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刃渡り15センチの青  作者: 河合
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第1章

 高校二年の夏。

 夢と現実の狭間で聴きなれない音楽が鳴り続いていた。

 発信源は、枕元に置いてある携帯電話のようだ。

 意識を現実に浮上させ、二つ折りのそれに手を伸ばしてもよいが、まだしばらくは休日の朝の眠気に揺られていたい。

 無視することに決め、夢の中に再び潜ろうとしたが、なかなか鳴り止まないポップな音楽が邪魔をする。くそ、うるさいな。

 仕方なく手探りでそれを開き、まどろんだ目で画面を見た。

『着信 出ないと殺す』

 液晶の安っぽいバックライトが目に刺さり、顔をしかめる。

 きっと、寝ぼけているのだろう。僕には、こんな暴力の権化のような知人はいない。そもそも僕に電話を掛けるのは祖母くらいだ。

 通話拒否を示す受話器のマークを押し、枕に顔を突っ伏した。

 その数秒後、再び僕の睡眠を妨害する陽気なメロディが、まだ手に握っていた携帯電話から鳴り始める。

 顔を伏せたまま、左手で頭を雑に掻いた。

 電源を消そうか迷ったが、一度文句をつけてやろうと起き上がり、宙に浮いた受話器のマークを強く押し込む。

「……もしも」

「おっそい! もっと早く出ろ!」

 僕のイラつきを押し流すほどの怒号が激しく鼓膜を揺らした。聞き覚えのある透き通った声が、寝起きの脳内に響く。

 そういえばと祖父母以外に僕の電話番号を知る人間が一人いたことを思い出す。

 ただそれは、恐喝じみた方法で奪われた個人情報であり、そもそも連絡が来るなんて思ってもいなかった。

「出ないと殺すなんて名前を見たら誰だって躊躇するだろ。それで何か用?」

「そうでもしないと無視したでしょ。ところで君さ、今から暇だよね?」

 質問を質問で返され、少し眉間にシワが寄る。

 そもそも人との会話はあまり得意ではない。ましてや明るさの象徴みたいな彼女と話す話題なんて何もない。

 どうにか思考を起動させ、この問題の対処を考える。

 彼女と過剰に関わることは僕に不必要な害を及ぼす可能性がある。それも大いに。

 今後の平穏な学生生活のためにも、僕は穏便に済ませておくことを選んだ。

「申し訳ないけど、この後用事があってさ。実は暇じゃないんだ」

「用事って、なんの?」

「君に話す必要ある?」

「あるよ。どうせ二度寝とかでしょ?」

「……違うよ。とにかく忙しいんだ」

「おっ、図星っぽいなぁ。とりあえず二時間後、一時半に校門前集合ね」

 寝癖が立っているであろう僕の頭の上に疑問符が浮かぶ。


「……えっと、誰が?」

「君と私だよ」


 唐突に唐突を重ねたような彼女の発言に思考が全く追いつかない。僕の頭がまだ寝ぼけているのか、それとも彼女の頭が夏の炎天下でやられてしまったのか、答えは間違いなく後者だろう。

 彼女の言うように、確かにこれからの予定は二度寝くらいだ。

 しかし、僕の二度寝は予め計画されたものであり、誰にも邪魔をされてはいけない神聖なものだと自負している。

 先ほど上手く嘘を吐けなかった正直者の自分を咎め、次は上等な嘘を吐くことに決めた。ほんの少しだけ、僕の純粋無垢な良心が痛む。

「……そういえば今日は祖父母と買い物に行くんだった。最近は暑いのに荷物が重くて大変らしいんだ。だから申し訳ないけど行けないな」

「それは大層なことだね。もちろん拒否権はあげるよ。ただ、君の自称青春小説がネットという大海原を旅するだけだから。それじゃ、二時間後に」


 デートの誘いにしては随分恐喝じみたセリフで電話は切られた。流行りに疎い僕が知ら

ないだけで、これが今の主流なんだろうか。

 重たい身体を無理やり立たせ、無気力に伸びをした。

 彼女の存在は僕にとっては事故のようなものだ。だからもう仕方がないということにしておくしかない。

 どうして休みの日にほとんど関わりがないクラスメイトと学校に行くんだなんて文句を言ってもキリがない。

 とりあえず、彼女には後ほど拒否権という言葉を教えてあげよう。きっと意味を理解していない。

 もっと上手く嘘を吐けるようになることを決意し、携帯電話の連絡帳を開いた。

 『出ないと殺す』という物騒な文字列を『中村奈々』に変更しておくためだ。漢字が合っているかどうかはもちろん知らない。

 畳んだ携帯電話をベッドに放り投げ、薄い青のカーテンを開けると、暴力的な陽の光が部屋に差し込み、室内に舞う塵を照らした。

 照らされて初めて存在を見せるそれに、どこか親近感が湧く。

 窓の向こうに広がる空は、夏特有の青色で僕を見下ろしていた。

 一体、どの絵の具を混ぜるとこの青が生まれるのか、芸術センスのない僕には見当もつかない。 

 再び軽く伸びをすると、視界の端にテーブルの上にある一冊の文庫本とキャンパスノートが映った。

 人間の視野の広さに関心しながら後者の方に手を伸ばす。

 開くと、僕の縦書きの文章の周りに赤いペンで書かれた綺麗な字が行儀悪く並べられている。

 軽く読み進め、ノートを閉じる。壁に掛かった時計に目をやると、先ほどの電話から長針が九十度進んでいた。

 読むという行為は、いとも簡単に僕の時間の流れを狂わせる。

 放り投げられた携帯を再度手に取り、打開策を考えるが、暴力の権化に勝つ方法は見いだせなかった。

 着信履歴に並ぶ四文字を見つめ、自分の失態を悔いる。

 あの日、僕が痛恨のミスをしなければ、彼女は自ら僕と関わろうなんて思わなかったはずだ。元はと言えば、これは自分が悪い。そう考えることでしか、この行き場のない感情を救うことは不可能だった。

 肺に溜まった空気を大きく息を吐き出す。

 僕は、中村奈々というクラスメイトに弱みを握られている。

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