罪する。


 本当に、こんな生活にはうんざりする。

 すべてを捨てて逃げてしまいたいが、結局そんな勇気は出せず、この地獄に残り続けてしまう。


 いつもいつも、その繰り返し。

 だから、せっかく証拠を見つけたのに、憲兵団に申し出る勇気も出せなかった。




 ──そうして何もしないまま、怒鳴られ、打たれる日々を過ごしていたある日。奥様とダイアナお嬢様の会話が聞こえてきた。


『お母様、裁判ってあっという間に終わるのね。拍子抜けしたわ』

『そうね、でもさっさと終わってくれたほうが助かるじゃない』

『たしかに。アリシアが犯人なのは明らかなんだから、長々とやっても時間の無駄だものね』

『その通りよ。あとは七日待てばすべて終わり』

『ふふっ、死罪が決まったときのアリシアの顔は見ものだったわ。それに、公開処刑なんて初めてだからワクワクしちゃう』

『待ち遠しいわね』


 悪魔二人の恐ろしい会話に、私は愕然とした。


(アリシアお嬢様が死罪……? 公開処刑……?)


 体中ががたがたと震え出す。

 裁判で誰かが助けてくれるはずだなんて、ただの都合のいい願望でしかなかった。


 こんな腐った世界で、正義が正しく行われるわけがなかったのだ。


 この世界に、神なんていない。いるのは悪魔ばかりなのに。



(どうしよう、私のせいだ。ごめんなさい、ごめんなさい──……)


 そのとき、ふとアリシアお嬢様の声が聞こえた気がした。



《──謝らないで。あなたは悪くないんだから》




本日お昼頃にもう1話更新します。

(長かったので前半・後半に分けました)

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