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12. 確信


 伯爵家を出たところで、僕は立ち止まって静かに息を吐いた。


 先ほど夫人に言った書類の不備だとか、処刑ができなくなる可能性だとかの話は、もちろん真っ赤な嘘だ。屋敷の人間に怪しまれずに部屋を確認できるよう、それらしいことを言ってみたのだった。


 そして今、現場を見て確信した。

 

(……やはり、アリシア嬢は犯人ではない)


 彼女は潔白だ。

 そもそも、事件の報告書を読んだときからおかしいと思ったのだ。


 凶器は書斎にあったペーパーナイフで、一見、咄嗟の犯行であるように思われたが、それをわざわざ部屋に隠したことが不可解だった。伯爵以外に誰が使ったかなど明らかにする術はないのだから、その場に投げ捨てておけばいいのだ。


 それを自室に持ち帰り、空っぽの引き出しの中という安易な場所にそのまま仕舞ったばかりに、犯行の動かぬ証拠となってしまった。


 百歩譲って、殺人を犯したために気が動転してしまい、凶器を持ち帰ったということもあるかもしれない。引き出しに隠す際、布に包んだりもせず剥き出しのままだったのも、同じ理由だとしよう。


 ただ、それでも、状況がおかしいことに変わりはなかった。


 まず、凶器には全体に血が付着していたと報告書には書かれていたのに、先ほど凶器の隠し場所であった机の引き出しを確認してみたところ、そこには何もなかった──血痕の一つさえも。


 血塗れの凶器をそのまま置いたなら木製の引き出しの内側には多少なりとも血の跡が付いてしまうはずだ。しかし、それがなかったということはつまり、凶器が引き出しに仕舞われたのは、付着した血が乾いてからだということだ。


 犯人というものは通常、犯行後すぐに現場から離れようとするものだ。血が乾いてしまうまで長々と犯行現場に留まることは考えにくい。


 では、なぜ凶器に付着した血は乾いていたのか。特に、凶器のペーパーナイフは凝った彫刻が施され、その凹凸のせいで溜まった血が乾きにくそうだったのに。


 血痕といえば、さらに、犯行現場の書斎は絨毯や壁紙を張り替えるほど血飛沫が飛んだというが、アリシア嬢の部屋の絨毯には血の染みなど少しもできていなかった。


 彼女が犯人だというなら、突発的に伯爵を刺した瞬間、酷い返り血を浴びたはずだ。計画的な犯行ではないから、着替えもなく、血塗れのまま自室に戻るしかない。


 部屋に戻って着替えれば、その際どこかしらに血の染みが残ってしまうと考えられるが、実際の部屋にはそんな痕は一つも見つからなかった。


 もっと言えば、報告書どおり廊下にも血痕が残っていなかったことだって不自然極まりない。


 これらを照らし合わせてみると、伯爵殺し自体は余計な証拠を残さないよう用意周到に行われ、証拠となる凶器だけをわざと見つかりやすいようアリシア嬢の部屋の机に隠したものと考えられる。


 つまり、彼女は伯爵殺しの濡れ衣を着せられただけで、真犯人は別にいるということだ。


(そして、その犯人はおそらく……)


 ある人物の顔を思い浮かべたところで、不意に誰かから呼び止められた。


『──あの、憲兵団の団長様ですよね?』

『はい、そうですが。何かありましたか?』


 彼女はたしか先ほど夫人のそばについていた侍女だ。もしかすると、何か重要な証言でもしてくれるのだろうか。


『実はお話ししたいことが……』


 期待どおり彼女が何か言いかけたとき、ヒステリックに咎めるような声が聞こえてきた。


『お前! こんなところで何しているの!? 早く屋敷に戻りなさい!』

『奥様……』


 振り向くとそこには伯爵夫人がいた。

 さっき屋敷に戻ったと思ったのに、どこかから監視でもしていたか。


 ちょうど間の悪い登場に、思わず溜め息が漏れた。

 侍女は黙ったまま夫人を見つめている。


『夫人、すみません。彼女は僕が落としたペンを拾って届けてくれただけです。親切にありがとうございました』

『いえ……』


 侍女に嘘の礼を伝え、屋敷に戻らせる。


『では夫人、これで本当に失礼しますね』

『ええ、空模様も怪しくなってきましたし、寄り道せず戻られたほうがよろしいかと思いますわ』


 そうして僕は、背中に夫人の刺すような視線を感じたまま、今度こそ屋敷を後にしたのだった。



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