11. 再捜査
二日目の夜は、彼女に毛糸の靴下を差し入れてみた。
昼間、自宅で仮眠を取って出勤する際、街で探して買ってきたものだった。
石造りの床の上を裸足で過ごすのは冷えるだろうし、足に傷でも付いたら可哀想だ。
そう思って渡したのだが、彼女も喜んでくれているように感じた。
食事に林檎が付いていたことにも反応してもらえ、思わず頬が緩んだ。
靴下も林檎も取るに足りないことだが、彼女の心の安寧に少しは役立てているかと思うと嬉しい。
ただ、靴下を差し入れたことで、僕が何者なのか彼女が気にしてしまったようだった。
『詳しくは言えませんが、僕は死刑囚というわけではないんです。この独房に入っているのは、違う理由があって……』
なんとなく訳ありで、この監獄に慣れた人間なのだと匂わせるように誤魔化してみる。
優しい彼女は、僕相手にも気遣うような素振りを見せて、言いづらいのなら言わなくても大丈夫だと言ってくれた。
なぜだろう。
こんな風に壁越しに話をしているのは、彼女の不安をなくしてあげたいからだったはずなのに、彼女と会話していると、自分のほうが満たされていくような気持ちになる。
そうしてこの日の夜もゆっくりと穏やかに語り合い、頃合いを見計らって就寝の挨拶をし、夜番に戻る。
少し名残惜しい気もするが、これからやらなければならないことがある。
日中また彼女の事件に関する書類を確認していたが、いくつか気になる点があった。
もう少し詳しく調べ、明日には現地も見てみたい。
これは完全に私的な捜査だから、勤務時間に行うわけにはいかないものだ。
かと言って休暇を取ると、彼女のそばにいられる理由がなくなってしまうから、なんとか上手く時間を作るしかない。
とりあえずは睡眠や食事の時間を減らせばいいだろう。そんなことよりも再捜査のほうが重要だ。
彼女が犯人だとはどうしても思えないし、何もしなければ彼女はこのまま絞首台に立つことになる。
そんな結末は、とても受け入れられなかった。
夜が明け、見張りを交代して詰所で少し仮眠を取った後、僕は一旦帰宅すると偽って外出し、伯爵殺人事件の現場──彼女の実家へと向かった。
憲兵団の団長だと名乗ると、すぐに中へ通されて伯爵夫人が姿を現した。
『一体どのようなご用件でしょう?』
『突然申し訳ありません。数日後に令嬢の処刑が執行される予定ですが、必要な書類の記入に一部漏れがありまして。現場を改めて見させていただきたいのですが』
『それって、絶対に必要なことなのかしら?』
どうやら伯爵夫人からはあまり歓迎されていないように感じる。
『そうですね。最悪、処刑が執行できなくなるかもしれません』
『そんな……困りますわ』
『こちらの不手際で申し訳ありません。書類の記入漏れを埋めれば、問題なく執行できますから』
『……分かりました。主人が亡くなっていた部屋にご案内すればよろしいのかしら?』
『はい。あと、凶器が見つかった令嬢の部屋も』
『…………はぁ、分かりましたわ』
そうして、まずは殺害現場となった部屋へと通された。
侍女にでも案内してもらえればよいと伝えたのだが、夫人は丁度することもないので、と自ら案内役を買って出た。
『こちらが主人の書斎ですわ』
『……室内をだいぶ片付けられたのですね』
『ええ、血飛沫が酷かったので絨毯も壁紙も張り替えましたわ』
『こうして見ると、まるで事件なんてなかったかのようです』
『……でも、たしかに主人はここで殺されたのですわ。実の娘にね』
『心中お察しいたします』
僕はポケットから書類を取り出し、書斎の机の上でさらさらと何行か書き記した。
『では、次に凶器が発見された部屋を見せていただけますか?』
『……ええ、分かりました』
階段をのぼって連れて行かれたのは、二階の端の部屋だった。
『こちらが凶器を隠していた娘の部屋ですわ』
夫人が部屋の扉を開ける。
令嬢の部屋に本人に無断で上がり込むなんて紳士的な行動ではないが、捜査のためには仕方ないので、心の中で謝罪しつつ足を踏み入れる。
『伯爵令嬢の部屋のわりには、あまり広くないのですね。調度品も質素といいますか……』
『あの子は贅沢を好みませんでしたので』
『なるほど。こちらの部屋も壁紙など交換されたのですか?』
『まさか。ここはもう物置き部屋にでもしようと思っているので、そのままですわ』
『物置き部屋に、ですか……』
そう呟きながら、がらんとした室内を見渡した僕は、うっかり床に書類をばら撒いてしまった。
『あ、失礼しました。すぐに拾いますので……。あれ、順番はどうだったかな? こっちの書類が先だったか?』
床にしゃがみ込んで、もたもたしている僕の背中に、夫人の苛立ったような視線を感じる。
けれど夫人のために急ぐことはせず、僕はゆっくりと一枚ずつ書類を拾い集めた。
『お待たせしてすみません。これから残りの書類に記入しますね』
窓際に置かれた机に移動して書類を広げる。
『ああ、この机の空っぽの引き出しに凶器が剥き出しで仕舞われていたんでしたね。どれどれ……うーん、特に何もないですね』
引き出しを開けて首を捻る僕に、夫人が刺々しく返事する。
『何もあるわけありませんわ。早く書類を書いてくださらない?』
『すみません、今書きますね』
机に書類を広げて、またつらつらと文字列を記入する。
『はい、書き終わりました』
『ではもう我が家に用はありませんね?』
『ええ、ご協力ありがとうございました』
夫人は僕を早く屋敷から追い出したい様子で、足早に外のポーチまで見送りに出てくれた。
『処刑に支障が出ないようお願いしますわね』
『承知しました』
『では、ご機嫌よう』
『それでは失礼いたします』
僕は夫人に一礼し、伯爵家の門を出た。