炬燵の中に足が
冷えた足を炬燵に入れた。
途端に土踏まずにじんわりと赤外線の熱が当たり、ふくらはぎから膝にじわじわと上がって来る温められた血液。
ホッと息を吐いた。
日本人で良かったと思う瞬間だ。
仕事の疲れも悩みも溶けていく。
俺は炬燵布団を肩まで被り、とっぷりと温かさを味わった。
横からにゅっと伸びてきた足に、足首をつつかれる。
細く、か弱い足指の感覚。
「ああ、ぶつかっちゃった。ごめん」
女性の足独特の華奢さに、ふいに愛おしさがこみ上げた。
だいぶ冷えてる。
台所仕事でもしてたのかな。
俺は、エヘヘと苦笑いしながら足を数センチ横に避けた。
ミカンミカンと小さく口にしながらテーブルに手を伸ばす。
そこで俺の動作は止まった。
俺は、一人暮らしのはずだ。
恋人も嫁もいない。
心臓がバクバクと音を立てた。
怖くて足の伸びてきた方向が見られない。
炬燵から足を出したいが、動いたら何かされそうで足を動かせない。
取りあえず点けてみたテレビでは、年始の特別企画とやらの映画が放送されていた。
足の無い白装束の幽霊が侍を追いかけ回している。
あの無い足がこちらに来てるとか。
いやいやそんな訳はない。
ふいに、ガヤガヤと大勢の人の声が聞こえた気がした。
どこから聞こえているのかと、顔の角度を変えながら耳を澄ましたが、よく分からない。
炬燵の中からのような気がして、炬燵布団に視線を戻した瞬間だった。
どかどか、ごちゃごちゃ、そんな音を立てそうな勢いで、大勢の足が炬燵の中の俺の足を蹴った。
ひええ、と声にならない声を上げて、俺は全身を硬直させる。
今度は老若男女いろいろな足があるようだった。
つるつるすべすべの細い足から、脛毛だらけのゴツい足、骨の弱ったような干からびた感触の足まである。
ど、どうすればいい。俺はブラウン系の安い炬燵布団をじっと見た。
取りあえずテーブルの上のミカンを取ってみた。
ゆっくりと皮を剥く。
酸っぱい香りが鼻の奥を突いて、刺激で鼻水が出た。
一度鼻をかんでから、またゆっくりと皮を剥き始める。
馬の形に皮を剥き、おお、今日は上手くいったわあと一人で喜んでみる。
ミカンの白い筋を綺麗にひとつひとつ取り、口に頬ばる。
甘酸っぱい果汁が火照りかけていた口の中に広がる。
テレビの映画を眺めながら、時間をかけミカンを食べ切った。
だが炬燵の中の足はそのままだった。
現実逃避作戦は失敗か。
俺は次の現実逃避の材料を探すため部屋中を見回した。
ミカンの下敷きにしたチラシが目に入る。
会社の帰りに道端で配られていたものだ。
妖怪のコスプレをした女の子が配っていた。足マッサージか何かの出張サービスらしい。
片手を伸ばし、チラシを取る。ゴロンゴロンとミカンが炬燵の反対側に落ちたが、この体勢では拾いに立てない。
待てよ。もしかして、反対側にミカンを転がしたまま、俺はここで訳の分からん大勢の足のせいで命を奪われるのではないか。
そして死因不明の遺体として発見され、反対側のミカンは謎を解く鍵として黴が生えでも保管され、ワイドショーで「謎の温州ミカン」として報道され……。
ああ、大家さん、ごめんなさい。あなたの財産を事故物件にしてしまうかもしれません。
俺は、何やら唐突に悲壮な気分になり、チラシの裏に遺書を書き出した。
お父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください。
これが届く頃には、僕は、炬燵の謎の足たちに命を奪われているでしょう。
ミカンは関係ありません。テレビの印象操作には騙されないでください。
犯人は謎の足です。
大家さんにもそうお伝えください。
最後に名前を書く。
ハンコ、ハンコとか要るのか、こういうの。遺書とか考えたこともないから書き方分からん。
俺は炬燵の周辺を見回しハンコを探した。
そのときだった。
お前の足はどれ
炬燵の中から問われた。
老若男女の判別の付けにくい、細い音声だった。
「こここ、これです」
俺は炬燵布団越しに、自分の足の辺りを指した。
「?」という感情が炬燵の中から伝わる。
見える訳ではないが、明らかにそんな空気を感じた。
「ここここここ、これです」
俺は自分の十本の足指を折ったり伸ばしたり、手で言えばグーパーのように何度も動かした。
足先に、温かい手が触れた。
慣れた手付きで足裏のツボを次々指押ししていく。
優しい感じで足首を片方ずつクイクイっと動かし、ふくらはぎを程良い強さで揉んでくれた後、また足裏に戻る。
普段使わず固くなった筋肉部分を揉みほぐし、血流の悪くなった所をじんわり温める。
俺は、ほうっと長い息を吐いた。
めちゃくちゃ気持ちいいぃぃぃ。
何か知らんが、このまま息絶えるなら幸せかも知れない。
仕事の疲れがすっかり取れていく。
天国を漂っているような感覚だ。
毎度。またの利用、待つ。
その声にふっと現実に引き戻された。
炬燵の中の大勢の足は、その後一本ずつ引いて行った。
マッサージの終わった足から帰って行くのか。何となくそんなことを思った。
テレビの映画はとっくに終わり、家庭用の足湯器具を宣伝する番組が始まっている。
暫くしてから俺は思い切って炬燵の中を見た。
自分の足以外何もなかった。
ホッとしたら不意におでんが食べたくなった。
近くのコンビニに行こうかと財布の中身を見る。
ニ千五百円ほど消えていた。
終