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第98話 戦い終わって ─ 中隊の日常 ─

「貴様を呼んだのは、こちらが本題だ」

 名称の問題はそれで終了し、田実大尉が書類の束から一つを手渡して言った。


 梶山少尉がそれを受け取る。

 そして表紙を見た。

 そこには『防弾装甲戦闘服開発計画及び歩機専従歩兵に関する企画提案書』と題が記されていた。

「装甲戦闘服、専従歩兵、ですか? ちょっと拝見いたします」


 ぱらとめくる。

 まず目次に目を通す。

 そしてぱらぱらと中見出しを目で拾ってゆく。

 そこに書かれていた内容。

 決起部隊が使用した装甲戦闘服を改良した、市街戦に限定した個人用の防弾装甲戦闘服に関する提案がなされていた。


「押収した装甲服の研究やら所見を企画書に含みたいので、細部の煮詰めを依頼しようと思ってな、それをお前に頼もうと思って呼んだ」

 田実中隊長がそう言った。

 聞いた梶山少尉は純粋に良い提案だと思った。


 実の所、決起部隊が思いのほか頑強なことから、梶山少尉も似た案を持っていた。ただ、日々の雑務に追われ、手掛け始める矢先に中隊長から提案を受けた。


「いいですね。押収物品の調査を行っていて、中でも、この個人用の防弾装甲服は中々に興味深い物があります。警察の使用している装甲服との比較も行う予定ですから、充実した内容になると思います」

「そうか。なら、それを幾つか青焼きして、技術班と整備班に回して意見を集めて欲しい」


 青焼きとは湿式転写機のことで、この時代の複写機にあたる。

 ただし専用紙でしか写し取れない。


「それは構いませんが、中隊長が提出するのはまずくないですか。今は鳴りを潜めているとは言え、また宮田中佐の妨害が予想されるし、貴方が部隊の為に仕事をすると知ったら、また面倒ごとにでも」


 連中とは、歩機開発妨害を目論む宮田中佐を含む一派のことだ。

 いまは決起部隊との戦闘の余波で策謀を潜めてはいるが、軍縮が進む中、いつまた行動を開始するか分からなかった。


「それは大丈夫だ。表紙の提出者名を見てみろ」

 梶山少尉が書類の表紙に目を落し、そこ書かれていた名前を見て驚いた。


「これ、自分の名前ではないですか」

「どうせ同類の提案をするつもりだったのだろ。だったら構わんじゃないか」

 確かにそうではあった。

 だが梶山少尉には、もう一つ気になることがあった。


「ですが、予算の問題があります。既に歩機改良の追加予算は計上し、その認可が下りたばかりです。もう余裕はありませんよ」

「それについては問題ない」

 田実大尉が軽くいった。

 そして、「一般からの直接献金があるから、それを使用する」と続けた。


 その言葉を受けて梶山が首を傾げる。

「献金、そんなもの何時あったんですか」と。

 そんな話は聞いてなかった。


「まだないよ。だが、近々あるのは確実だから」

 それを聞いた梶山少尉は首を傾げたまま、眉間にしわを寄せた。

 これから献金があるなんてどうして分かるのだろうか。


 それとも内々に通達でもあったのかと思い始めたとき、田実大尉が意外なことをいった。

「献金の送り主はな、実は俺だ。敏蔵兄さんの名で送るから、このことは中隊の皆には黙っていて欲しい」


 確かに献金なら問題はなかった。

 実際に国民から募金を集め、自治体が中心となって戦車や航空機を購入して近在の部隊に直接納品することは度々行われていたからだ。

 また企業から高額な兵器が物納されることも往々にしてあった。


 それ以外にも送金や消耗品の類も納品されていた。

 身近な物なら、味噌や醤油、塩、酒なども当たり前のように納品される。

 そしてそれは陸海軍の区別なく行われた。


 海軍の場合などは、航空機は別にしても、とてもじゃないが軍艦を募金で購入することは出来ない。その為に建艦募金が設けられたりもしていた。

 これらの方法を使えば、部隊に必要な物を送ることができる。


 それに田実大尉の画材問屋が軌道に乗り始めていることも梶山少尉は知っていた。

 あれから度々浅草の実家を訪れ、敏蔵さんと胡粉(ごふん)の仕込みや納品を手伝っては、その繁盛振りには驚かされていたのだ。


 そして田実大尉は常々、「中隊の皆には、罪滅ぼしをしないといかんなあ」と、こぼしているのを聞いていた。

 これがその一つなのだろう。


「手始めに一〇万ほど献金するつもりだ。必要ならもっと出す」

「一〇万!」

 田実大尉の提示した金額に驚かされた。

 現在の物価と貨幣価値に換算すると、献金額は約一億数千万円に達する。


 それだけあれば防弾装甲戦闘服の試作はおろか、歩機の改良にまで回せるだけでなく、ちょっとした技術研究所並に資機材を充実させられる。

 それに留まらずにまだ出すと言うのだから、梶山ならずとも驚くのは当然だった。


「幾ら家業が軌道に乗ったからといって、そんなに持ち出して大丈夫ですか。また何がるあかはわかりませんよ」

 梶山少尉の心配は当然のことだった。

 以前あれだけ借金で苦労したのだから、また何があるかは分からない。

 それに備て蓄えが必要ではないかと気がしていた。


「いや心配には及ばんよ、儲けはちゃんと取ってある」

 田実大尉はそう言って微笑む。

 

 その後の説明は以下のような内容だった。

 献金の殆どが取引を願う商社や大店からの供出だという。

 彼らは一度、田実大尉が事業に失敗したときに取引から手を引いた。


 それも、ただ単なる取引停止ではなく、いろいろと難癖をつけて証文手形以上のものまで取り上げた。

 その様相は餓鬼そのもの。

 取り上げられる物は何でも取り上げてしまえという卑しさがあった。

 そんな様相を目の当たりにしたからこそ、優子は自分自身さえ借金の形にしたのだ。そしてあの様な目に合う。


 だが、新しい胡粉(ごふん)により、店は以前と同じ、いやさらに発展する様相を見せている。

 胡粉(ごふん)は海外にも輸出され、驚くほどの高値をつけていると聞く。従来の国内需要だけでなく、海外の商社までもがその品を欲しがっていた。


 その羽振りを見て再び取引をしたくなった商社や大店が、ご機嫌取りにあれこれと差し出てくるようになったという。

 それがここ最近の家業、その周囲を取り巻く状況だった。


 最後に、このように説明を結んだ。

「賄賂のような物だから、俺にではなく部隊に献金しろといってやった。だが、後ろめたい物でもあるのだろうな。名前を隠して個人名で贈りたいと懇願するから、仕方なしに俺がいったん預かり、敏蔵兄さんの名で贈ることにした。特需で儲けた連中の金だから存分に使って構わん」


 そう事もなげに語る田実大尉は随分と楽しそうだった。


 ──持田の奴、興奮して夜も眠れなくなるぞ。

 そう考えると、梶山自身も楽しくなり始めていた。


「では、早速この書類を青焼きしてきます」

「ちょっと待て」

 立ち去りかけたとき、背後から呼び止められた。

 そして田実大尉はこうたずねる。

「隣の中隊事務室に誰が来ている?」


 耳を澄ますと隣の部屋から下卑た笑い声が届いている。


「事務室ですか。ああ、一課長が来て居られます。また何時もの暇つぶしですよ」

「あいつか。あの野郎は、俺の監視役の一人だ」


 課長の幾人かは、宮田中佐の意を汲んで中隊長を監視する目的があったことを、梶山少尉は思い出した。


「よし、やるか」

 田実大尉が突然言いだした。

「やるって、何をですか」

 何のことか分からず、梶山少尉が聞き返す。


「以前までは、頻繁に言い争いをしていただろう。あれを再現する。やろう」

 それを言った田実大尉は愉しそうにしている。


 以前の両名は、反発し合い、時折り衝突もしていた。

 それは中隊はおろか、連隊でもかなりの者が知っているほど有名だった。

 師団でもかなり広まっている。


 もっともそれは梶山少尉が一方的に嫌っていただけのことであり、田実大尉は歩機開発妨害派である宮田中佐の依頼を受け、仕方無しに無能な上司を演じているだけだった。

 つまり部下から反発を受ける上司であることが、田実大尉に対して強要されている。そしてそれは今も変わりはなかった。


「やりますか」

 そう言って梶山少尉は首を傾けて骨を鳴らした。


 ここで両名が言い争いを演じ、それを隣室の一課長に聞かせるつもりだった。

 それにより大尉がまだ歩機開発の妨害をしていると思わせる為だ。

 はっきり言って茶番でしかない。

 どうしようもない、幼稚な茶番だ。

 だが二人はそれを愉しみ始めている。


「では行くぞ」そこで田実大尉は言葉を切り、一呼吸置いてから、「なんだこの提出書は。こんなの持って来る奴があるか、この馬鹿者が」と、大声を上げた。

 そして紙の束を床にたたきつけた。

 どう見ても愉しんでいる。


 梶山少尉も息を吸い、そして言葉を吐いた。

「お言葉ですが、この要件だけはどうしても通して頂けなければなりません。いいですか、わが部隊の存在意義はですね」

 このように言葉を張り上げる。


 内容なんてどうでもいい。

 ただのうっぷん晴らしに大声を上げているのと変わらない。

 心の中で、妨害派に向かって怒鳴っている気分だった。

 気持ちよかった。


 二人の言い争いが中隊隊舎の廊下に延々と響き渡り、誰もが、「ここしばらくは無かったのに、また始めたのか」と思っていた。

 それがこの中隊の平穏な姿でもある。

 

 だがやがて、この二人が兄弟になるとは、この時、中隊の誰もが想像できなかっただろう。

 そしてその報告が中隊を駆け巡ったとき、部隊は訳の分らない驚きに包まれた。

 だがそれは、もう少し先の話だった。



  ── 鋼の戦記 ─ 試製一〇式 装甲歩行機 開発記 ─ 完 ──

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